「住所からいくと、このへんだけど…」
 山間の中でも高い位置で、奥まった場所にある桂木宅に、一紗は一人で来た。
「暁彦くん、どこに行ったんだろう。連絡取れないし」
携帯電話を見るが、着信はない。
「困ったなあ。待ち合わせ場所にも来てなかったし」
電話をしてもメールを打っても返事はない。困ったあげく、一紗だけで桂木家に行くことにした。

 隣に広い畑がある桂木家は、他の家よりもひときわ大きい。この辺りの有力な旧家なのだろう。
 ただ困ったことに、『桂木』の表札がある家が二軒並んでいる。一軒は苗字のみ、もう一軒は家族の名前が書いてあるが、眠り病患者の名前はない。
「消去法でいくと、苗字だけの家だと思うけど…」
自信なさげにつぶやくと、苗字だけの家のチャイムを押す。しかしチャイム音が響くだけで、誰も出ない。
「留守? それとも患者さんだけの一人暮らしだったのかな。隣の桂木さんは親戚だよね。行ってみようかどうしようか…」
うなりながら考えていると、突然、隣の家から「出てけ!」と大きな怒鳴り声が聞こえた。
 何事かと思い、もう一軒の桂木宅を見ると、白い作務衣のような服を着た40代くらいの男が桂木宅から出てきた。
「二度と来るな!」
男に白い粒がバサリとかかる。塩を撒かれたようだ。  彼らはされた仕打ちも、体にかかった塩も気にすることなく、一紗の横を通り過ぎる。
 作務衣男は、心の底から残念そうにしている。まるで。
(宗教の勧誘に来る人みたいだ)
 男が通り過ぎた後、再び隣の桂木家を見る。
「うう、行きづらいなあ。でも、虎穴に入らずんば虎児を得ず。だ」
かなり躊躇した一紗だが、覚悟を決めて隣の家に行き、家族全員の表札がかかっている桂木家のチャイムを鳴らす。
「誰だ」
不機嫌そうな、中年男性の声。少しひるんだが、思い切って話を切り出した。
「あの、初めまして、森永と言います。桂木喜一郎さんのことで聞きたいことが…」
「帰れ!」
話を遮り、男が怒鳴る。聞く耳を持たないようだ。
「待って下さい。私の友達も眠り病で、何か対策を立てられないかと思って、お話を聞きたいと…」
「話すことはない、帰れ!」
「だから話だけでも…」
「帰れ帰れ帰れ!」
勢いよく扉が開き、パンチパーマをかけた細身で神経質そうな中年男性が出てきた。怒りをあらわにした男が、握った拳を振り上げる。
 思わず身構えた一紗だが、殴られる代わりに、体に細かい物がたくさん当たった。体や服にキラキラした物がかかっている。塩のようだ。
「眠り病を治したければ、さっきの奴にでも言えばいいだろう! これ以上我々にかまわんでくれ!」
男は一紗を突き飛ばした後、ピシャリと扉を閉めてしまった。
 バランスを崩しながらもどうにか転ばずにすんだ一紗は、半ば呆然としながら、完全に閉ざされた桂木家の玄関を眺める。
「ある意味予想通りだったけど、まいったな」
どう考えても話を聞けそうにない。一紗は諦めて、桂木邸をあとにする。
「そういえばあの人、気になることを言ってたな」
 一紗に向かって怒鳴った時、男性は「眠り病を治したければ、さっきの奴にでも言えばいいだろう」と言っていた。
「てことは、さっきの作務衣男はアシアナ教会の信者か? あちこちにちょっかいを出しに来てるんだな」
男がいなくなった方向を見ながら、一紗はつぶやいた。


 再びバス折り返し場に戻ると、今度は暁彦はちゃんといた。どこか遠くを見ているようだ。
「どうしたのよ。時間になってもここに来ないし、連絡も取れないし。一人で桂木さんのところに行っちゃったぞ。成果なかったけど」
しかし、暁彦は返事をしない。なにやら顔が険しい。
「ねえ、どうしたんだよ…」
様子がおかしいことに気づいた一紗が、暁彦に一歩近づいた時。

 突然、目の前の景色が変わった。

「え!?」
正面にいるはずの暁彦の姿は見えず、広い豪華が部屋が現れる。
 わずかにピンク色が入った壁。シンプルだがオシャレな白い棚とクローゼット。棚の上にはたくさんのぬいぐるみ、やはり白のテーブルとソファ。ピンクと赤の花柄クッションがアクセントになっている。ピンクの花柄シーツのベッドはとても大きい。
 白いワンピースを着た美少女を置いたら絵になるようなかわいらしい部屋だが、窓がないためかそれ以外か、なぜだか息苦しさを感じる。

「何だこれ!?」
一紗が叫んだとたん、はじけるように部屋が消えた。
 青空と山と畑が背景に広がり、目の前には、難しい顔をした暁彦が立っている。
「幻…?」
「一紗も見たのか? 今の景色」
「暁彦くんも見たの? 白とピンクのかわいらしい部屋」
「ああ」
やや焦点が合っていない瞳で、自分の手を見る暁彦。
「大丈夫? 顔色が悪いよ」
「問題ない。しかし、以前ここに来た時は、幻なんて見えなかったんだが」
「へ? 前にもここに来たの?」
ちっ。と暁彦が舌打ちをする。わずかだが、よけいなことをしゃべったと表情に出ている。
「ああ、一回だけ来たことがある。気になることがあったんで、もう一度調べたいと思った」
「そうなんだ。前に来た時には、幻は見えなかったんだよね?」
面白くなさそうに暁彦がうなずく。
「さっきおまえが幻を見たのは、俺の近くにいたからだろう」
「それって、組織がらみ?」
「…わからない」
顔を上げた暁彦は、再び山を見る。
 気になるだけなのか、心当たりがあるのか。今は何を言ってもムダだと思った一紗は、近くのベンチに座る。
 月夜埜市の山間は、家が点在し、斜面に畑が広がる。再開発が進む月夜埜駅からバスで一時間弱で、一般イメージの『田舎』に行けるのが、ニュータウンで育った一紗にとっては妙に不思議な気分になる。
 ふと暁彦に視線を戻す。相変わらず遠くを見つめたままだ。
「あれ?」
一紗は、少年の右手の甲に切り傷を発見した。少し前に出来た傷なのか、血が固まりかけている。
「暁彦くん、血が出てる」
「ん?」
「手の甲、血が出てるよ」
「…あ、ああ。さっき襲われた時に怪我をしたんだ…」
「ちょっと待って!」
サラリと出た不穏な単語に、即座にツッコミを入れる。
「さっき襲われたって、組織に? 大丈夫なの!?」
しかめっ面で目をそらす暁彦。彼的にさっきから失言が続いているようだ。
「刺客は大丈夫だ。すぐにやっつけた。この怪我も直接攻撃されたんじゃなくて、近くの枝に引っかけただけだ」
「そうなの? 無事でよかったよ」
居心地悪そうにする暁彦を見て、目の前の少年が命を狙われていることを、一紗は改めて認識する。
 その後、会話がとぎれるが、程なくバスがやってきた。数人の人間を下ろしたあと、そのままバスは待機する。
「そろそろ行く? 親睦会の集合時間までそんなにないし」
「そうだな」
短く言葉を交わし、一紗と暁彦はバスに乗り込んだ。


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