月夜埜市の西端、夜埜ダムからさほど離れていない場所にあるキャンプ場。
 コテージを二つ借りた夜埜高校1年C組一行は、例に漏れず、ドンチャン騒ぎで盛り上がっていた。お菓子の袋やジュースの缶、なぜかビールやチューハイの缶や日本酒の瓶も転がっている。
「♪く〜くるくるくるらぶらぶ らぶらぶぼんば〜 あ〜いつのハートに ドッキュン命中♪」
一紗を中心とした女子生徒五人が、人気アイドルグループの歌を、振り付きで歌っている。
「♪で〜も で〜も あ・い・つ・のハートにダメージな・し」
「♪な〜しな〜し」
「♪ど〜して ど〜して な〜ぜなぜなぜ」
「♪なぜなぜっ!?」
『♪ヘイ!』
一斉に上がるかけ声。ノリノリのクラスメイトたちは大いに盛り上がっている。人数よりもかけ声が少ないのは、部屋の隅で酔いつぶれている奴らが何人もいるためであろう。
「森ちゃん、振り付けうまいなあ」
「まっかせといて!」
手でピストルの形を作り、ウインクをしながら答える一紗。振り付けの一部らしい。
「声真似は微妙だけどな」
「微妙言うな。最近、物真似の練習する時間がないんだよ」
「時間無いよねー。日下部くんにガンガンアタック中だもんね」
「おい待て!そこでその話題出すか明里!」
「だって面白いもん」
「森永、すっげーわかりやすいし」
「どうして日下部の奴気づかねえかな」
「うんうん、あれは気づいてないね」
ちなみに、話題に上がっている暁彦はその場にはいない。
「ずーわー!言うなーっ!」
反論する一紗の顔は真っ赤。お酒が入っているためだけではないようだ。
「…つうか、そんなにわかりやすい?」
「うん」
クラス委員の質問に、仲間たちは異口同音に返事をする。
「知ってんなら、少しは応援しろよ」
「応援はしてるよ」
「協力はしないけど」
「思い切りからかうけど」
「ひどいやみんな!ささやかに片思いをしている私をからかうなんてっ!」
演技がかった口調で言う一紗。何かが吹っ切れたらしい。
「何が『ささやかに片思い』だよ」
「これだけやかましく騒いで片思いしている奴なんて、俺はしらねえぞ」
「まあそこは否定しない」
「否定しないんだ森ちゃん」
「今日なんてチャンスじゃん。思い切って告っちゃえば?」
「いや、あの、それはその…今言っても、本気にしてもらえない気がするし…」
逃げて命を狙われて、それどころではないからなんて、当然言えるわけがない。
「そんなことを言ってると、誰かに取られちゃうぞ」
「そうそう。日下部くん、カッコイイもん」
「無愛想だけどね」
「ちぇ。所詮、男は顔かよ」
「あら、男だって顔で見るでしょ?」
「いや、俺は乳で見る!」
「いやだー!」
「やらしー!」
「スケベー!」
 攻撃対象が「乳で見る」発言をした男子になった隙に、一紗はこっそり外へ出る。
「他人をいじるのは大好きだけど、いじられるのは疲れるね、まったく」
 自分勝手なことを言いながら、キャンプ場の外を歩く。所々に灯りはあるものの、基本的には薄暗い。郊外の薄明るい赤い夜空には、まばらに星が散らばっている。
 コテージから離れ、少し歩くと、道の片側に月夜埜市の夜景が広がる。線路と高速道路を中心に、繁華街に灯りが散らばる。都会に比べれば小規模だろうが、それでも空の星よりは明るく数が多い街灯りが、一紗の目に映る。
 視線を前に戻すと、展望台のようになっている場所で、一人の少年が柵にもたれかかっていた。
「暁彦くん」
遠くを見ている暁彦の姿を確認した一紗は、先ほどクラスメイトたちにからかわれた事を思い出し、顔を赤くする。
「こんなところにいたんだ」
平静を装い、暁彦の隣に行く。彼は少しだけ眉をひそめたが、追い返す様子はないので、そのまま隣に居座る。
 眼下に広がるのは、先ほど見えた月夜埜市の夜景。視界が開けている分、景色がよく見える。
「ここの夜景も捨てたもんじゃないね」
地上に散らばる灯りを眺めながら一紗が言うが、暁彦は暗い顔で目を伏せる。
「夜景は、嫌いだ」
「どうして?」
夜景から顔を背けた暁彦は、少しだけ迷って、口を開く。
「生活があるから。俺とは無縁な、普通の暮らしの灯りだから」
淡々と言われた答えに、一紗は口をつぐむ。
 一紗には想像できないのだが、暁彦はいわゆる『普通の生活』とは無縁の人生を送ってきたらしい。
 正面に視線を戻した暁彦は、月夜埜市の夜景をひどく遠い目で見つめている。
「…そうかな?」
「ん?」
「本当に暁彦くんは『普通の生活』とは無縁なの?」
暁彦は夜景を見つめたまま黙り込む。インターの出口を、車が一台通りすぎていく。
「今の自分を見下ろしている自分が、いつも心のどこかにいるんだ。『おまえの居場所はここじゃない。こんな平穏な場所にいてはいけない』って、ずっとずっとささやいている」
「そんな…」
「身につけたのは、生き延びるために相手を骨抜きにすることと、殺すことだけ。いくら逃げても刺客は放っておいてくれない。
 こんな俺が、平穏な普通の生活を送れると思うか?」
夜景を眺める暁彦が、わずかに顔を歪ませて言う。唇をかみしめる様子が寂しそうだと、一紗は思う。
「普通の生活って、なんだろうね」
「…え?」
顔を横に向ける暁彦。目の前のクラスメイトは、少しだけ困った表情で微笑んでいる。
「今までさ、学校に行って買い物に行って家で家族と話をしてって生活が普通だと思ってた。
 でも、暁彦くんのことを知って、心休まることのない、殺伐とした世界があることも、肌で感じた」
「……」
「私が普通だと思っていた世界が、もろいものだと知ってしまった」
再び一紗は、夜景に目を向ける。目前に広がる景色は、空の星よりも明るく自己主張をしている。
「自分のいる世界はもろい。それを知ってから、私にとっての普通の生活は『守りたい生活』になったんだ」
ゆっくりと月夜埜市を見下ろす一紗。優しく、穏やかに街を見下ろす瞳に迷いはない。
「だったら、どうして」
「ん?」
「どうして、眠り病や俺のことに首を突っ込む? 調査次第では、おまえの日常を脅かすかもしれないんだぞ」
「うーん。そこを突かれると痛いなあ」
景色を見たまま、一紗は苦笑いを浮かべる。
「確かに守るって言ったって、私にできることはタカがしれてる。けど、私が守りたい生活の中には、眠り病にかかっている友人を起こすことも入ってるし、それに…」
声のトーンが上がり、言葉がよどむ。下を向いた一紗の顔が、髪の毛で隠れる。
「…暁彦くんも入ってるんだよ」
やっと聞こえるくらいの声で、ポツリと言った。
 しばらくキョトンとしていた暁彦だが、やがて照れくさいような、困惑したような、複雑な表情を浮かべる。
「お、俺がいたら色々面倒だぞ」
「面倒だと思ったら、最初から首を突っ込まないよ」
顔を上げ、真顔で暁彦を見る一紗。薄暗い中でもはっきりとわかるくらい、真っ赤になっている。
「前にも言ったでしょ。暁彦くんのことを…もっと、知りたいって…」
 顔が火照る。
 手のひらが湿る。
 心臓が高鳴る。
「わ、私…」
一紗が、続きの言葉を紡ごうとした時。
 暁彦が、険しい顔で横を向いた。
「…?」
言葉を飲み込む一紗。険しい顔のまま暁彦はゆっくり前に向き直ると、小声でささやいた。
「誰かいる」
「えっ!?」
一紗も横目で、暁彦がさっき見た茂みに視線を移す。姿は見えないが、確かに複数の人間が隠れている気配を感じる。
「これだけの人数なのに、どうして今まで気づかなかったんだ?」
「暁彦くんを狙ってるの?」
「いや、殺気はない。多分見張っているだけだろう」
油断無く茂みに注意を払う暁彦だが、一紗はなぜか怪訝そうに首を傾ける。
「複数って、何人くらい?」
「多分、十数人だ」
「暁彦くんを狙っている刺客って、気配を消したりするのうまいよね?」
「相手にもよるが、素人に気づかれる奴はあまりいない」
「…多分、狙っているのは暁彦くんだけじゃないな」
 突然、一紗は茂みに向かって走り出した。
「お、おい!」
 暁彦が止める間もなく、一紗が茂みに突っ込む。
 同時に、複数の少年少女が茂みから飛び出した。
「こらーっ! 明里! 志穂! 小舘! 他の奴らも待ちやがれっ!!」
ワーワー言いながら飛び出す人影は「見つかった!」「逃げろ!」「惜しかった!」などと言いながら散り散りに逃げる。彼らを一紗は容赦なく追いかける。
 一人残された暁彦は、あきれた様子でその光景を見ていた。
「なぜC組の連中が隠れていたんだ?」
自分たちが会話をしている場面を、野次馬全開で覗き見されていたという発想は、暁彦にはないようだ。
「それにしても…一紗は、何を言おうとしたんだ?」
一紗が走り去った方向を見ながらつぶやいた。


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