宇都木宅を後にした一紗は、すぐに電話をかける。が、相手はなかなか電話に出ない。留守番電話に切り替わり、用件を録音しようとした瞬間に、相手が出た。
〈もしもし、一紗ちゃんかい?〉
キザったらしい若い男性の声が、電話の向こうから聞こえた。
「はい。克巳さん、今話しても大丈夫ですか?」
〈少しだけなら。何か進展があったの?〉
 電話の主は、高清水克巳(たかしみずかつみ)。長谷部大学の2年生(3回生)で、ひょんなきっかけで一紗と眠り病の調査を一緒に行うことになったのだ。
 彼の姉、薫子が、先ほど真奈美に説明した「自分が目撃した、眠り病から目を覚ました知り合い」なのである。
「はい、実は…」
一紗は手短に、真奈美のことを伝える。しかし眠り病を治した美少女が暁彦の妹かもしれないということは黙っておく。暁彦のことは克巳にはちゃんと説明していないのだ。
〈…最悪の事態が起きたか〉
克巳の声が暗くなる。
「薫子さんは、今は変わりないんですよね」
〈少なくとも僕から見る限りは、眠り病になる前と変わらないね。今は普通に会社に通ってるよ〉
「そう、ですか」
やはり薫子は異能を持っていないようだ。何が違うのだろうと一紗は思うが、今はもっと大事な用事がある。
「マナの力をコントロールする方法、なにか知りませんか?」
〈正直なところ、僕も知らないんだよ。調べる当てはあるんだけど、ただ…〉
「ただ?」
〈実は今、少々ゴタゴタがあって、調べ物どころかまともに動ける状態じゃないんだよ。申し訳ない〉
「いえ、無理ならば…仕方ないです」
と答えるが、青年の答えに一紗は落胆する。正直なところ、掛け値なしに頼れる相手が克巳しかいないのだ。姫野なら知ってるかもしれないが、彼女に借りは作りたくないし、そもそも真奈美のことをしゃべるわけにはいかない。
〈本当は紹介したくないけれど…〉
一紗の落胆を感じたのだろう。克巳がためらいながらも口を開く。
〈君に、情報源のひとつを教えてあげる〉
「本当ですか!」
〈彼なら多分わかると思う〉
少し間を開けてから、再び克巳がしゃべる。
〈一紗ちゃんは、月夜埜の父って知ってるかい?〉
「知ってますけど、まさか彼が?」
〈そのまさかだよ〉
 月夜埜の父とは、月夜埜駅東口に夕方から夜にかけて現れる易者である。60代の人当たりが良さそうな老人で、よく当たると女子中学生や女子高生に評判の占い師だ。実は一紗も、成り行きで占ってもらったことがある。
〈易者兼情報屋ってところかな〉
「ただの占い師じゃないんですね」
〈僕からの紹介といえば大丈夫だろう。ただ、こういう情報に関しては、彼はものすごくがめつい。一紗ちゃんのお小遣いじゃ払いきれない額を請求されるだろうから、僕の名前でツケておいて〉
「そんなことできませんよ」
〈僕のことは気にしないで。むしろ、今はこれくらいしか協力できないからね〉
「…わかりました」
〈礼には及ばないよ。その代わり、一紗ちゃんも気をつけてね。あ、もうこんな時間か。申し訳ないけど、そろそろ失礼するよ〉
「今日は本当にありがとうございます。失礼します」
電話を切ってから、一紗はつぶやく。
「意外な人物の名前が出たなあ。今から行ってもいるだろうけど、もう遅いから明日かな」
一紗のいうとおり、日が長い時期なのにあたりはすっかり暗くなっている。既に今帰っても、母親に文句を言われるだろう。
「お金のことは…分割返済で何とかしてもらおう。異能のコントロールのこと、わかるといいな」
夜空を背景にした宇都木宅のシルエットを長めながら、一紗はつぶやいた。


 すっかり暗くなったニュータウン傘木地区にある公園を、暁彦は歩いていた。夜8時過ぎという中途半端な時間のためか、周りには誰もいない。公園を歩いているのは散歩ではなく、姫野宅から家への近道だからに他ならない。
 いつもの無表情で歩く暁彦。だが突然鋭い目つきになり、前方に走り出した。
 虚空から、日本刀が横なぎに一閃。刃があるのとは反対向きに刀を震っているが、当たったら骨折は確実だっただろう。
「拙者の一撃を、よくぞ避けたな」
「誰だ」
闇の中から、背が高い男が出現する。20代後半くらいの年齢であろう、アングロ=サクソン系の白人は、なぜか白い作務衣を身にまとってる。
「殺しはせぬ。生きてお主を捕まえよとの命令であるからな」
流暢だが時代がかった日本語で、白人男性が剣を構えて躍りかかった。
「ちっ」
暁彦は間合いを詰められないように離れ、肩にかけたカバンを男に放り投げる。
「こしゃくな」
飛んできたカバンを、男は一閃で真っ二つに切る。その隙に暁彦は男と距離を置き、ナイフを投げる。ナイフの軌道を読んだ男はやすやすとかわし、そのまま一気に暁彦に詰め寄る。再び日本刀男のみねうち。暁彦は身をかがめて避け、反動で男の腹をめがけて拳を突き出す。だがこれもギリギリでかわされる。
 間合いを開け、二人が対峙する。男は刀を、暁彦はナイフを手ににらみ合ったまま動かない。
 先に動いたのは暁彦。その場から、男にナイフを投げる。
「そんな動きでは拙者に当たらぬぞ」
ニヤリと笑って難なくナイフをかわす作務衣男。しかし。
「グハッ…!」
脇腹に鈍い痛み。見ると、暁彦の拳が男の脇腹にめり込んでいる。
「な、なぜ…」
男がガクリと膝をつく。無言で暁彦が、頸動脈にナイフを振り下ろそうとしたとき。
『やめて…暁彦…やめて…』
「梨乃!?」
突然、探しているはずの妹、梨乃の声が聞こえた。思わぬ出来事に、暁彦の動きが鈍る。
「ハッ!」
作務衣男が、日本刀の柄頭で暁彦の手を打つ。隙をつかれた暁彦はナイフを落としてしまう。
 男がいったん距離を置き、刀を構え直す。
「幻聴使いか」
小さく舌打ちをする暁彦に、男は不敵な笑みを浮かべる。
「お主も幻使いであったか。見事であるが、拙者も負けはせぬ。おとなしくついてくるならば、これ以上手荒なまねはせぬぞ」
「断る」
にべもなく否定する暁彦に、男は小さくため息をつく。
「この期におよんで断るとは。仕方ない。本気を出させて…」
「おまえたち! 何をやっている!」
横から別の男の怒鳴り声とともに、丸い光が暁彦と作務衣男を照らす。公園の入り口から懐中電灯を持った男が二人、走ってくる。シルエットから予想するに、警官のようだ。
「邪魔が入ったな。今日は退散するが、次はお主を捕まえるぞ」
刀を納め、男は素早く闇に消えた。暁彦もすぐにナイフとカバンを回収し、走り出す。警官が追いかけてくるが、雑木林に逃げ込んで彼らを撒く。
 しばらく二人の警官はあたりをうろついていたが、その場を立ち去った。応援を呼んだのであろう。いなくなったことを確かめ、暁彦も移動をする。
「あいつも、俺の異能を知らなかったようだ。それに、生きたまま捕まえると言っていた。あいつの目的は何なんだ?」
暁彦はポケットから、クシャクシャになったピンクの便せんを取り出す。昇降口で眺めていた手紙である。
「こんな手紙を送っておきながら、刺客を送りやがって」
手紙を広げても、もう一度文章を読み返す。
 手紙にはこう書いてある。

『Dear 日下部暁彦様

 刺客に襲われて、そろそろ疲れているんじゃないかしら?
 私も部下を殺されて困っているから、いい加減に決着を着けませんか?
 今度の金曜日から土曜日にかけての真夜中、真野にある烏丸製薬月夜埜第二工場建設予定地に来て下さい。
 私は一人で行くからノープロブレムよ♪
 来なければ、こちらから時と場所を選ばず、刺客を送ります。巻き添えなんて考えずにね。
 あと、決着の時までは、刺客を送らないから安心して下さいね(はぁと)

 愛を込めて LHより ×××』

「気にくわない」
クシャクシャの手紙をさらに握りしめた後、再び手紙をポケットにしまう暁彦。
「この手紙のせいで、一紗にはラブレターと勘違いされるし、俺が妙な行動をする幻を見やがるし」
言いながら、放課後に見た一紗の幻を思い出す。
「何であいつは、そんな幻を見たんだ。それに、梨乃のことも俺の恋人だと勘違いしてたな。好奇心にしては妙な気もするが…まさか、それ以上の感情を抱いているのか?」
自分はヨルの側に生きる人間。日の当たる場所で生活をしている少女が、自分に好奇心以上の感情を持つわけがない。
 そう思うのに、暁彦の胸がチクリと痛む。
「……?」
なぜここで胸が痛むのだろ。と疑問を抱いたとき、遠くから複数の人間の気配を感じた。
「警察の増援か」
暁彦は、人がいない方向へと移動した。


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