「おっはー!」
「おはよう」
 回想にふけている一紗の元に明里と志穂がやってきた。
「…よー!」
目をそらし、少しの間目を閉じてから、二人に向かってニパッと笑う。
「あいさつ略しすぎ」
「気にすんな」
「今日はずいぶん早いじゃん」
「久々にいい天気だし、散歩がてら早めに出たのさ」
単に克巳と会ってから来たら、いつもより早かっただけだが。
「散歩はいいけど、英語の予習はやった?」
「…英語…」
志穂の言葉を聞いて、一紗の顔が一気に引きつる。
「あーあ。その様子だとやってないね」
「このあいだ川上先生に言われた訳があるでしょう」
「今日もやらなかったら、別課題出るかも」
「あれで結構厳しいからなー先生」
「ふ…ふぎゃああぁあ!」
奇妙な声で叫ぶ一紗に、クラスメイトが一瞬だけ振り返る。が、叫び声の主がわかると、すぐにおのおのの作業やおしゃべりに戻る。
「見せてっ! 写させて志穂!」
「他の人がやる訳を私がやるわけないでしょ」
「明里…はやってるわけないか」
「あんたに言われたくない」
「とにかく頑張んなさいよ。じゃ」
笑顔で自分の席に戻る志穂と明里。
「う…うう…。ひとまずできるところまで…」
バタバタと教科書とノートを引っぱり出したとき、教室がざわついた。
「ちょ、先生来たの? まだ訳してな…」
入り口を見た一紗の動きが止まる。
 ややボサボサな硬い黒髪、整った顔立ちだが無表情の少年が入ってきた。
「暁彦…くん」
コチラガワにとどまる。と決意した暁彦は、言葉通り学校にやってきた。
「えっ…」
一紗は駆け寄りたい衝動を抑える。今までみたいにはいかない。周りの様子を知ってか知らずか、暁彦は無表情のまま自分の席に着く。
「お、おはよう」
「あ…おはよう」
「……」
「……」
微妙な間。会話が続かない。
「あ、あの、体、大丈夫?」
「完全ではないが問題ない」
無表情の暁彦が返事をする。
「そう、よかった」
さらに会話を続けようと思うが、言葉が出ない。暁彦は一紗を一瞥してから、いつものごとく窓の外に視線を向ける。
 仕方なく一紗は英語の訳に戻る。

(言わなきゃ。何か言わなきゃ)
 心は焦るが、話しかけられない。

『何も考えずにやってみるのが森ちゃんでしょ。体当たりしてみなって』
 真奈美のまなざしが浮かぶ。
(どうしても考えちゃうよ)
『一紗ちゃんならきっと大丈夫。何があっても乗り越えられる』
 克巳の笑顔が浮かぶ。
(乗り越えても暁彦くんは…)

『二度と俺にかまうな』
 告白した後の、暁彦の言葉が頭に響く。
 かまうなと言われたのにアシアナ教会にまで行ってしまった。

 シャーペンを持つ手が震える。ノートがにじむ。
「……っ!」
ガタン。と一紗は勢いよく立ち上がりスタスタと教室の扉に向かう。
「どしたの急に」
「大自然が呼ぶのでいかねばならぬ」
下を向いて答えた一紗は、そのまま早足で教室を出ていった。
「なんだあいつ」
「大自然って、大のトイレか?」
「訳ができなくて錯乱したか?」
クラスメイトが好き勝手に言ってるが、意識は暁彦に向いている。
「…ちっ…」
暁彦はわずかに眉をひそめ、小さく舌打ちした。


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