克巳と薫子と一紗は、克巳の車で高清水宅に戻った。
 車の中で話を聞いた薫子は、信じられないという様子だったが、どうにか納得してくれたようだ。
 家に帰ってから医者を呼んだが、薫子は体力が低下していること以外は異常はなさそうだ。今は部屋で静養し、銀子が世話をしている。
 克巳と一紗は書斎に戻り、銀子が持ってきてくれたお菓子を食べ、お茶を飲んでいる。
「薫子さん、目を覚ましましたね」
独り言か聞かせているのか、一紗がポツリと言う。克巳は難しい顔をしたまま、返事をしない。
「あの子、手を握っていただけだったけど、何をしたんでしょう?」
「思ったより驚かなかったね」
難しい顔のまま、克巳が口を開く。
「姉さんが目を覚ました事や、僕の体力が吸い取られたり回復させたりしたことを見ても、一紗ちゃんは驚かなかったよね」
「体力を吸い取られたり回復させたり?」
奇妙な言い回しに首をかしげる一紗。千輝の手から発した青白い光とオレンジの光。あれの事かと考える。
「やっぱり驚かないね」
「え?あ、驚いてますよもちろん。ただ、眠り病自体が不思議だから、それを起こす方法が不思議だったりするのかもなって思いますし、そういう人がいるんなら、他に変なことが出来る人もいるんじゃないかな。って思って」
「そうか。アシアナ教会以外でも、常識でははかりきれない力を見たことがあるんじゃないかと考えたんだけど」
「や、やだなあ克巳さん何を言って…」
一紗の心に動揺が走る。が、暁彦の能力のことなどは極力聞かれたくないので、努めて軽い口調で答える。
 だが、やはり克巳は笑っていない。
「どうなの?」
「……」
「見たこと、あるんだね」
沈黙を肯定と受け取ったらしい。克巳がため息混じりに答える。
「…見たことがあったら、どうなんですか?」
隠しきれないと思った一紗は、開き直り、事実を認める。とっさに嘘をつくのは、やはり苦手なようだ。
「どんなところで一紗ちゃんは力を見たんだい? 教えてほしい」
「どうしてですか?」
少し間を開け、克巳が答える。
「そういう力を見られたくない相手もいるかもしれないからね。彼らに見つかったら、一紗ちゃんの身が危ないかもしれないから」
「見られたくない…例えば門衛とかですか?」
一紗の言葉を聞いたとたん、克巳の顔が一気にこわばった。
「どうしたんですか、克巳さん?」
「…今、何て言った?」
「え?」
「今何て言ったんだ!?」
肩に手をかけ、恐い顔で問いかける克巳。細身の体からは想像もできないくらい強い力だ。
「あ、あの?」
「答えてくれ! 状況によっては、君は戻れないところにいるかもしれないんだ」
「克巳さん?」
「どうなんだ!?」
「痛いっ!」
思い切り肩を掴まれ、悲鳴を上げる一紗。
 我に返った克巳は「すまない」と言って、肩から手を離す。
「どうしたんですか急に。門衛ってそんなに危険なんですか?」
「その名前は極力口にしない方がいい」
へたり込むように椅子に腰掛ける克巳。本当に疲れているようだ。
「で、さっきの質問だけど、一紗ちゃんが見た不思議な力って何だい?」
「私が答えたら、門衛のことを教えてくれますか?」
「…わかったよ」
門衛。という言葉を強調する一紗に、青年は顔をしかめるが、根負けしたのかあっさりとうなずく。
 一紗は、暁彦の名前だけは伏せ、サングラス男に捕まって助けてもらった事と、運動公園で暁彦とサングラス男が対決し、最後にピンクのハートを散りばめた怪光線でサングラス男が殺されたことを話した。
 話を聞く克巳は驚き、あきれ、話し終わる頃にはぐったりとしていた。
「結構、無茶してたんだね」
「気が付くとこうなってたんですよね」
苦笑いを浮かべる一紗に、青年はさらに力が抜ける。
「じゃあ、今度は僕が話す番だね。
 最初に言っておくけど、僕も組織については知らないことが多いし、話す情報がどこまで真実なのかも当てにならない。そのことを踏まえて聞いてほしい」
一紗がうなずくと、克巳は氷が溶けてしまった麦茶を一口飲み、話し始めた。
「奴らがどのくらいの規模で、何をしているかを、はっきりと把握している人間はいない。組織の人間も例外ではない。そもそも、門衛という名前自体が通称で、本当の名前があるかもわかっていない。
 ただ、彼らは世界中に散らばっていて、世界の政府にも干渉できる力を持っている。ある意味では、世界を支配していると言っても過言ではないね」
「支配、ですか?」
「とは言うものの、彼らは表だって行動するのを嫌うから、政府を牛耳って何かやろうとは考えてないみたいだけどね」
世界を裏から操っている悪の集団。のような安直な発想しか思いつかない一紗だが、門衛はそういうものとも違うらしい。
「つかみ所がないですね」
「うん。実際、つかみ所がない組織なんだ。
 わかっていることの一つに、彼らは世界が必要以上に混乱し、統制が取れないことを恐れているっていうのがある。世界の均衡を守る一環として『異能者狩り』を行っている」
「いのうしゃ、ですか?」
「世界に受け入れられがたい力を持つ人々を、彼らは『異能者』と呼んでいる。世界の均衡を崩す力として、しばしばヒステリックなまでに異能者を見つけては、仲間にしたり殺したりしている」
「殺すって…」
とある組織から逃げ出したという暁彦。サングラスをかけた男から「仲間か、死か」という選択を迫られていたことを思い出す。
「奴らは、自分の存在がばれることを何よりも恐れている。一紗ちゃんが見た異能者が組織の関係者で、君が見ていたことがばれたら、君自身が消されるかもしれないんだ」
「だから、さっきはあんな態度を取ったんですね」
あれだけ切羽詰まった表情の克巳を、一紗は初めて見た。
「ごめんね。でも、少しはわかってもらえたかな?」
「はい、少しですけど。正直、話が飛びすぎて、ピンとこないってのもあります」
「だろうね。僕も自分で話していて嘘っぽいよ。ただ、事実は違う部分も多々あるけど、奴らがいることは事実だからね」
確かに、汎世界的な裏組織なんてどこの話だよと思ってしまう。しかし、一紗は異能を使う暁彦を見たし、彼を狙う複数の人物がいるのも目撃している。
 彼らが『門衛』の一員だとしたら、説明に納得はいく。
「他に知りたいことはある?」
「も…組織のことではないですが、いいですか?」
「何だい?」
一紗はちょっとだけ考えて、口を開く。
「克巳さんは、なぜアシアナ教会を嫌っているんですか?」
一瞬、克巳は眉をひそめる。すぐ微笑みを浮かべるが、どこか薄っぺらい。
 やはりこの質問はまずかったかなと考えていると。
「一紗ちゃんは、アシアナ教会に対してどんな印象持った?」
逆に質問を返された。一紗はちょっとだけ考えて、答える。
「正直、よくわからなかったです。教祖はうさんくさくて人を見下しているみたいに思いましたが。でも、あの女の子が眠り病を治したのは本当ですよね」
ひどく悲しそうにしていた少女を思い浮かべながら、一紗は言う。
「俗っぽい理由だよ。父がアシアナ教会の信者であることはわかるよね」
「はい」
「金を持っている父が、周りを省みずアシアナ教会に金を突っ込んで、財産を食い潰している。教祖達はそれを知っていながら父に忠告しないどころか、もっと搾り取ろうとしている。ってわけさ」
世俗的な話ではあるが、十分あり得る話でもある。
「それって、まずくないですか?」
「まずいよ。僕も姉さんも父に何度も説得をしたけど、聞く耳持たない」
お茶を一口飲んだ克巳が、憎しみをにじませて答える。
「他の信者はわからないけど、少なくとも親父は何千万円…ひょっとしたら、もっとたくさんの金額を納めていると思う」
「なんぜんまんえん!?」
一紗は大声で叫ぶ。庶民の立場から考えると、何千万円という額は、途方もないものだ。
「アシアナ教会に貢ぐために、土地や株券などもかなり売り払っているようだ。この勢いだと、家まで売られるのも時間の問題だね」
さらっと話す克巳だが、そこまで事態は緊迫しているのかと考えてしまう。
「本来はこれは父のせいで、アシアナ教会を恨むべき問題ではないけど、いい気はしないからね。つい、きつく当たってしまうんだ」
「わからなくもないです。私も、父が同じ事をしたら怒鳴り散らして、アシアナ教会を恨むと思います」
「あと、もう一つ懸念があってね」
また麦茶を一口飲み、続きを話す。
「異能を使って眠り病を治されたら、姉に良くない影響があるかもしれないっていう、恐怖があるんだ」
「恐怖?」
「姉を起こした少女の異能を、例の組織が目を付けていて、それのからみで姉が巻き込まれるとか。ひょっとしたら、アシアナ教会自体が組織の一部かもしれないからね」
確かに杞憂と言えるかもしれないが、それだけ慎重に、神経質になる克巳の気持ちも、一紗は何となくではあるが理解できる。
 さらに克巳は麦茶を一口飲もうとしたが、コップの中はすでに空っぽになっている。仕方なくコップを置くと、難しい顔で一紗を見る。
「本音を言うとね、一紗ちゃんには眠り病の調査から手を引いてほしいんだ」
「はい?」
「眠り病に関する事柄が、僕の予想より、はるかに複雑で危険な状況になっているから」
「危険って、何がですか? アシアナ教会が私たちにちょっかいを出すことですか? それとも、門衛がしゃしゃり出てくることですか?」
無意識に、一紗の口調がとがる。変化に気づかないふりをして、克巳が答える。
「相手が誰とは言い切れない。異能者がこれだけ絡んだ事態になってくると、どっちも敵になる可能性はある。たとえ敵にはならなくても、ただ巻き込まれてサヨウナラ。って状況にもなりかねない。
 実際、一紗ちゃんだって巻き込まれたわけだろう?」
「そうですね」
答える一紗の表情は、先ほどから硬い。拳をぎゅっと握り、まっすぐに克巳を見る。
「でも、私は手を引きません」
きっぱいと言い放つ一紗。「思い通りになるものか」という意志がひしひしと伝わってくる。
「私にできる事なんて、たかがしれてます。迷惑をかける方が多いかもしれません。
 でも、眠り病の友達がいて、組織から逃げている人がいることを知った状態で、自分だけが何事もなかったかのように生活するなんてできないです。
 だから、調査は続けます。止めても無駄ですから」
挑みかかるように見つめる一紗に、克巳は頬をゆるめ、微笑みかける。
「そう言うと思った。最初に誘ったのは僕だしね。
 でも、危険なことには変わりはないからね。そこだけは気をつけて」
「わかりました。これからもよろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしく」
一紗はにっこり笑ったあと、椅子から立ち上がる。
「一区切りついたし、今日はそろそろ失礼しますね」
「そうか。家の近くまで送っていくよ」
「今日は一人で帰ります。克巳さんも疲れていると思いますしね」
「まあ、否定はできないね。今日はみっともないところばかり見せているなあ」
「そうですか? 克巳さんの意外な一面を見れて驚きでした。
 じゃあ、帰りますね。また何かわかったら連絡します。お姉さんに、お大事にと伝えて下さい」
「了解。気をつけて」
一紗はペコリとお辞儀をして、部屋を出て行った。
 苦笑いを浮かべる克巳は、部屋に一人きりになったあと、大きなため息をついた。


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