翌日の夕方過ぎ。一紗と克巳は、全国チェーンのファミレスにいた。
 食事を終えた後、一紗は今までの出来事を話した。真奈美がアシアナ教会に行ったこと、月夜埜の父が門衛のシングルネーム(意味はわからないので、聞いたそのままを話した)であること、クラスの集まりで見た美少女の幻が暁彦の妹で、アシアナ教会にいる女の子であったことを伝えた。
 ただし、暁彦に振られた事だけは内緒にする。言う必要もないし、単純に言いたくなかったのだ。
「そんなことがあったのか…」
悔しさをにじませながら克巳がつぶやく。自分がノータッチの間に状況が激変したことを、歯がゆく思っているのだろう。
「本当に申し訳ない。僕がもっと動けていれば、回避できた事柄もあったかもしれない」
「克巳さんは悪くないですよ。忙しかったみたいですし」
「まあね。心配かけたし、一紗ちゃんの事とも無関係じゃないから、こっちのことも話しておかないとね」
コーヒーを一口飲むと、克巳は話し始める。
「僕の父が、アシアナ教会の信者であることは知ってるよね」
「はい」
「父は、アシアナ教会で暮らし始めたんだ」
「えっ!?」
目を見開いて驚く一紗を、克巳は難しい顔で見つめる。
「元々熱狂的な信者だったけど、アシアナ教会の連中が姉さんの眠り病を治してから、父はますます教会に傾倒していった。
 そして先週、アシアナ教会で暮らすと言って、家などの財産を全て売却してしまったんだ」
「全てって、あの大きな家をですか? それに、仕事はどうしたんですか?」
「辞めた。社長も役員もキッパリと。準備はしていたようだが、さすがにもめたらしい」
 克巳の父、高清水昇太郎(たかしみずしょうたろう)は、少なくとも関東の人ならば誰でも知っている大手企業ナチューラグリコーポレーションの社長である。しかし、アシアナ教会の信者である彼は、信仰ゆえに辞職してしまったらしい。準備をしていたとはいえ、大企業の社長が、自分の都合だけで簡単に辞められるとは考えにくい。
「今までも株式や土地は売却していたけど、家まで売るとは思わなかった。父は僕たちもアシアナ教会に連れて行こうとしたけど、当然、姉も僕も行く気はなくて、父が教会に行くことに猛反対した。それでまた色々もめたんだよ」
「今はどこで暮らしているんですか?」
「姉は会社の寮に入った。僕も姉を保証人にして、近くのアパートを借りた。学校も辞めて、知り合いの会社に勤める予定だ。申し訳ないけど、銀子さんには辞めてもらった。彼女は優秀な家政婦だから、すぐに仕事が見つかるだろう」
自嘲気味に話す克巳は疲れているようだ。よく見ると、顔色がいつもより悪い。
「大変だったんですね」
「大変なのもそうだけど、結局父を止められなかった自分が情けないね」
やけくそな笑みを浮かべ、言葉を吐き捨てる。父親の行動と自分のふがいなさを、同時に責めているのだろう。
「こっちのことはおおかた片付いた。今後は、一紗ちゃんが抱えている問題を何とかしなくちゃいけないね」
もう一口コーヒーを飲む一紗。一紗もつられて紅茶を飲む。

「まずは、真奈美ちゃんのことだ。正直言うと、一つ引っかかることがある」
「引っかかること?」
「アシアナ教会は、基本的には積極的勧誘は行わないんだ」
「へ?」
意外な言葉に、一紗の目が点になる。
「一紗ちゃんは月夜埜市に住んでどのくらい経つ?」
「えっと、小学生になる前に引っ越してきたので、十年ちょっとですね」
「その間、アシアナ教会が家に来たことは、一回もなかっただろ?」
「あ、そういえば…」
家に来たどころか、今回の出来事が無ければ、一紗はアシアナ教会の存在を知ることすらなかった。月夜埜市にあるアシアナ教会が勧誘するのならば、月夜埜市の住宅街に来ないことは考えられない。実際、一紗の家にはしょっちゅう訪問販売や宗教勧誘の連中が来る。
「父は仕事を通してアシアナ教会を知ったみたいだけど、自ら進んで教会員になり、あげくのはてには教会で暮らすようになった。基本的にアシアナ教会は、来るもの拒まず去る者追わず。のスタンスのはずなんだ」
「でも、マナのところには教会員が来ましたよ。あと、桂木さんの家にも教会員らしき人物がいましたし」
「そこなんだよ。桂木さんはともかく、真奈美ちゃんは異能を持ってしまったわけだろ?
 これは勘なんだけど、アシアナ教会は異能者を集めているんじゃないかな」
「異能者を、ですか?」
「ああ。理屈はわからないが、彼らは異能者を必要としている。そして一部の眠り病患者は、病気が治ると副作用で異能を得てしまう」
「つまり、アシアナ教会は、異能者を生み出そうとしている。ってことですか?」
「状況からの予想が多いけど、僕はそれが狙いだと考えている」
金髪青年の想像を受け、一紗も考える。
 現時点で眠り病患者で異能を持ったことを確認したのは、真奈美だけである。三十人以上の患者の中で一人というのは、偶然の可能性も高い。
 しかし、満美を通して聞いた、真奈美が一回戻ってきたときのことを思い出す。

『アシアナ教会ならば、力をコントロールできる。仲間がいるから心強い』

 真奈美が教会に行った事実に衝撃を受け、その時には聞き流してしまったが、実はこの言葉は克巳の予想を裏付ける一言ではないかと思う。
「そこに関しては、アシアナ教会に行った元眠り病患者をもっと調べてみるよ。僕の予想が当たっていたら、真奈美ちゃんたちもさらに面倒なことに巻き込まれるかもしれない」
「お願いします」

 克巳は小さくうなずくと、次の話題を切り出した。
「月夜埜の父のことは、うかつだった。まさか彼が組織と繋がっているとは思わなかった。一紗ちゃんまで紹介してしまったけど、何かあったら取り返しのつかないことになるな」
「それに関しては、組織に内緒にするために取るものを取っていた。という言葉を信じるしかないですね」
「そうだね。今のところ、僕も一紗ちゃんも命を狙われている様子はない。がめついオヤジな分、彼の言葉は信じられるかもしれない。どのみち、こちらでどうこうするのは難しいからね」
「シングルネームって何ですか? 暁…クラスメイトが名前を聞いて、顔色を変えてたんですけど」
シングルネームと言ったのが気に入らなかったのか、克巳は少しだけ顔をしかめる。
「簡単に言えば、組織の中の偉い人だよ。彼が月夜埜市にいるということは、重大な事が起こっているか、彼らにとってこの街が特別なんだろう」
一紗は首をかしげる。今ひとつわからない部分もあるが、暁彦が怯えるくらいだから、相当な地位にいる人物なのだろう。

「クラスメイトくんに絡んで、問題がもう一つある」
 暁彦の話題が出ると、一紗の胸がチクリと痛む。
「どうしたんだい?」
「あ、いえ、続けて下さい」
克巳が心配そうに尋ねるが、一紗は笑顔で続きを促す。不安そうにしたまま、青年は話を続ける。
「彼は、妹である梨乃って子が、アシアナ教会にいることを知ったんだよね?」
「はい」
「だとすると、彼は妹を取り返そうと、アシアナ教会に乗り込む可能性が高い」
「……!」
青年の一言に、少女は絶句した。今までその可能性に気づかなかった自分のうかつさを恨んでしまう。
「ひょっとしたらだけど、既に乗り込んだかもしれない。教会員がただの人ならば無事である確率は高いけど、戦える人間に異能者がいたとしたら…」
言葉を濁す克巳。あまり聞きたくない状況を思い描いているのだろう。一紗も血の気が引くのを自覚する。
「彼、この間のゴタゴタの後、学校に来ていないんです。怪我が治っていないのかと思ったのですが、ひょっとしたらアシアナ教会に行って…」
「連絡はしてないの?」
さらに血の気が引く一紗。顔はこわばり、細かく震えている。
「どうしたんだい? 何かあったの?」
さすがに様子がおかしいことが気にかかったのか、優しく克巳が尋ねる。
「私、暁彦くんに告白して…振られちゃったんです…。だから連絡しにくくて…」
克巳の顔は曇り、震える少女に「ごめん」と謝罪する。
「暁彦くんって子がアシアナ教会に行ったかどうかも、すぐに調べてみるよ」
「あの」
うつむいていた一紗が顔を上げる。血の気は引いて顔はまだ固いが、瞳からは強い意思が読み取れる。
「私も、暁彦くんに連絡してみます」
「え? でも連絡しづらいだろ?」
「しづらいですよ。だけど、暁彦くんの命の方が大事です」
真剣なまなざしで答える一紗に、克巳は笑顔を向ける。
「無理はしないでね。僕も合わせて調べてみるから。なるべく早く連絡する」
「お願いします」
まだ様々な感情を含みながらも、一紗は笑顔で答えた。


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