克巳と情報交換をした後、家に帰った一紗。
 今は雨がやんでいるのだろう。外から雨の音は聞こえない。遠くに振動音が聞こえる耳が痛い静けさだけが外を覆っている。
 固い顔で携帯電話を開き、暁彦の番号を出す。だけど待ち受けに戻す。さっきからこの動作を何度も繰り返している。メール文も書いたけど、送信ボックスに残ったまま。
 忠治なら連絡できると思い、電話をかけてみたけど繋がらない。おかげで嫌な予感がどんどん膨らんでくる。
「アシアナ教会の情報もないしなあ」
 自宅のパソコンからアシアナ教会の事を調べてみた。アシアナ教会のサイトもなし、月夜埜市の公式サイトには当然ながら情報が載っていない。つくよのチャンネルという巨大匿名掲示板や、最大級SNSの月夜埜市情報コミュニティを調べてみたが、アシアナ教会の情報は全く見つからない。
 一紗は大きく深呼吸をする。決意の目で携帯電話を見て、画面を開く。
 ちょうどその時、携帯がメロディを奏でた。『高柴忠治』と表示されている。
〈もしもし〉
電話にでると、落ち着いたよく通る声が聞こえた。
〈電話を頂いたようですが〉
「あ、はい」
一紗は、暁彦が学校を休んでいるが大丈夫かと尋ねる。他に聞きたいこともあるが、姫野の秘書である忠治には尋ねられない。
〈体調は悪くないようです。しかし予想よりダメージが大きかったので、念のために今週はお休みを頂きます。今は家でゆっくりしているはずです〉
完全に信じるわけにはいかないが、暁彦はまだアシアナ教会に行っていないようだ。声には出さずにホッとする。
 しかし安心したのもつかの間。
〈ところで〉
と、忠治が切り出した。
〈気になる情報を入手しました。眠り病とどのくらい関係あるかわかりませんが〉
「眠り病? ああ、何かわかったことがあるんですか?」
目下、眠り病の調査を急いで行う必要がない一紗は、今の言葉で、姫野たちと情報共有をしている(ことになっている)事を思い出した。
 少し間を開け、忠治が話す。
〈門衛が、土曜日の晩に、アシアナ教会を襲撃するようです〉
「…はい?」
とっさには反応できなかった。単語が頭にしみこむが、どういう事なのか理解できない。
〈情報源は言えませんが、門衛がアシアナ教会に乗り込もうとしています。目的は不明ですが、どうやら組織にとってアシアナ教会は敵のようです〉
言葉を理解するにつれ、ますます一紗の頭は混乱した。そもそも、門衛とアシアナ教会が敵だということを初めて知った。ただし、門衛が乗り込もうとする理由はわからないでもない。おそらくは日下部梨乃が目的だろう。暁彦は門衛から追われている。だとしたら梨乃も同じはずだ。
 ならば、忠治が次に何を言うかは、容易に想像がつく。
〈暁彦くんから聞いているかもしれませんが、彼には双子の妹がいて、彼女を捜しているようなのです〉
「そ、そうなんですか?」
とっくに知っていることだが、知らないふりをする。言葉はどもったが、嘘がばれないことを祈る。
〈どうやら暁彦くんの妹さんが、アシアナ教会にいるらしいんですよ〉
「そして、彼が助けに行くかもしれない、と」
〈はい〉
白々しい会話。忠治は、一紗がこの事実を知っているとわかった上で、わざわざ説明しているかもしれない。
〈暁彦くんにも、組織が突入する日を伝えてあります。ですから混乱に乗じて、妹さんを助けに行く可能性が高いです〉
「止めることはできないんですか?」
無駄だとわかりつつも、一紗は尋ねる。
〈正直なところ、止める理由がありません。なので我々も協力しようと思っています〉
暁彦一人だけでなく、情報収集力が高い姫野と忠治や、単純に強い李京が側にいてくれれば心強い。そのへんは少しだけ安心できる。
 しかし、大きな疑問が一紗の頭に浮かぶ。
「なぜ、私にそのことを話すんですか?」
隠す方法などいくらでもある。にも関わらずわざわざ話をするあたり、何かあるのではと勘ぐってしまう。ただ、疑いは表に出さずに、極力ただ疑問に思っているだけというニュアンスで尋ねてみた。
〈森永さんに安心して頂くためです。失礼ながら、下手に隠すと、あなたは詮索しようとしますから〉
「確かにその通りです」
こうと決めたら状況かまわず首を突っ込む自分の悪い癖については、自覚は十分ある。もっとも自覚があるだけで、つい好奇心に負けてしまうのだが。
〈ですから、今知っている情報を伝えました。心配しないで下さい。暁彦くんと妹さんは、我々が責任を持って守ります。森永さんは、彼の無事を祈っていて下さい〉
「…はい…」
ためらいがちに返事をする。しかし肯定の返事に満足したのか、忠治はこれ以上何も言わずに〈失礼します〉と言って、電話を切った。

 電話が切れた後も、しばらく一紗は呆然としていた。
「例の組織が、アシアナ教会を襲撃する。だって?」
襲撃。と聞いて真っ先に思い浮かべたのは、真奈美の姿。人を殺すことにためらいのない連中が、真奈美がいる場所を襲おうとしている。それに、克巳の父親もそこにいる。
「すぐに克巳さんに連絡しなくちゃ」
必死に頭を働かせると、一紗は携帯電話のボタンを押した。


←前へ 次へ→