ノートの切れ端を持って、一紗は真奈美の家へ急ぐ。移動中、真奈美に連絡をしようと電話をかけたりメールを打ったが返事はない。不安だが、直接行けばメモだけでも渡せると思い、アポなしで行くことにした。
 昨日と同じく、古い地形に沿った道と排他的な雰囲気が一紗を迎える。
 三軒並んだ宇都木姓の表札の一番右。呼び鈴を鳴らすと、昨日よりさらに疲れた顔の母親、満美が出てきた。
「真奈美は取り乱しているようだから、入れてくれるかわからないわ」
困り顔で言う満美だが、家の中へはすぐに入れてくれる。
 一紗だけで真奈美の部屋に行く。昨日と同じように静かである。そっとノックをするが、返事はない。
「マナ、いるの? 聞こえる?」
呼びかけるが、やはり返事はない。
「ねえマナ、異能のコントロールについて聞いてきたの。訓練が必要だけど、少しずつコントロールできるようになるって…」
「それって、いつのこと?」
扉の向こうからくぐもった声。真奈美が弱々しい、しかし鋭い口調で問いかける。
「それは…何とも言えないけど、訓練すればそのうち」
「そのうちじゃダメなのよ!」
ガタンと小さな音とともに、扉が揺れる。枕か何かを投げたのであろう。
「今じゃないとダメなの! 私が心を読めるせいで、大事な人が遠ざかっていくの! 今すぐ、今すぐ何とかしてよ!」
「…マナ?」
「森ちゃんが受け入れてくれたから、ひょっとしたら大丈夫かもって思って、お父さんとお母さんに打ち明けたの」
一紗は息をのむ。顔が引きつっているのが自分でもわかる。
 真奈美の声が震えている。泣いているのだろう。
「でも、ダメだった。お父さんは取り乱して私を恐れて、口をきいてくれなくなった。お母さんは私の頭がおかしいって思いこもうとした。
 森ちゃんだって、本当は私の面倒を見たくないんでしょ? 不気味だと思ってるのも知ってるんだから」
「それは…でも私はマナを助けたい。だからコントロールの方法を…」
「同情なんていらない!」
今度は、さっきよりも大きな音を立てて扉が揺れる。
「帰って! 帰ってよ! もう来ないで! 話したくないの!」
ガタンゴトンと大きな音が響いた後、ズルズルと重いものを引きずる音が聞こえる。ドアの前にバリケードを作っているようだ。
 一紗は何かを言おうとするが、言葉が思いつかない。手に持った紙を見て、やっと口を開く。
「訓練方法は置いていくね。紙は他の人に見られないようにして」
言って、ドアの隙間に紙を差し込む。バリケードの隙間なのか、紙はすんなりと差し込まれる。
「今日は帰るね。また連絡するから」
返事はない。が、一紗はドアに背を向けた。

 階段を下りて、母親に声をかけるが返事がない。仕方なくあいさつだけしてから玄関の引き戸を開けると、門に二人の人物が立っていた。40代くらいの男性と、30代後半くらいの女性。二人とも、白い作務衣を着ている。
(桂木さん家の近くで見かけた人物と同じ服だ)
「こんにちは。宇都木さんのお嬢さんですか?」
「いいえ、私は…」
「どなたでしょうか」
一紗の後ろから、いつの間に出てきたのか満美が声をかける。薄っぺらい笑みを浮かべた二人組は、やはり角度だけ深い薄っぺらいお辞儀をする。
「私たちは、アシアナ教会の教会員です。眠り病が治った真奈美さんの様子を見に来ました」
アシアナ教会。と言う単語を聞いた一紗は、頭に血が上る。
「治ったなんてよくそんな戯言が…」
「ご用件はそれだけでしょうか」
少女の言葉を遮り、満美が冷たく言い放つ。
「眠り病から目が覚めた方の中に、まれに心の平安を保てない方がいます。なので、教祖様の命で、治療した患者さんを訪ねております」
疑惑の固まりだった満美の表情が和らぐ。信じちゃダメだ。と一紗が言う前に、母親は口を開く。
「真奈美は今、部屋に閉じこもっています。あなた達なら何とかして下さるのですか?」
「全力を尽くす。としか申し上げられません。最後に決めるのは真奈美さんですから」
「図々しいことを言ってんじゃねえよ! おまえたちがマナに変な力を付けたんだろ!?」
「変な力って、何のこと?」
貼り付けた笑みを浮かべ、満美が尋ねる。
「真奈美は自分がおかしいと思いこんで、部屋に閉じこもっている。そうでしょう?」
教会員に負けず劣らず薄っぺらな笑顔を見て、真奈美が「お母さんは私の頭がおかしいって思いこもうとした」と言っていたことを思い出す。
「おばさん。マナの言うことを信じないの?」
「森永さんは信じているの? だから真奈美を説得できなかったのね」
うつろに答える彼女の様子を目の当たりにし、一紗は、真奈美が母親に対して思ったことを理解した。
「おばさん、ダメだよ。ごまかしちゃダメだよ」
「ありがとう、森永さん。でも真奈美が落ち着くまでは、来てくれなくていいわ」
笑顔のまま、キッパリと言い切る満美。絶句した一紗から視線を外し、アシアナ教会員に向き直る。
「お話だけでも聞きましょう」
「助かります」
「おばさん、それでいいの? ねえってば!」
一紗が叫ぶが、満美は何事もなかったかのように娘の友人を追い出し、扉を閉める。
 ガチャリ。と鍵をかける音が、一紗の目の前で響いた。


 大きな古い家が並ぶ道を、一紗はトボトボと歩く。
「私、何もできてないや」
真奈美と、そして満美とのやりとりを思い浮かべながら、ポツリとつぶやく。
 真奈美の母親は、彼女の異能を受け入れることができなかった。おそらく、父親もだろう。アシアナ教会員はそこに付け入ったのだ。
 いや、一紗も受け入れるふりをしているだけかもしれない。
『同情なんていらない!』
突き放すように叫んだ真奈美の言葉は、正しいのかもしれない。心が読める友人を気味が悪いと思った…いや、思っているのは、本当だから。
「マナを助けたいって思っているのも本当の本当だと思う。けど、マナの気持ちを踏みにじって、自分だけ納得しようとしてるのかもしれない」
異能を持った真奈美のつらさを思い浮かべてみる。相手の心が見えてしまうつらさを考える。
 だが、頭でわかっても感覚で理解することはできない。
「せめて、すぐに異能をコントロールする方法があれば…」
あれば、真奈美の力はどうにかなる。が、満美たちの心が元に戻るとは限らない。
 否、一回拒絶された傷は、簡単には癒えはしないだろう。
 今の時点で、完全に元通りにすることは不可能だ。
「どうしたら、いいんだろう…」
目の前の道と家がにじむ。頬に暖かく濡れた感触が伝わると、勢いよく袖で目をこする。
「泣いちゃダメだ。泣いたって何の解決にもならない」
つぶやくが、涙は後から後からあふれてくる。
「泣いちゃ…ダメ…なんだ…」
耐えきれなくなった一紗は、路地に逃げ込み、声を押し殺して泣いた。


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