お弁当を食べ終わった一紗は、大急ぎで待ち合わせ場所に向かう。明里と志穂にからかわれた気がするが、気のせいということにした。
 暁彦は、踊り場前の一番上の階段に腰掛けていた。横にコンビニの袋が置いてあるところから察するに、ここで昼食を取っていたのだろう。
「おまたせ」
「ああ」
一人分くらいの間を開けて一紗が階段に腰掛けると、早速暁彦がメモ帳を取り出す。
「俺から伝えることはない。情報収集をしている時間がなかった」
「そりゃそうだろうね」
別行動を取っているとき、暁彦は誰かに襲われたのだ。そのような状態で、悠長に調査などできなかっただろう。
「こっちもそんなに収穫はなかったよ」
眠り病になった老人が倒れたときには周りに誰もいなかったこと、症状は他の眠り病患者と同じであろう事、同じ日に見知らぬ少年が歩いていたが、関連があるかは不明であることを伝える。
 少年。と言う言葉を聞いた暁彦は一瞬だけ顔がこわばったが、一紗は気づかない。
「あと、患者の家にも行ったんだけどさ、問答無用で追い払われたよ。塩まで撒かれて参ったね」
おどけた口調で伝えるが、一紗の前に患者の家を訪れた白い作務衣の男の事は秘密にする。
 暁彦は、彼の保護者的存在である姫野真咲(ひめのまさき)に命じられて、眠り病の調査をしている。一紗は間接的に姫野と情報交換をしている形だが、彼女が何を企んでいるかわからないため、情報を全て流さずに小出しにしている。
(申し訳ないけど、まだ私がアシアナ教会の存在を知っている事は知られたくないからね)
一紗も気構えがあれば、嘘の一つや二つはつけるのだ。
「で、今度はどこを調査するの?」
「どこでもいい」
答える暁彦は、どこか投げやりだ。いつもの無表情だが、心ここにあらずのようである。他の事に気を取られているようだ。
 だとすると、一紗の心当たりはひとつだけ。
「梨乃さんの事が気になる?」
さりげなく聞いてみる。が、梨乃の名前を出したとたん、暁彦の顔が険しくなる。
「おまえには関係ない」
「関係なくないよ。調査にも身が入らないみたいだし、この間は幻影をかけられたし」
幻影。という言葉に、少年はわずかに困惑する。
「そのことに関しては、すまなかった」
珍しく…ひょっとしたら初めて謝られた一紗は、驚きで目を見開く。
「感情的になると力が暴走して、意図せずに能力が発動する事がある。そういうときの力は、相手に負担をかけたり、場合によっては気絶させたりするんだ」
「暴走?」
一紗は、先日異能を使われたときの事を思い出す。

 暁彦が使う幻影の異能は、使用した相手に対し、彼が次に行うであろう動作などを幻として見せるものである。
 通常は、考え事をしている状態から我に返るように、幻から解放される。
 しかしこの間、一紗が幻影を見せられたときは、なぜか気を失っていて、さらに全力で走った後のように体が重く、だるくなったのだ。

「いいよ、過ぎた事だし」
「朝、元気そうなおまえを見て安心した」
暁彦の言葉に、一紗の顔が赤くなる。
「い、いや、頑丈なだけが私の取り柄だからねっ」
照れ隠しなのか、手をパタパタ動かして答えるが、暁彦は気にすることなく話を続ける。
「ついでに、ひとつ誤解を解いておく」
「ほえ?」
いつもの無表情で、暁彦は前を向き、言った。

「梨乃は、俺の双子の妹だ」

「………え?」
突然のカミングアウトに、一紗の思考が止まる。
「幻影を使うと、相手がどんな幻を見ているのか、俺にはわかる」
「わかる?」
「相手がどんな幻を見ているかがわからなければ、予測して行動する事はできない」
淡々と説明する暁彦。確かに彼は相手の行動を読み取るように次の動作を行う。幻影の一番やっかいな部分でもある。
「ってことは…」
「だから誤解を解いておくと言った。梨乃は、恋人じゃなくて妹だ。俺にくだらない事を言わせるな」
ズルリ。と一紗の体が、階段一段分滑った。上の段と手すりにもたれかかったまま、呆然としている。
「どうした?」
「ち、力が抜けた…」
梨乃という人物が、暁彦にとってどういう相手なのかが気になっていたが、このタイミングで答えられるとは思っていなかったのだ。
 実は梨乃は暁彦の双子の妹。ありきたりなオチでも、当事者になるとホッとするものだ。と一紗は思ってしまう。
「暁彦くんは、妹さんを捜しているの?」
暁彦がいぶかしむ中、体勢を戻した一紗が尋ねる。
「ああ」
「二人で逃げ出したが、程なくはぐれた。今はどこにいるのか全くわからない」
暁彦の顔がつらそうにゆがむのを見て、一紗は暁彦と一緒に見た幻を思い出した。
「暁彦くんが見た幻の女の子が、梨乃さんなんだよね?」
「そうだ」
視線を逸らす一紗。
 一紗が見たのは一瞬だったが、「梨乃」には見覚えがある。
(アシアナ教会で、眠り病を治した女の子にそっくりだった。あれだけの美少女を見間違えるはずないもん)

 アシアナ教会とは、月夜埜市の山奥を本拠地を置く、新興宗教団体である。どんな活動をしているのかは不明だが、そこにいる美少女が眠り病を治した場面を、一紗は目撃している。

 暁彦には、自分がアシアナ教会に行った事を話していない。その状態で梨乃の事を話すべきか迷ってしまう。
「ずっと、梨乃さんを捜してるんだよね」
「組織に戻されたにしろ、別の場所で捕まっているにしろ、殺される事はないはずだ。だけど、俺一人の力では、梨乃の情報にたどり着く事はできない」
一見無表情だが、どことなくつらそうな暁彦。妹の居場所が見つからなくて、途方に暮れているのかもしれない。
 落胆する少年を見て、一紗の心がズキリと痛む。
(本当は内緒にしておきたいけど…でも、暁彦くん…)
アシアナ教会の事を話してしまおうか。と思ったとき、邪魔をするようにチャイムが鳴った。
「予鈴か」
機械的なベルの音を合図に暁彦が立ち上がる。いつもの無表情で階段を下り始める。
 一紗は動かない。
 全く振り返ることなく、暁彦は行ってしまった。

 クラスメイトの姿が見えなくなってから、一紗ものろのろと動き出した。
「梨乃さんの事、言いそびれたな」
アシアナ教会の事を話したくない故に、梨乃の事を内緒にしているのも本当だ。
 しかし一紗にはもう一つ懸念がある。
「梨乃さんを見つけたら、暁彦くんはどうするんだろう」
捕まっている梨乃を暁彦が助けたとき、ここに残るとは思えない。

 どこか遠くに行ってしまうのでは。

 一紗はそう思ったのだ。

 双子の妹と、なじみ切れていない今の生活。どっちを選ぶかは明白だ。
 だから一紗は言い出せなかった。
「そんなんで秘密にするなんて、本当はダメだよな」
廊下を歩きながら、一紗はつぶやいた。


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