市の中央やや北にある、あけぼのニュータウン傘木地区。高級住宅街の中でもひときわ目立つ邸宅。白い外壁に囲まれた中には、手入れが行き届いた庭と、やはり白い大きな家が建っている。
 小さな体育館くらいはあるだろう居間。シンプルだが高級なテーブルとソファ。さりげなく飾られている絵画は、知る人ぞ知る画家のサインが入っている。
 居間には、一人の壮年男性と一人の少女がいる。細身に細めでおかっぱ頭の男性はイヤホンを付けてノートパソコンを広げ、マウスを時々動かしては年甲斐もなくケラケラ笑っている。少女はボーッと天井を見つめている。
「あんた、何時間もパソコンいじってて飽きないわねえ」
たどたどしい口調で、姫野真咲(ひめのまさき)がしゃべる。外見は中学生くらいにしか見えないが、冷たい言葉遣いと何かを達観した暗い瞳が、外見よりも年齢を重ねていることを物語っている。
「ニコ動見てると、あっちゅう間に時間が経っちまうな」
画面から目を離さずに、李京(りじぇ)が答える。見た目より口調は軽い。
「そろそろやめっかね」
イヤホンを外し、ノートパソコンをたたむ。しかし取り出したのは携帯電話。メールが来ていたのか、ポチポチとボタンを押して送信する。
「どこの女子高生よあんたは」
「メル友と色々やり合うのもオツなもんだぜ。けど、アキからは返事が来ねえなあ。あいつ、学校に行かずに家に閉じこもっているはずなんだが」
「あんたの意味無いメールに、いちいち返事する気になれないんでしょ。あの子にしてみたら、妹を助けることができるかどうかの瀬戸際なんだもん」
世間話の口調で、さらりと言う姫野。アキこと日下部暁彦を、今の状態に追い込んだ一端を担っている事実を、完全に棚上げしている。
「失礼します」
居間に、高級なスーツを着こなした、西洋人形のように整った顔立ちの美青年が入ってきた。手にはコーヒーカップが乗ったお盆。柔和な笑みを浮かべた青年がソファに近づく。
「お待たせ致しました」
「おっそいわよ、ちゅーじ。コーヒー淹れるのに、どんだけ時間をかけてんのよ」
「申し訳ありません」
ちゅーじこと高柴忠治(たかしばただはる)が丁寧にわびる。姫野はフンと鼻を鳴らし、忠治から視線をそらす。
「姫さんも無茶言うよな。豆をひいてコーヒーを淹れてるんだから、時間かかるだろうが」
忠治はカップを並べ、バカ丁寧に「失礼します」と声をかけてからソファに座る。
「ご主人様。例の組織の突入日が決まったようです」
姫野が目だけを忠治に向ける。無言であごを動かすと、眼鏡をかけた美青年は話を続ける。
「土曜日の晩で、時間ははっきりとは決まっていないようです。が、夜に来るとみて間違いないでしょう」
女は一見、興味なさそうに天井を見ている。主人の様子を確認し、忠治は話を続ける。
「人数はおそらく二十人ほど。その中でダブルネームは四・五人くらいだと思われます。あと、どうやらシングルも来るようです」
「へえ、珍しいわね」
チラリと忠治を見て、姫野が答える。しっかり話は聞いていたようだ。
「今日中には、情報をアシアナ教会に伝えておきます」
返事の代わりに、姫野は小さくうなずく。耳は傾けているが興味はなさそうな主人へ、部下は話をする。
「ここからは個人的な見解です。アシアナ教会員で戦えそうな人物は十人前後。我々が手伝いに加わっても、教会側は不利でしょう。組織相手にはいささか力不足と思われます」
「大丈夫じゃない? 別にアシアナ教会が無くなっても困んないもん。でも、門衛を潰すことなく殺られちゃったら困るわあ。てか、手を貸してる意味なくなっちゃうわよ」
「俺がいりゃあ、奴らにダメージを与えるのはわけねえぜ」
顔を上げた李京がニヤリと笑う。鋭い眼光に隙はない。
「大暴れする気、満々ね」
「当たり前だろ。ずっと暴れたくてウズウズしてたんだからな」
「調子に乗って、我々にまで危害を加えないで下さいね」
微笑を浮かべて、忠治がやんわりと言う。捉え方によっては痛烈な嫌味だが、李京は気にしていない。
「ねえねえ、ちゅーじ」
「何でしょうか」
「森永一紗にこのことを伝えたら、アシアナ教会に来るかしら?」
忠治の笑みが一瞬こわばる。だが、すぐにいつもの笑みに戻る。
「おそらく来ないと思います。さすがに振られた相手のために、アシアナ教会には行かないでしょう。ですが…」
「ん? 何かあんのか?」
「森永一紗が眠り病を調べていた原因である、友人の宇都木真奈美が、アシアナ教会にいるそうです」
李京の質問しているのか独り言なのかはっきりしない言葉に、忠治は律儀に答える。
「組織の突入を知ったら、彼女は友人を放っておくでしょうか。そこを考慮すると、やってくる可能性は上がります」
「ふーん。で、可能性とか抜きにして、あんたたちはあいつが来るって思ってる?」
「来るんじゃねえかな、嬢ちゃんは。俺から見ると、ありえねえくらい無茶すっからな」
「私は来ないと思います。危険が大きすぎますし、アシアナ教会は山奥。彼女には足がありません」
「ふむふむ、意見が分かれたわね」
姫野の瞳がキラリと光る。いたずらを思いついた少女のような笑みを浮かべ、言った。
「ちゅーじ、頃合いを見計らって、このことを森永一紗に伝えてちょーだい」
「このこととは、突入のことですか?」
「それ以外に何があるのよ、バカちゅーじ」
「申し訳ありません」
誰が見ても細かい気配りができ機転も利く優秀な秘書を、姫野はためらいもなくバカ呼ばわりする。しかし忠治も気にすることなく、微笑んでいる。
「森永が来るか来ないか賭けてみましょ。勝った方にボーナスをはずむわよ」
ニマリと笑って宣言する姫野。考え無しに、ただ楽しんでいるようだ。
「そりゃおもしれえな。乗り込んだ後に嬢ちゃんが無事でいられるかどうかも気になるな」
李京も笑って姫野の案に乗る。彼も楽しんでいるらしい。
「そっちは面倒だからトトカルチョしないわよ。てわけだから、ちゃんと伝えてね」
「かしこまりました」
忠治は柔和な笑みを浮かべたまま、恭しくうなずいた。


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