真奈美の家は、月夜埜市南東の元夜埜地域にある。このあたりは旧夜埜町の旧家の街で、真奈美の家も旧家のひとつである。
 かつての川や谷に沿った道筋は、ニュータウンのまっすぐな区画に慣れた一紗には、歩きやすいがいささか違和感がある。排他的な圧迫感は、いくつかの同じ苗字が並ぶ大きな家のせいだけではないだろう。
「ここかな」
満美から聞いた住所を頼りに宇都木家を探すと、あたり一帯では平均的、しかし一紗の家より大きい一軒家が見えた。左二軒も宇都木性だが、一番右だとメモには書いてある。
 チャイムを押すと、すぐに返事が返ってきた。
 小柄で細身の中年女性が引き戸を開ける。彼女が真奈美の母親の満美だ。
「いらっしゃい、森永さん」
以前よりやつれた顔の満美は、しかし丁寧に一紗を娘の部屋へ案内する。
「真奈美は退院してから、私とも父親とも顔をあわせてくれなくなったの。本当は誰にも退院した事を知らせないで。と言われれたけど、森永さんだけでも話しておかないとと説得したの」
満美の言葉から、疲れと不安がにじみ出る。うまい返事が思い浮かばない一紗はだまりこむ。
 などと言っているうちに、真奈美の部屋に着いた。木でできたプレートに『MANAMI』と書いてある。
「私たちには話せなくても、友人になら話せることがあるかもしれないわ。大変かもしれないけど、娘を、真奈美をよろしくね」
「はい。どこまで力になれるかわかりませんが」
会釈をして、満美は階段を下りていった。
 一人になった一紗は扉を見つめる。部屋の中からは人の気配はするが、動きはないようだ。
「よし」
大きく深呼吸をしてから、ノックをする。
「森ちゃんね」
文字通り、扉一枚隔てた、くぐもった声。
「せっかく来てくれたけど、誰にも会いたくないの。帰ってくれる?」
「どうして? 何かあったの?」
返事はない。
「ひょっとして、人には話せないこと?誰にも理解してもらえないこととか」
やはり返事はない。不安になるが、まだ一紗は口を開く。
「私、別の人が眠り病から目覚める瞬間を見てきたよ」
それでも返事はない。代わりにカタリと小物が当たる音がした。
 少し迷ったが、思い切って口を開く。
「ものすごい美少女が、手を握っただけで目を覚ました。常識ではとても考えられない現象だった。だから私はちょっとやそっとじゃ動じないよ」
言いながら心の中では、幻影とかピンクのハートをちりばめた光線を見たから平気だと考えていたりする。
「お願い、マナ。せめて姿だけでも見せて」
またまた応答はない。が、カタカタと何かが動く音がする。
 少し間を置いてからゆっくりと扉が開き、茶髪のショートヘアーの少女が顔を出した。眠っているときよりもさらに痩せ、青白い顔をしている。
「入って」
白地にピンクの花柄がちりばめられたパジャマ姿の真奈美が促す。一紗は素直に部屋に入る。
 綺麗に整頓された部屋は、ピンクを基調とした家具が並び、所狭しとぬいぐるみやミニチュアの家具や食器が並んでいる。
 一紗に座るように促すと、真奈美は淡いピンク色のテーブルを挟んで正面に座る。しかし、下を向いて目を合わせようとしない。どうしたんだろう。と一紗は思う。
「目を覚まして良かった」
複雑な気持ちを隠し、一紗が言うと、真奈美は下を向いたまま小さくうなずく。
「私はずっと眠ったままだったから、正直、久々という感覚も眠り病にかかっていた実感もないの」
友人の言葉に一紗は納得する。確かに真奈美にしてみたら、広場にいたはずなのに、目を覚ますと別の場所にいたことになるのだろう。
「お母さんから聞いたわ。入院中、何回もお見舞いに来てくれたんだってね」
「うん。話しかけたりもしたよ」
「さっきの言葉」
ここで一旦真奈美の言葉が切れる。少し間を開けた後、再び話しだした。
「森ちゃんは眠り病について、色々知っているみたいね」
「色々はわからないけど、少しは調べた」
「そっか」
下を向いていた真奈美が顔を上げる。先ほどより青ざめているが、何かを決意した、強い意志を感じる。

「文字」
 一言だけ、友人は言った。

「文字?」
「森ちゃんの周りに、文字が回っているの」
「回って…って、どういうこと?」
「言葉の通りよ」
しっかりと相手を見据えている真奈美はさらに青ざめ、よく見るとギュッと握った拳が震えている。
(何を突然言い出すんだろう。文字が回ってるってどういう意味?)
「『何を突然言い出すんだろう。文字が回ってるってどういう意味?』」
「……!」
自分が心の中で思った通りの言葉を言われ、一紗は思いきり目を見開く。
(ちょっとまって、今私が思ったことをそのまま言ったよ。どういうこと?)
「『ちょっとまって、今私が思ったことをそのまま言ったよ。どういうこと?』」
またもや真奈美が心の言葉を口にして、さらに一紗を混乱させる。
(つまりそれってマナが私の心を読めるって事で文字が回るって事は私の言葉が文字になって見えていて要するにマナは相手の心が見えるわけで…)
「『つまりそれってマナが私の心を読めるって事で文字が回るって事は私の言葉が文字になって見えていて要するにマナは相手の心が見えるわけで…』心の中から騒がしいのね、森ちゃんは。それに思考が堂々巡りになってるわよ」
「え…あ…」
何か言おうとする一紗だが、言葉が続かない。驚いたまま固まっている少女を見て、真奈美は再び目を伏せる。
「眠り病から目覚めたら、こうなっていたの」
下を向いている友人の顔は見えない。が、声は先ほどより弱々しい。
「最初、人の周りに文字が回っていて、何だろうって思ったの。人と話をしているうちに、何となくだけど、その人が考えていることが文字になって見えているんだって気づいたわ。そして、恐くなった」
「恐く、なった?」
「だって他人の心を読むなんて、本来はあってはいけないことでしょう?でも、私にはわかる。気づいてから、誰にも会えなくなった…」
声を震わせてしゃべる真奈美の瞳から、涙がこぼれる。
「マ、マナ?」
一紗はあわてて真奈美の隣に移動し、肩を抱く。少女はそのままポロポロと涙を流す。
 肩を震わせて泣いている真奈美が落ち着くまで、一紗は黙って友人を抱きしめた。


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