ニュータウン傘木にある高級マンションの一室。必要最低限の家具しかないことを考慮しても十分広いリビングで、暁彦は電話で話をしている。
「では、夜9時に下で待っていればいいですね」
〈はい。時間になりましたら、マンションの下に車を着けます〉
電話の主は忠治。襲撃の打ち合わせをしているらしい。
「よろしくお願いします」
〈妹さんを見つけたら、外で待機していて下さい。我々と合流次第、車でお送りします〉
「はい」
〈絶対ですよ〉
「わかってます」
答えながらも暁彦は、棚の上にある写真立てを見る。今よりも少しだけ幼い暁彦は、今と同じ無表情。隣にいる妹、梨乃は、満面の笑顔をこちらに向けている。
 待機するとは言ったが、暁彦は待つつもりは毛頭無い。梨乃を助け次第、二人でどこかに行くつもりだ。
〈ところで、森永さんから連絡はありませんでしたか?〉
暁彦の眉間にしわが寄る。
〈学校を休んでいるけど、怪我は治ったのかと心配していましたよ。連絡の一つでも差し上げたらいかがでしょう〉
「あいつのおせっかいに、わざわざ付き合う必要はないです」
機嫌の悪さを隠さず、暁彦が答える。だが忠治は気にすることなく話を続ける。
〈彼女の性格を考えると、全く連絡しないのは逆効果だと思いますよ。そのうち押しかけてくるかもしれませんね〉
「絶対にありえません」
青年の言葉を、力いっぱい否定する。あれだけキッパリと突き放した以上、いくら一紗でもこれ以上かまってこないだろう。
 胸がチクリと痛んだが、気づかない振りをする。
「それよりも、あいつによけいなことを言ってないでしょうね」
〈余計なこととは?〉
「襲撃のことですよ。来ないとは思いますが、あいつの耳に入ったら、ひょっとしたら来るかもしれません」
〈こちらからは話していませんよ〉
いつもの調子で答える忠治。嘘かどうか見極めようとする暁彦に、さらに青年は話す。
〈しかし、他の場所から情報が漏れているかもしれませんね。ですが、森永さんが来たところで問題はないと思いますよ。むしろ、彼女を盾にして、梨乃さんを助ければいいのではないですか?〉
電話口で暁彦は黙り込む。
 忠治が言う通り、一紗が来たら無視するなり利用するなりすればいいだけだ。梨乃さえ助かればそれでいいのだから。
(なのに、どうして抵抗があるんだ? 来てほしくないと思うんだ?)
暁彦の心に、もやもやした気持ちが渦巻く。
〈とはいえ、おそらく森永さんは来ないでしょう。あなたが言うように、さすがの彼女もそこまで首を突っ込まないと思います〉
(そうだろか。あいつは来てもおかしくない。来るような気がする)
来てほしくないと考えつつも、きっと来るとも考える。矛盾する思考が頭をめぐる。
〈迎えには午後9時までには行きます。あるいは、もう少し早い時間に言って、夕食でもご一緒しますか?〉
「いいえ、迎えに来るだけでいいです」
〈わかりました〉
忠治はそれ以上無理強いをせず、あっさりと引き下がる。
〈また後ほど〉
あいさつもそこそこ、暁彦はさっさと電話を切った。テーブルに携帯電話を置こうとしたが、思い直して画面を開く。
 着信履歴にもメールにも、LHと対戦した後、一紗からの連絡はない。
「連絡するはずがないだろう。むしろ忠治さんに俺のことを尋ねただけでも驚きだ」
つぶやきながら、心にすきま風が吹く感覚を抱く。

 迷惑だ。二度と俺にかまうな。
 涙を流して自分の気持ちを打ち明けた一紗を、暁彦は切り捨てた。
 泣き顔は何度か見たが、あれだけせっぱ詰まった表情は、あの時に初めて見た。

「ちっ…」
 自分でやったことなのに、胸がうずいて痛い。
「俺がやらなければいけないことは、ただ一つだけ」
痛みを胸に押し込め、もう一度写真立てを見つめる。
「梨乃を助けることだけ。それだけを考えるんだ。一紗のことは…もう忘れよう」
自分に向かって微笑む写真の梨乃に、暁彦は言った。


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