月夜埜市中心街の西端に建つ古いアパート。フローリングの部屋で、LHが電話をしている。機嫌が悪いことから察するに、相手はCであろう。
「ええ。ですから今夜です。今夜、白黒はっきりさせます」
〈決闘とはまた古風な。しかし日下部暁彦の能力は、1対1の時に一番発揮されるぞ〉
「わかってます。でも、実質こっちの手駒は私だけですから変わりはないですよ」
〈ふむ〉
わかっているのかいないのか。曖昧な返事をするCに対し、部下は大きなため息をつく。
「大丈夫です、任務は果たします。今更私情を挟むほど、わからずやな人間ではないですよ」
〈わかっている。期待しているぞ〉
最後の返事を聞くやいなや、LHは即座に電話を切る。
「まったく。何がそんなに不満なのかしら。心配なら姿を見せるなり自分で戦うなりしてみなさいよ」
不機嫌に言い放つLHだが、Cの異能が戦闘向きでないことは知っている。
「所詮現場で働くのは、私たちみたいな末端の人間なのよね」
疲れた顔でソファに寝ころぶ。携帯電話がソファから落ちたが、拾う様子はない。
「任務だからね。たとえ表の顔でつながりがあっても、容赦はしない」
仰向けになったまま、天井に向かって指でピストルの形を作る。
「日下部暁彦もだけど、彼女もかわいそうね。でも勘弁してもらいましょ」
LHは、バン。と声を出し、天井を撃つ真似をした。


 夜もだいぶ更け、もうすぐ日付が変わろうかという時刻。
 一紗は、築十数年の少々くすんできた自分の部屋の天井を見ながら、ぼんやりと考えていた。
「なんか、ダメだなあ」
真奈美が眠り病にかかって以来、何一つ成果を上げていない。やる気と行動だけが空回りし、状況をかき回しているだけなのだ。
「これだったら克巳さんが言うとおり、手を出さないのが一番なんだろうけど…」
つぶやく一紗はしかし、異能を持ってしまった真奈美や、自分の状況に苦しんでいる暁彦を思い出す。
「やっぱり放っておけないよ」
だが自分にできることが思いつかない。一紗が廻れる範囲では、現地やネットでのめぼしい情報はない。それでいて、状況は悪くなっているように感じる。
「やっぱバイトしかないかな。お金を貯めて、月夜埜の父さんに質問をするんだ。時間はかかるし、聞くことをちゃんと考えなきゃだけど、今はそれくらいしかできないし」
 グルグルとたいしたことない思考を巡らせているとき、携帯電話が『笑点』のテーマソングを奏でた。
「電話…忠治さんだ」
あわてて通信ボタンを押すと、せっぱ詰まった声の忠治が〈よかった。繋がりました〉と言う。
「何かあったんですか?」
焦った口調に、一紗にも緊張が走る。先ほどよりも少しだけ冷静な声で、忠治が話を切り出す。
〈先ほど暁彦くんの家に行ったのですが、部屋に誰もいなかったんですよ〉
「え!?」
自分でも驚くほど、ひっくり返った声が出る。
〈悪いとは思ったのですが、暁彦くんの部屋を調べましたら、決闘をしようという手紙を発見しました〉
「け、決闘、ですか?」
場違いな単語に、一紗の思考は止まりかかる。が、容赦なく忠治の言葉がなだれ込む。
〈ハートマークのシールが付いた、ピンクの便せんに書いてありました。一見ふざけていますが、ほぼ間違いなく門衛からの果たし状だと思われます〉
「それって…」
暁彦がものすごい形相で見ていたラブレターらしきもの。あれは恋文ではなく、果たし状だったのだ。
〈そこには、今日から明日にかけての深夜0時、真野地区にある烏丸製薬第二月夜埜工場建設予定地に来いと書いてあります〉
「0時って、もうすぐじゃないですか」
〈はい。なので無理を承知でお願いがあります〉
忠治の声が固くなる。
〈今、私たちはどうしても動くことができません。警察には連絡してありますが、相手は門衛です。情報操作をされて、警察が動いてくれるとは限りません〉
「ちょっと待って下さい。も…組織の奴らって警察も動かせるんですか?」
〈簡単ではないでしょうが、可能性を考慮する必要はあります。ですから、森永さんに様子を見に行って頂きたいのです〉
「様子を、ですか?」
〈もちろん、遠くから見るだけでいいです。警察が来ていたらそのまま引き上げて下さい。もし警察がいなかったら、すぐに私に連絡を下さい。そして私たちが来るまで、そのまま見張っていて下さい〉
「警察がいない場合って…二人が決闘をしているってことですよね」
自分でもわかるくらい、声がこわばっている。
〈はい。なるべく早く向かうようにしますが、それまで暁彦くんが無事でいることを願うしかありません〉
いつもの冷静な口調に戻っているようだが、それでも、忠治の言葉の間からは焦りがにじみ出ている。
〈無理ならばかまいません。我々だけで何とかします〉
「…わかりました。家を抜け出せる保証はありませんが、行くだけ行ってみます」
〈ありがとうございます〉
忠治の口調に柔らかさが戻る。
〈くれぐれも無茶はしないで下さい。よろしくお願いします〉
そこまで言って電話が切れる。
 一紗は険しい顔で携帯電話を見つめている。本当は一刻も早く行かなければならないのだが。
「忠治さん…姫野さんは何を企んでるんだ?」
暁彦の決闘と聞いてあわてたが、冷静に考えると一紗が行く必要は全くない。どう転んでも邪魔にしかならないのだ。
 一紗を現場に行かせようとしているのは、おそらく姫野だろう。今までの経験と勘が、何かあると警告しているのだ。
「でも…暁彦くんが心配だよ」
しかし同時に暁彦のことも気にかかる。
 決闘はおそらく本当であろうと。一紗をおびき寄せたいだけならば、もっと現実味と説得力があることを言うはずだ。
「私が行っても、役には立たない。けど…」
一紗を突き飛ばしたときの、暁彦の悲しそうな顔が頭をよぎる。全部抱え込んで、一人で全部背負っている、同じ年の少年。
「ああもう! 考えたってわかんねえ! 罠でも何でも用意しやがれ!」
一紗は叫ぶと、必要最低限のものだけを手にして、部屋を飛び出した。


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