斜面の合間に家が点在する、月夜埜市西部。低いが北から西にかけて連なる山。畑が広がり、合間に家が点在している。
 独特の静寂と雰囲気の中、くすんだ色合いの家のガレージ前で、40代から50代くらいの女性が三人、静寂を突き破るにぎやかな声で笑い、話している。近所のおばさんたちの井戸端会議であろう。
 姦しいという言葉がピッタリの、やかましくしゃべり続けるおばさまたちに、一紗は近づく。
 見知らぬ少女の出現に、女性たちは明らかな不信感と不快感をあらわにするが、一紗が真剣な顔で何かを話し、頭を下げる。すると、彼女たちの表情は柔らかくなり、多少の警戒心を残しながらも話し始めた。
「桂木さんところのおじいちゃん、寝たきりになったって聞いたけど」
「あら。あたしは病気で入院したって聞いたけどね」
「うち、桂木さんが救急車で運ばれていくところを見たわ」
「ええ、そうなんですか? 大変だったんでしょうね」
一紗が驚き、しおらしく言うと、おばさんの一人が「そうなのよー」と話を続ける。
「桂木さんの畑、うちの近所なんだけど。そこに救急車が止まったから、何事かと思って外に出てみたらビックリしたわよー。おじいちゃんが倒れてるじゃない。傍らに青い顔をした息子さんがいてねえ」
「そのまま、救急車で運ばれたんだっけ?」
「そうそう。桂木のおじいちゃん、一人で畑仕事をしている時に倒れたみたいで。息子さんが様子を見に畑に来なかったら、どうなっていたのやら…」
「ということは、桂木さんは一人で倒れていたんですよね」
「そういうことになるわねえ。息子さんも、おじいちゃんが倒れてから出てきたみたいだし」
「あ、そういえば」
おばさんの一人が、何かを思い出したようだ。
「桂木さんのところにじゃないけど、その日、見知らぬ男の子を見たわ」
「男の子?」
眠り病をもたらすと言われる『蠱惑的な美少年』の話を思い出し、思わず顔をこわばらせる。
「顔は覚えてないんだけど、結構かっこよかった男の子だなー。って思ったわ。あちこち調べまわっていたから、何となく覚えていたのよね」
おじいちゃんと関係があるかわからないけど。と、女性が付け加える。
 放っておくとずっとしゃべっていそうなおばさま方に丁寧にお礼を述べ、一紗はその場を離れた。
「うーん。この人も多分、突然倒れたパターンだろうな。畑の真ん中で昼寝をしようって人は、ほとんどいないだろうし。少年の存在も気になるなあ。
 もう少し情報収集をしてから、暁彦くんと桂木さんの家に行ってみよっと」
きびすを返し、一紗は別の場所に移動した。


 一方、暁彦は山を調査していた。
 山小屋や神社などを中心に探し物をしている暁彦は、どこか思い詰めたような表情をしている。
「これだけ探しているのに、全く手がかりが見つからないなんて」
小さなほこらがある山道の前で、暁彦がつぶやく。
 ふと顔を上げる。と。

 目の前に、部屋が見えた。

「え!?」
 机と椅子とベッドがあるだけの、薄暗い質素な部屋。ベッドには、黒いショートヘアーの女性が眠っているが、程なくゆっくりと目を開ける。
 女性が体を起こそうとした時、景色が揺らいだ。
「な…」
暁彦が呆然としているうちに、部屋の景色は消え、先ほど見た小さなほこらがあった。
「幻か? 今のは一体…」
身体に異常がないか調べるが、特におかしいところはなさそうだ。本当に幻が見えただけらしい。
「あれは何だ? 目的があるのか?」
 警戒する暁彦は、突然、険しい顔で後ろを振り返った。
「出てこい」
鋭い一言に反応し、50代くらいの女が出てきた。一紗と話をしたおばさんの一人であるが、もちろん、暁彦は知らない人物である。
「さっきの幻はおまえの仕業か?」
「何の事かしら?」
女は不思議そうに聞き返す。とぼけているわけではなく、本当に知らなさそうだ。
 ではさっきの幻は一体。と考えている暁彦に、女は話しかける。
「私は刺客じゃないわ。命令により、生きたままあなたを連れて行くもの」
言うやいなや、女を中心に、あたりが乳白色に染まる。
「霧か…」
特に驚いた様子を見せない暁彦は、あっという間に辺りを覆った濃霧の中、静かに女の気配を探る。
 ヒュンと空気が動く。暁彦が避けた次の瞬間、細い白い棒が空を切った。よく見ないと、霧との区別がつきにくい。
 一人で操っているのかと疑わしくなるほどに、あちこちから出てくる棒を、暁彦は全て避けていく。
「ガッ…!」
突然、体中に鋭い痛みが走った。
 すかさず棒が飛んでくるが、痛みをこらえて何とか後ろに避ける。ザリッという音と共に、右手の甲から血が流れ出る。何かで引っ掻いたのだろう。
「ちいっ…グアッ!」
再び、体中に痛みが走る。どうやら霧自体が攻撃をしているらしい。
 暁彦は正面を睨むと、思い切り前に飛び込む。先ほどまで暁彦がいた場所に、棒が打ち込まれる。
「え!?」
霧の中から女の声。声を頼りに、暁彦はナイフを投げた。
「ゲ…!」
搾り出すような声と共に、ドサリと何かが倒れる音。合わせるかのように、霧が晴れていく。
 景色が元に戻ると、喉にナイフが刺さった女が、仰向けに倒れていた。
「死んだな」
目を見開き、顔を歪めて事切れている女を、暁彦は無表情に見下ろす。
「この女、俺の異能を知らなかったらしい」
手に怪我をして霧の攻撃を受けた瞬間、暁彦は幻影の異能を使った。女はあっさりと騙され、幻の暁彦に攻撃をしたのだ。
「組織からの刺客ならば、俺の能力は知っているはずだが。命令を出す人間が変わったか、それとも…」
女の遺体を残し、暁彦はその場を立ち去った。


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