暁彦が現実を認識するのと、少女が大声で叫んでその場に立ち止まるのは同時だった。

「…一紗…」
絞り出すように暁彦は言った。

 暁彦のほぼ正面、LHの後ろに立つ一紗はLHを思い切りにらみつけている。
「お願い。暁彦くんを殺さないで。銃を放して」
「そう言われてもねえ。こっちも仕事なのよ」
暁彦に銃を向けたままLHは顔を横に向ける。少年は何とか隙を作れないかと考えるが、一紗の表情が驚愕に満ちた。
「…川上先生?」
半ば呆然と一紗がつぶやく。
「川上先生、でしょ?」
「だとしたらどうなの?」
「どうして、どうして先生が暁彦くんを殺そうとしてるの?どうして組織にいるの?」
「あら。そんなことも知ってるのね。それにあなたが言ってることは違うわね」
一紗を見ても顔色一つ変えずに、LH…一紗と暁彦のクラスの副担任、川上キアリーは言う。
「門衛の私が、任務のために教職に就いている。ってところかしら」
「先生でも刺客でも関係ない。暁彦くんを放せ」
キッと相手を睨み、一紗が言う。
「だから、放せって言われても任務なのよ。今のあなたに何ができる? 言っておくけど、あなたが少しでも動いたら、日下部の頭に風穴が空くわよ」
視線は一紗に向いているものの、銃の照準はピッタリ暁彦の眉間に合っている。一紗は悔しそうに顔をゆがめるが、動くことはできない。
「どうすれば暁彦くんを助けてくれるの?」
「無茶言わないでよ。彼を殺すことが私の任務なのよ」
「私が代わりじゃ、価値はないよね」
「当たり前でしょ。ただの女子高生を殺しても仕方がないでしょ」
「なっ…」
思わず暁彦は身を起こすが、LHは油断無く照準を合わせ直す。
「私が知っている情報を話すのはどうかな。ひょっとしたら、価値がある情報があるかも」
「価値がないと無駄だし、時間稼ぎして隙を作るつもりなら、やめときなさい」
ちっ。と一紗が舌打ちをする。
「行動をするのは立派だけど、考えなしだと意味無いわよ。そこでおとなしく見て…」
「一紗! そいつに向かって走れ!」
突然、暁彦が大声で叫んだ。
「えっ?」
「はい?」
一紗も、川上も、いきなりの言葉に戸惑う。
「いいから走れ! 俺を信じろ!」
「で、でも…」
「なにそれ。陽動作戦のつもり?」
川上が暁彦の眉間に銃を押しつける。だが少年はかまわずに「早く!」と叫んでいる。
「そんなに早く死にたいのね。わかったわ」
面倒くさそうに言い放つと、川上ことLHは引き金にかかっている指に力を入れる。

 突然、川上に何かがぶつかった。

「きゃあっ!」
まったく身構えていなかった川上は、勢い余ってひっくり返る。視界の端に見えるのは、乱れた黒い髪。
「まさか森永が…ギャアッ!」
倒れたLHの右手に深々とナイフが刺さる。血が流れる手から、銃が落ちる。
「銃を!」
タックルをかました一紗は起きあがると、地面に落ちた銃を蹴飛ばす。銃は草むらまで飛んでいき、見えなくなった。
 すぐさま暁彦は渾身の力を込め、川上の腹部に膝をめり込ませる。女は胃液と血液をまき散らしながら、白目をむいて倒れてしまった。
「くっ…」
 今ので力を使い切ったのか、LHから離れた暁彦がその場にへたり込む。
「あ、暁彦くん大丈夫?」
「こんのバカズサっ!!」
自分の元に駆け寄ってきた少女に、暁彦は思いきり怒鳴りつける。
「何でてめえはここに来たんだ! ちょっと間違いがあったらおまえも死んでたんだぞ! 自分の力くらいわきまえろっ!」
一通り怒鳴った暁彦は、手を後ろについてぐったりとする。
「ごめん。でもここで決闘をやるって聞いて、待ってられなくて、つい…」
しゅんとする一紗。暁彦はフォローすることなくさらにたたみかける。
「おまけに普通、あの状況で『走れ』と言われて、すぐに走るか?」
「走れと叫んだやつに言われてもなー」
最初に「そいつに向かって走れ!」と言われたとき、一紗はすぐに川上に向かって突進した。戸惑っている姿は、暁彦が川上に見せた幻影だったのだ。
「一応おまえが走り出すことも考慮はしていたが、おまえとLHに隙ができたとき、LHの反応を見ながら仕留めようと思った。だが、おまえは何のためらいもなく走り出した」
「信じたから」
にっこり笑って一紗が言い放つ。暁彦は信じられないという表情でクラスメイトを見つめる。
「暁彦くんなら、何か考えがあると思ったもん。あのときの私にできることは、暁彦くんを信じることだけだったから」
屈託のない笑顔の一紗に、暁彦は憮然とする。
「おまえをおとりにして、俺が逃げるとか考えなかったのか?」
「あー、全然考えなかった。でも考えたとして、暁彦くんなら、隙ができたら攻撃するって思うんじゃないかな」
さらに憮然とする暁彦。
「ま、いいじゃん。結果オーライってことで」
「よくねえ! 少しは考えて行動しろバカズサ!」
もう一度怒鳴ると、暁彦は重い体を動かし、川上の前に行く。
「おまえのことはもういい。それよりも、こいつを始末しておかないとな」
「始末って…殺すの?」
「こいつは副担任だが、門衛のエージェントが本当の顔だ。こいつを殺しておかないと、後がやっかいだ」
ナイフを手にした暁彦は、切っ先を喉元に突き立てる。一紗が「待って」と声をかけようとしたとき。

「ちょっと待っとくれ」

 暗闇から、年をとった男の声が聞こえた。
 すぐにナイフを声がした方向に構える暁彦。一紗も身構えると、一人の老人が闇の中から姿を見せた。60代くらいの細身の老人は手に何も持っていないが、目つきだけは隙がない。暁彦は鋭く睨みつけるが、一紗は「あれ?」と首をかしげる。
「この人、どこかで見たことがある気がする」
小さくつぶやく一紗を気にすることなく、老人は暁彦を見る。
「LHまでやっつけてしまうとは。さすがだな、日下部暁彦」
よく通る朗々とした声で、老人がしゃべる。
 声を聞いた一紗は、血の気が引いた。
「ん? どうしたお嬢さん。顔色が悪いぞ」
「ま…まさか」
言葉がよどむ。自分の考えが信じられないといった様子で、それでも考えたことを口にした。
「月夜埜の父さん…?」
「おやおや。やはりわかってしまったか」
ポロシャツにズボン姿なのですぐにはわからなかったが、目の前の老人は間違いなく、月夜埜駅東口にいる易者兼情報屋の、月夜埜の父である。
「月夜埜の父さんも、門衛の人なの?」
「そうだよ。ああ、安心してくれ。お嬢さんや高清水の小僧の情報は組織には流してないぞ。その為に、もらうもんはもらっとるんだ」
にんまりと、情報屋の顔で月夜埜の父がしゃべる。
 暁彦が無言でナイフを構える。が、月夜埜の父は気にすることなくLHの側に行き、大柄な女性を軽々と抱き上げる。
「今日は何もせんよ。私の力は戦闘向きでないからね。今の君でも、私を殺すのは簡単だろうな」
「ならこの場で始末する」
暁彦の目つきがさらに鋭くなるが、老人はニマリと笑ったまま。
「私を殺すことはお勧めせんよ。Cを殺したら、おまえの今後がどうなるかくらい想像がつくだろう」
「Cだって!?」
今度は暁彦が驚き、血の気が引いていく。一紗はなんだかわからずにキョトンとしている。
「シングルが一人でこんなところに来るなんて、信じられるか」
「信じる信じないはご自由に。結果は身をもって知るだけだ」
暁彦はナイフを持ったまま動かない。月夜埜の父は笑顔のまま言葉を続ける。
「用事がないなら、私は帰るよ。LHはまだ役に立つから連れて行くぞ」
月夜埜の父は背中を向ける。隙だらけに見えるが、暁彦は動かない。
「あ、そうだ」
 数歩進んだ老人が、思い出したように振り返る。
「あんたが勝ったからな。一ついいことを教えておいてやろう」
無言で暁彦は睨むが、Cはあっさりと視線を受け流す。
「日下部梨乃は、アシアナ教会にいる」
「なっ…」
「えっ!?」
暁彦と一紗が、同時に声を上げる。
 カラン。とナイフがコンクリートの地面に落ちる音が響いた。
「それじゃあな。できれば二度と会わないことを祈ろう」
二人の様子を見た門衛の老人は、再び背中を向けると、今度は振り返ることなく空き地から消えてしまった。


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