一紗が恐る恐る手を出したとき、遠くからエンジンの音が聞こえた。
「おや?」
李京は言葉だけはのんきに、しかし警戒しながら視線を移す。
 音がした方向から、黒い軽自動車がものすごい勢いでやってくる。車はギリギリ入れる位置まで突っ込み、止まった。
「誰だ?」
「敵? 味方?」
「こんな情報なかったわよお」
「銀子さんだ!」
一同が警戒する中、一紗だけ明るい表情になる。
「知り合い?」
「私の味方です。組織の人間でもアシアナ教会員でもないです」
キッパリと言い切る一紗に合わせるように、長刀を持った銀子が心配そうに車から出てくる。
「一紗ちゃん!」
周りの人物を見て銀子は警戒するが、一紗の様子から判断したのか緊張を少し緩める。
「よかった、無事みたいね。彼らは…敵ではないようね」
「はい」
「味方でもないけどね。あんたの邪魔するつもりはないから安心しなさい」
姫野が尊大に言ってから、背中を向ける。
「ちゅーじ、李京、行くわよ。アキと梨乃も早くしなさい」
「あ、あの」
入らない力を振り絞って、無理やり立ち上がる。
「なによお、まだなんかあるのー?」
不満を隠しもしない姫野を無視し、一紗は暁彦を見る。一回深呼吸。
「体が大丈夫なら、月曜日、学校に来てね!」
緊張した様子の一紗とは逆に、暁彦は呆然とする。梨乃は一瞬眉をしかめた後に、李京は楽しそうに、姫野は意地悪そうに、怪我をしている忠治はいつものように笑う。
「それじゃ!」
返事を待たずに一紗は背中を向けた。

 一紗はあわてて、しかし体がうまく動かないのでよろよろと銀子の側に行く。
「私より克巳さんたちを。まだ中にいます」
「わかったけど、彼はいいの?」
「いいんです」
キッパリと返事をする。
「彼は自分の意思で戻ってきました。だから後は彼に任せます」
声がこわばっているのを自覚する。しかし一紗は強がる。銀子もこれ以上何も言わなかった。


 階段を下りて地下に行き、少し前まで戦いがあった部屋に行く。中央やや扉寄りに座り込んでいる昇太郎と、彼に必死で話しかける克巳がいた。
「親父! 親父! しっかりしてくれ!」
昇太郎の目は焦点が合っておらず、薄笑いを浮かべている。まともな状態とはいえない。
「克巳くんは無事だったのね。昇太郎さんは…」
「教祖に見捨てられ、アシアナ教会が壊滅とわかったら、こうなった。よほどショックだったんだろうな」
答える克巳の顔色も青白く、隈が見える。
「例の組織が絡んだ時点でこうなったんだろうが、親父のことは放っておいた方が良かったんだろうか」
「結果論しか言えませんよ」
銀子が昇太郎を支え、立ち上がらせる。自分の意思で立とうとしない大の男を担ぎ上げる銀子の腕力に、改めて一紗は感心する。
「行きましょう。間もなく組織のエージェントが“後片付け”に来るはずです。彼らが来る前に逃げないと」
「ああ、そうだな」
克巳も危ない足取りで立ち上がる。よろけそうになるのを一紗が何とか支える。
「克巳くん、あなたは精一杯やったと思いますよ。全力を出しても届かないことはいくらでもあるわ。だから自分を責めないで下さいね」
悔しそうに顔をゆがめる克巳に、銀子が笑顔で話す。
「昇太郎さんのことは、これから考えましょ」
「…うん。ありがとう」
力なく笑う克巳。
「私もできることがあったら力になります。克巳さんにはたくさんたくさん助けられましたから。できることはほとんど無いと思いますけど」
「こちらこそありがとう、一紗ちゃん。本当情けない姿ばかり見せてるよ。格好つけたいんだけどな」
「女の子に支えてもらってる状態で格好つけても仕方ないでしょう」
銀子の言葉に一紗が笑う。克巳も苦笑する。
 克巳たちの生活は前途多難だろう。何とかなるかもしれない、何とかなってほしいと一紗は思う。
「一紗ちゃんこそ、暁彦くんの事は大丈夫なのかい?」
「はい。やれることはやりました。振られたのは確定ですけどね」
はははと空笑いする一紗の胸がギュッと締めつけられる。思ったよりダメージは残っているらしい。
「急がないと。組織が来るんですよね」
「おそらく。ここにいても仕方ないわ。さあ」
銀子が入り口に促す。克巳と一紗も付いていく。
 凄惨な争いがあったアシアナ教会の部屋から出て行く一行。
 後には数体の遺体と静寂が残された。


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