いち早く建物を出た暁彦と梨乃。外は雨がやみ、朝日が顔を出し始めている。
 私道に出ようと一歩踏み出したとき、金色の光が二人を覆った。
「こ…これは…」
「動けない…」
「あんたたち、どこ行くのよ」
分厚い眼鏡をかけた小柄な女性と、背が高い縁なし眼鏡の美青年が、双子の目の前に立っていた。なぜか青年の眼鏡は白く光り、奥にある目が見えない。
「姫野さん、忠治さん」
脱出するときに二人の姿を見かけなかったことを、今になって暁彦は気づく。
「あたしたちに面倒見させるだけ見させて、トンズラするつもり?」
暁彦の眉間にしわが寄る。梨乃を握っている手を意識してから、まっすぐ姫野を見据える。
「俺を拾って世話をしてくれたことは感謝します。だけどもう誰かの思惑に巻き込まれて生きていくのは嫌なんです」
「人聞き悪いわねえ。ま、その通りなんだけどさ」
悪びれもせず言い放つ姫野。
「今までも役に立ってくれたわ。門衛のことも色々聞けたし、情報収集や火の粉を払ってもくれた。
 だけどね、あんたにはまだまだ働いてもらわなきゃ。ちゅーじ、もうちょっとこらしめてやって」
忠治の眼鏡が一瞬光ると、金色の光が縮まる。光に拘束された二人は動くことができない。
「殺しやしないわよお。でも逆らったりしたら、かわいい妹ちゃんが倒れちゃうかもねっ」
姫野の言葉通り、梨乃は明らかに疲労している。
「幻影を使ってみる? でもこの状態だと使っても動けないわよねえ」
暁彦は思いきり睨みつけるが、もちろん姫野に効くわけがない。
「いい加減降参したら……きゃっ!」
いきなり姫野は悲鳴を上げ、前のめりに転がった。
「ご主人様!」
忠治は姫野の異変を目の当たりにし、あわてて異能を解除して姫野の元へ駆け寄る。
 その瞬間。
「ぐっ…!」
しゃがんだ忠治が小さくうめく。彼の二の腕にはナイフが深々と突き刺さっていた。
 忠治は、暁彦ではなく反対側を睨む。同じ場所を双子も見ている。
 姫野の後ろには、丸顔の少女が立っていた。
「一紗」
痛がる姫野と、自分の傷は気にせず主人を介抱する忠治を無視して、一紗は暁彦の元に駆け寄る。
「なぜだ? なぜ俺たちを助ける?」
「夜埜ダムまで歩けば黒い軽自動車が置いてあって、多分仲間がいる。私の名前を言ってくれれば乗せてくれると思うから、ここは任せて早く…うべっ!」
暁彦が、二人の頭を押さえつけてしゃがむ。
 三人の頭上を何かが勢いよく通り過ぎた。勢い余って手と膝をついてしまう。
「よく気づいたな。さすが俺が鍛えただけある」
着地した李京が、笑ったまま言う。構えてはいるが、足がふらついている。
「俺も本調子じゃねえが、女の子を二人抱えた奴には負けねえよ」
李京に隙はない。別の場所には姫野をかばう忠治がいる。暁彦も拳を上げ、足を踏ん張り、構える。
「一紗、頼みがある」
「なに?」
「梨乃を連れて行ってくれ。俺が足止めをする」
暁彦の表情は変わらない。が、一紗の目はみるみるうちにつり上がる。
「何言ってんだよ!」
怒鳴り返した一紗は暁彦の前に出る。
「お、おい」
「どきな嬢ちゃん、怪我じゃすまねえぜ」
李京の言葉に一紗は止まる。しかし暁彦との間に立ったまま動かない。
「暁彦くんと梨乃さんが一緒に逃げなきゃ意味無いじゃん。二人で、自分の道を歩んでいくんだろ?」
ギュッと拳を握る。体を震わせ、背中を向けたまま一紗は言った。

「さよなら」

 一言つぶやくと、一紗は李京に向かって突進した。
「だああああっ!」
拳を振り上げると、一紗はいつの間にか握っていた地面の土を李京に投げる。
「お、やるな」
不意打ちとはいえ、いくつもの実践を経験した達人に素人が敵うはずもない。あっさり李京は避けると、少女の足を引っかけ、地面に叩きつける。
「ぐえっ」
受け身をとる暇もなく、顔から地面に突っ伏す一紗。すぐに李京は暁彦に駆け寄る。構える暁彦と見守る梨乃を、金色の光が覆い始める。
 しかし突然、あたりの葉っぱが一斉に舞、視界を覆った。
「おおっ?」
「いやあん何なにー!?」
「一体これは?」
なぜか姫野たちの周りに風が渦巻き、一面を葉っぱが覆う。
 一紗はすぐに顔を上げ、あたりを見回す。視界の隙間から、歯を食いしばった梨乃が見えた。
「まさか、梨乃さんが?」
立ち上がろうとした一紗は、いきなり手を引っ張られた。半ば無理やり立たされると、そのまま李京がいるであろう方向と逆に引かれる。
 渦の中に見える、ややごつい少年の手。
「暁彦くん!?」
「早く逃げろ」
暁彦は梨乃の元まで行くと、彼女の手も取る。同時に、突風と葉っぱがかき消えた。
「逃げ足だけは速えな」
いち早く体勢を整えた李京が三人に駆け寄る。暁彦は少女二人の手を離すと懐からナイフを数本取り出して投げる。男は退いたが、その隙に三人は距離を稼ぐ。
 李京が再び走る。しんがりにいる梨乃の手を掴もうとする。暁彦が李京に向かって蹴りを打ち込もうと足を伸ばす。金色の光が三人の周りに現れた。

「もういいわよ」

 緊張した空気を破るかのように、かわいらしい声が乱入した。
「ちゅーじ、李京、もういいわ」
むくれた顔の姫野が、暁彦たちを見ていた。
「そこまでしてあたしたちのとこにいたくないんなら、アキなんていらない。好きなとこに行っちゃいなさいよ」
子どものように頬を膨らませて起こる姫野だが、暗い瞳からは何の感情も読み取れない。
 顔をしかめる暁彦。「いらないなんて言い方…」と抗議しかける一紗を、少年は手で制する。
「こんな時に言う言葉ではないですが」
いつもの無表情だが、まっすぐに姫野を見つめ、口を開く。
「姫野さんに拾われたことは感謝しています」
けだるそうに姫野が腕を組む。しかし暁彦はめげずに言葉を続ける。
「俺は今まで状況に流されて生きてきました。だけど裏返すと、自分の進むべき道を人に委ねていたことになるんです。
 俺は、自分の道を自分で決めたいんです。これは俺が選んだことなんです」
姫野はやはりけだるそうに暁彦を見つめる。腕を解いて眼鏡をかけ直し、言った。
「それで?」
いかにも面倒くさそうに問う。
「自分の道を決めるっていうけどさあ、あんた、当てはあるの?」
「そ、それは…」
「計画性がないんじゃ、出て行っても元の木阿弥よ。路頭に迷うか、門衛に捕まって連れ戻されるかっしょ」
唇をかむ暁彦。不安そうに兄を見つめる梨乃。二人を逃がそうとした一紗も難しい顔をする。
「勘違いしてるけど、あんたたちが歩もうとしている道も自由と希望で満ちあふれているわけじゃないわよ。複雑で理不尽で弱者には冷たい。ちょーっと強いだけでコネも技術もないガキ二人だけで、暮らしていけると思ってんの?」
なおも面倒くさそうに話す姫野。誰も反論はしない。
「あたしの側にいたとしても、アッチガワに関わるなって言ってないわよ。学校に通えばいいし、今まで通りあのマンションで暮らしてかまわない」
眉間にしわを寄せ、暁彦は考え込む。
「あんたたちが逃げるんなら、当然あたしは何もしてやんないわよ。お金もあげないし、家も追い出すもん」
「そ、そっちは私のつてを当たってみる。相談できる人もいるから」
「でもさあ、あたしが偽造した戸籍を消したら、なーんにもできないんじゃない?」
意地悪く笑う姫野。一紗は再び反論できずに黙り込む。
「ねえ、どうするのー?」
「姫野さん。俺は日が当たる世界にいたいわけじゃありません」
暁彦は下を向いたまま、口を開く。
「ただ…梨乃と…二人でいたいだけです」
胸がギュウと締めつけられた一紗は、暁彦から視線をそらしてしまう。
「わがままを言ってるのは十分承知しています。だから俺たちのことは見捨ててくれてかまいません」
「本気でソレ言ってんの?」
「……はい」
答える暁彦は下を向いたまま。面白くなさそうな顔で姫野は部下二人に視線を移す。
「ここまで言われちゃったら、あたしたちの出番はないわね。帰りましょ」
言うだけ言ってから姫野は歩き出した。


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