月曜日朝の夜埜高校、1年C組。
 自分の席で、一紗は携帯電話を操作している。送り先には「真奈美」と表示されている。
「これでオッケー、っと」
送信ボタンを押して、閉じる。

 アシアナ教会に乗り込んでから二日。ようやく“いつもの”日常に戻った。
 まだ人がまばらな教室を眺めながら、一紗は教会から立ち去った後のことを思い出す。

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「はい、車の鍵。金髪のお兄さんたちによろしく伝えておいて」
 笑顔の真奈美が車の鍵を差し出した。

 家に帰ってから半日以上爆睡したのち、真奈美から車の鍵を返したいと連絡があり、日曜日に真奈美の家に行った。
 ピンクと白のかわいらしい真奈美の部屋に通されて、克巳が貸した車の鍵を返してもらった。
「車は俵山商店街近くのコインパークに停めてあるわ。あとこっちの封筒も渡して。駐車場代だって。余ったらもらって」
言って真奈美は封筒を差し出す。
「他の三人もよろしくって言ってた」
「わかった、伝えとく。無事に家に帰れたようで良かった。これから大変だと思うけど」
「まあね。でもまずは生きて帰れて良かったって思っておく。森ちゃんも無事だったし」
「私が家に来た開口一番『生きてて良かった!』だもんな。心配させちゃったみたいね」
「当たり前でしょう。入り口に向かうときの惨状を見たら心配もするわよ。本当は森ちゃんが教会に戻るの、止めようかと思ったもの」
眉をひそめて真奈美が言う。
「そうなの?」
「うん。でも森ちゃんの決意が固くて止められなかった。本当に日下部くんの事が好きなのね」
「えっ…」
顔を赤くした後、しかしすぐに一紗の顔がゆがむ。
「あ…振られたの…? ごめん、変なこと聞いて」
答えつつ目をそらす真奈美。一紗の心の“文字”を見てしまったのだろう。
「本当はね、アシアナ教会に行く前に振られたんだ。だけど何もせずじっとしてられなかったの。動かないと気がすまない性分だからさ」
「森ちゃんらしいわ」
大きくため息をつく真奈美。
「もちろんマナも心配だったよ。隠し扉の前がすごかったし、こっちこそ生きてて良かったって思ったよ」
「異能持ってなかったら死んでたかもね。異能を持ってない信者を囮にしてたみたいだから」
「囮って…マナも知ってたの?」
「状況を透視できる異能者が状況を教えてくれたから。誰かを犠牲にするのは良くないって思ったけど、恐くて動けなかった」
「なのに隠れてる場所から出てきてくれたんだ。勇気あるよ、マナは」
真奈美が一紗を見る。一紗はにっこり笑っている。
「これからも家族や友達との事とか異能のコントロールとか大変だけど、できることは協力する」
ギュッと真奈美の手を握る。真奈美も笑顔になる。
「うん。よろしくね」
真奈美もギュッと手を握り返す。
「で、日下部くんのことはどうするの?」
暁彦の名前が出たとたんに、一紗の顔が引きつる。
「どうするって…どうしようもなんないよ」
「本当に? 振られもめげずに連れ戻しに行ったのに、ここで諦めるの?」
「私が行ったのは、暁彦くんに私が知ってる“日常”にいてほしかったから…」
ここまで言って言葉を止める。暁彦のことは真奈美には何も説明していない。
「日下部くんがあのタイミングでアシアナ教会にいた時点で、異能とかに絡んでるってわかるわよ」
まっすぐ一紗を見ながら話している真奈美。友人が発した言葉だけでなく心に浮かぶ言葉も見ているのだろう。
「恐いのもわかるけど、何回もしつこく私の家に来た時みたいにぶつかってみなよ。一回振られただけでしょ」
「振られたのは一回だけど、その前にもしつこいだの来るなだの色々言われてんだよね」
「じゃあもう一回告白したっていいでしょ」
「こっ…」
「ダメだったらなぐさめてあげるから」
笑いながら真奈美は一紗にデコピンを喰らわせる。
「ったー! なんなんだよー!」
「何も考えずにやってみるのが森ちゃんでしょ。体当たりしてみなって」
笑顔だが、真剣なまなざしの真奈美。つられて一紗も微笑む。
「頑張って、みよっかな」
「そうこなくっちゃ。ちゃんと結果教えてね」
にっこり笑って真奈美が言った。

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「簡単に言うけどさあ」
 ちらりと左隣の席を見る。鞄がない空席。席の主はまだ登校していないようだ。
「暁彦くん、来てくれるかな」
今の場所に居続けることを決めた暁彦。しかし本当に来るかは別の話。まず来てくれないことには、告白も何もないのだ。
「大変なのはマナや暁彦くんだけじゃないけど」
つぶやきつつ、再び回想する。

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 鍵を返してもらった後に克巳に連絡を取り、登校前に鍵を返しがてら、少しだけ話をした。
「入院、ですか?」
「ああ。父の状態が芳しくなくてね」
克巳の父昇太郎は、結局まともな精神状態に戻らず、入院することが決まったそうだ。
「僕も仕事始まっちゃったし申し出もあったから、入院まで銀子さんが世話してくれる事になった」
「銀子さんがいてくれて良かったです」
「ああ」
どこか疲れた様子で答える克巳。銀子がいてくれるだけマシなのだろうが、これからを考えると気分も重くなるのだろう。
「どんなところにしろ、父にとってはアシアナ教会は心の支えだった。それを僕らは壊してしまった。
 僕がいなくても教会は崩壊しただろうが、家族が支えになれなかったことが、くやしいよ」
言葉通り悔しそうな克巳に、一紗の胸も痛む。
「克巳さんにはたくさんたくさん助けられたのに、私にできることが何もなくて申し訳ないです」
「何言ってんだい。一紗ちゃんには色々助けられたよ。君が動いてくれたからこそ、僕もやらなきゃって思えたんだよ」
「そうなんですか?」
「一紗ちゃんの無鉄砲ぶりにハラハラさせられたのも本当だけどね」
「うっ…否定できない…」
ハハハと笑う克巳。少し元気が出てきたようだ。
「時々僕や銀子さんの話し相手になってくれればいいよ。もっとも僕と話してると彼に誤解を与えるかもしれないけどさ」
「彼って…そうなってくれればいいんですけど…無理かな…」
苦笑いする一紗の様子を見た克巳から笑顔が消える。
「悪いこと聞いちゃったかな。すまないねデリカシーのないこと言って」
「平気です。打たれ強さには自信ありますから」
一紗が無理やり笑うと、克巳も笑う。
「一紗ちゃんならきっと大丈夫。何があっても乗り越えられる。銀子さんも姉さんもいるし、僕も負けずに頑張るよ」
整った中性的な美青年は、爽やかに微笑んだ。

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「少しでも良い方向に行ってくれるといいんだけど」
高清水家にはこれからいろんな困難があるだろう。一紗にできることは無いに等しいが、うまく乗り越えてくれればと思う。


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