月が雲の合間から見え隠れする真夜中。満月とまではいかないが、月明かりは十分辺りを照らしている。
 ニュータウンの工業地帯にある、烏丸製薬第二月夜埜工場建設予定地。周りも工場だらけで、今の時刻は稼働していない。
 建設予定地の中は申し訳程度にフェンスが張られ、施工予定日が平成一ケタ年になっているものの、工事が行われている様子は全くない。周囲には雑草が茂り、ススキが視界を遮っている。基礎が打たれたコンクリート部分は、あちこちがひび割れている。
 フェンスをくぐり、暁彦が工場の敷地内にやってきた。月明かりに照らされた整った顔は、いつものように表情がない。
 空き地の真ん中に、一人の女が立っていた。黒いピッタリとしたシャツとズボンが、女の豊満な肢体を強調している。薄暗い中でも、亜麻色のショートヘアーがひときわ目立つ。
「よく来たわね。0時5分前。5分前行動は大事よ」
婉然とした笑みを浮かべ、女が言う。しかし暁彦は顔をしかめる。
「きさまがLHだったとはな。どうりて学校に手紙があったわけだ」
「あら、覚えていてくれて嬉しいわ。学校生活には関心なさそうだったもの」
楽しそうに話すLHを無視して、暁彦は目だけで周り見回す。少なくとも、目の前の女以外に人の気配はない。
「心配しないで、私一人よ。手紙にもそう書いたでしょ?」
「刺客を送らないと書いておきながら、刺客を放ったきさまを信用できるか」
「え?」
女から笑みが消え、目と口を丸くする。が、すぐに顔をしかめる。
「ああ、それは私たちじゃないわ。いくら私たちでも、他の組織の刺客まで気を配れないわよ」
「信用できるもんか」
「どっちでもいいけどね。そろそろ始めましょう」
言うやいなや、女はすぐに拳銃を構える。暁彦も予想したのか、横に移動してナイフが届く距離まで詰めようとする。
 LHは暁彦が向かう方向に銃を構え、一発撃つ。しかし弾は少年の脇にそれる。
 何かに気づいたのか、女は構えた姿勢のまま後ろへ下がる。暁彦がいた方向とは真逆からナイフが飛んできて、ついさっきLHがいた場所を通過する。
「やっぱり幻影を使っていたわね」
背後に人の気配。後ろから拳を握った暁彦がジグザグに迫ってくる。LHはあわてることなく銃を向ける。
「バッキューン!」
色気のある声でピストルを撃つ真似をする。すると銃口から、ハートを散りばめたピンクの光線が飛び出した。
「ちっ」
暁彦の足下にピンクの光がぶつかって、はじける。かなりふざけた光線だが、これを心臓に喰らった人間が即死しているところを目撃しているので、油断は禁物だ。
 再度LHが銃を構えると、今度は普通の銃弾を発射するが、弾は暁彦の左にそれる。わずかな隙を狙って暁彦がナイフを投げるが、これもLHの脇に外れた。
 暁彦はエージェントを睨むと、そのまままっすぐに突っ込む。しかしLHは暁彦から視線を外し、別の方向に銃を向ける。
(幻影にかかった)
拳に力を込め、LHを殴ろうとしたとき。
「バッキューン!」
LHはかけ声とともに、自分の体を独楽のように回転させた。彼女を中心に、ピンクの光が波紋状に広がる。
「!!」
暁彦はあわてて体を伏せると、頭上ギリギリにハート入りの光が通り過ぎる。
 幻を見せられたなら、あたりかまわず攻撃する。乱暴だが、幻影を使う暁彦には効果があるようだ。
「まあ、そんなところにいたのね」
急いで体を起こした暁彦は、銃から目を離さずさらに距離を詰める。だがLHは近寄られることに気づかず、遠くを見つめている。
 間髪入れずに、暁彦の拳がLHの腹部にめり込んだ。
「ガッ…!」
絞り出すようなうめき声を出し、LHが後ろに吹っ飛ぶ。そのままバウンドしてうつぶせに倒れた。女はまったく動かない。が、暁彦はナイフを手に、じっとLHを見つめている。
「あまり手応えがなかった」
とまどいすら見せ、暁彦がつぶやく。殴った瞬間、女は後ろに飛んで威力を減らしているようだった。正直、気絶しているとは思えない。近づくのはよして、ナイフで相手の頸動脈を狙う。
「…チャッ…」
女の口からわずかに声が漏れた。すぐに気づいた暁彦は後ろに下がる。
 だがLHの動きの方が素早かった。
「バッキューンッ!」
すぐに身を起こしたLHが、暁彦めがけてピンクの光線を放つ。光は暁彦の肩を撃ち、貫通する。少年の体は宙に浮き、そのまま地面に叩きつけられた。
「…っ…」
意識はあるが、目の焦点が合っていない。LHが中に弾を込めて近づいても、すぐには動けないようだ。
「痛かったわよ。女性のお腹を殴るなんて、最低だと思うわ」
暁彦の眉間にピタリと銃口を当て、LHが言う。少年は言葉にならない声を漏らし、相手をにらみつける。
「さすがCSSよりは頑丈ね。やっぱもったいないわ。こっちに戻るなら命は助けてあげる」
「断る」
「うーん、気持ちいいくらい即答ね。じゃあこういうのはどう? 戻るなら梨乃ちゃんを一緒に捜してあげる」
今度は一瞬言葉が詰まる。だが暁彦はキッパリ「断る」と言った。
「あ、そう。残念」
さして残念でもなさそうにLHは言うと、銃を構え直す。
「それじゃあ終わりにしましょ。あなたみたいな子、結構好きなんだけどね」
女の言葉を聞きながら、暁彦は何とか突破口がないかと考える。しかし銃口をピッタリと突きつけられた状態では、幻影もナイフも間に合わない。
「バイバイ」
引き金に、女の指がかかる。
(結局はこうなるのか。ろくでもない一生だったな)
暁彦の頭の中に、今までの出来事が走馬燈のようによみがえる。彼が関わった数少ない人物が次々と現れる。
(梨乃には会えなかったな。無事を祈るしかない。姫野さんたちにも恩を返していないが、こればかりはどうにもならない)
人物の中に、丸顔でにぎやかな少女の姿が浮かぶ。
(あいつ。こんなところにまで顔を出しやがって)
ヨルの世界とは縁がないはずのクラスメイト。今までも様々な場面に首を突っ込んできたが、今回ばかりはそれもないだろう。
 と思ったとき、一抹の寂しさを感じた。
(…この期におよんで、あいつが来ることを期待してるのか?)
心の中で憮然と思う。
 なおも少女が焦ったような引きつったような顔でこちらを見ている。なかなかしつこい幻だ。
(……え?)
幻の割には全然消えない。
「…めろ…」
必死の形相で何かを叫んでいる。
(幻じゃない!?)

「やめろーっ!!」


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