月夜埜市の山奥、夜埜ダムよりもさらに奥にある、えんじ色の屋根の建物。周りは高い灰色の壁に囲まれていて、閉鎖的な印象を与える。周囲に他の建物はなく、木と草が生えているのみである。
 ここがアシアナ教会なのだが。
「倉庫か要塞みたい」
と、一紗は感想を述べた。
 高清水親子の二台の車が、教会の近くに停まる。駐車場はないが、道路から一本入った私道なので問題はない。
「ようこそ。お待ちしておりました」
車の音を聞きつけたのか、入り口から黒いスーツを着た30代前半くらいの女性が出てきた。栗色の髪をお団子にまとめ眼鏡をかけた女性は、オフィス街にいそうな容姿で、少なくとも山奥の宗教団体にいるイメージではない。
「お久しぶりです、高清水さん。あなたが息子さんですね。私は、アシアナ教会と外部との交渉と事務全般担当の千輝(ちぎら)と申します」
完璧な角度30度の挨拶をすると、千輝は一紗を見る。
「こちらの女性は?」
「彼女は僕の友人です。興味があるということで連れてきましたが、かまいませんよね?」
千輝は無表情に一紗を見た後、「結構です」と答え、三人を建物に促した。
 中は細い長い廊下が奥まで続いている。板張りの床はピカピカに磨かれ、今時、炎が燃えさかるランプが壁に取り付けられている。右側には似たような扉が狭い間隔で並び、左側は少し間隔が空いて、やはり扉が並んでいる。
 千輝は三人を奥に案内する。程なく突き当たりが見える。
「客室は用意していませんので、薫子さんは、空いている修道士の部屋で眠っております」
突き当たり手前の右側の扉を開けた千輝は、三人を中へ案内する。
 部屋の中は狭く、机と小さいタンスとベッドがあるのみ。机の上に、やはり炎が中で燃えているランプがある他に、灯りはない。
 一紗はてっきり祭壇などがあるような部屋へ案内されると思っていたので、少々面食らった。昇太郎も同じ感想を抱いたのであろう。心配そうに部屋を見回している。
 克巳だけは険しい顔で、千輝を睨んでいる。
「薫子さんはこちらです」
ベッドには、20代中盤くらいの女性が眠っていた。顔はやつれ青白い。あごまでそろえた黒髪だが、顔つきは克巳にそっくりである。
「今、教祖様を連れて参ります。少々お待ち下さいませ」
千輝はここでも完璧なお辞儀をし、部屋を出て行った。
(これからどうなるんだろう)
 娘の側に立ち、心配そうに見つめる昇太郎。
 父に背を向け、険しい顔のまま立っている克巳。
 目線も体も別々の方向を向いているが、明らかに二人はお互いを意識している。
(はー、居心地悪い)
部外者が首を突っ込んでいるので居心地いいわけないが、教会の雰囲気よりも、二人の緊張した雰囲気の方が居心地悪い。
「お待たせ致しました」
 ピリピリした雰囲気を破るかのように、人が入ってきた。千輝の他にやってきたのは、一人の少女と一人の男性。
「うわー…」
一紗は少女を見て、思わず感嘆の息を漏らす。
 少女は一紗と同じくらいか少し下。透き通るような白い肌に卵形の小さな顔、大きな瞳と小さい赤い唇の、一目見たら忘れられないほど目を引く美少女である。腿まである真っ直ぐな黒髪にワンピース姿が、彼女の清楚な印象を最大限に引き出している。表情はなく、人形が歩いているようだ。
 一方、男性はひょろひょろとしていて、今ひとつ特徴が掴みづらい。濃い紫色の修道服のような衣装を身につけているが、どちらかというと着られている感じがする。年齢も、30代にも50代にも見え、やはりはっきりとしない。モヤシみたいな人物だと一紗は思う。
「病にかかっているのは、そちらの女性ですね」
モヤシ男が、これまた特徴がない声で昇太郎に話しかける。
「はい、そうです。娘を治すためにお時間を割いて下さり、ありがとうございます。教祖様」
大企業の社長が、モヤシ男に深々と頭を下げる。ひょろひょろの彼が、どうやら教祖様らしい。
「すぐに娘さんを治して差し上げましょう」
「おまえ、姉さんに何するつもりだ!?」
これまで黙っていた克巳が、教祖に食ってかかろうとする。
「やめんか克巳!」
昇太郎が止めようとしたが、その前に千輝が克巳の肩に手を置いた。
「少し静かにして頂けますか?」
千輝が話したとたん、美少女が一紗の腕を取り、180度回転させた。
「あなたが見る必要はないわ」
無表情のまま、鈴を転がしたような声でささやく少女。
 だが、必要ないと言われておとなしくしている一紗ではない。掴まれた腕をそのまま振り上げ、勢いで回転させる。
「きゃあ!」
見た目通りの力しかないのだろう。いとも簡単に少女を振り払うことができた。
 隙をついて体の向きを元に戻すと、一瞬、千輝の手が青白く光っているのが見えた。
「え?」
不思議に思っている間に、克巳の体が崩れ落ちる。
「克巳さん!?」
その場にへたり込んだ克巳の元に、あわてて駆け寄る一紗。
「大丈夫ですか、克巳さん!?」
「生きてはいるよ…」
答える克巳の顔色は青く、明らかに苦しそうだ。
(千輝って人が何かしたに違いない)
一紗はスーツを着た女を睨みつけるが、相手は少女の視線を全く気にしていない。
「眠り病を治すには集中できる環境が必要なため、ご子息には悪いと思いましたが、少々静かにして頂きました」
「静かにって、こんなに苦しそうじゃ…」
「一紗ちゃん」
荒い息を吐きながらも、克巳は首を横に振る。
「逆らっちゃダメだ。君まで同じ目に遭う」
「だけど…」
「治療を行ってよろしいでしょうか?」
場の雰囲気を無視して、薫子の前に来た教祖が口を開く。飄々としている口調も全く変わりがない。
「大変申し訳ございません教祖様。愚息が迷惑をかけました」
睨みつける克巳を遮り、昇太郎が話す。教祖に対しての態度は、大会社の社長とは思えないほどへつらっている。
「かまいません。不安なのは誰でも同じ事です。ですが、奇跡を目の当たりにしたら、ご子息も納得してくれるでしょう」
うっすらと笑みを浮かべたまま、教祖が答える。言葉遣いは丁寧だが、どこか人を見下している印象を与える。
「では始めましょうか。お願いします」
教祖が目配せをすると、ワンピースの美少女が薫子の元へ行く。
 少女はひざまづき薫子の手を握ると、そのまま目をつむり動かなくなった。祈っているようにも見える。
 何か儀式のようなことを始めると思っていた一紗は、予想外の展開に首をかしげる。昇太郎も同じ気持ちなのだろう。不安そうな顔で娘と少女を交互に見つめている。
 克巳だけは青白い顔のまま、教祖を睨んでいた。


 五分ほど経ったであろうか。
 少女が握っている薫子の指が、かかっている布団が動いた。
「…ん…」
寝ている女性から声が漏れ、ゆっくりとまぶたが動く。
「…あ…れ?」
目を見開いた薫子は体を起こすと、不思議そうにあたりを見回した。
「ここは?私、外回りをしていたはずなのに…」
「薫子…目が覚めたんだな。良かった。本当に良かった…」
「お父さん、どうしてここにいるの? 何か変よ、涙ぐんで」
事態を把握できていない薫子が尋ねるが、昇太郎は娘の手を握り「よかった」と繰り返し言うのみ。
「信じ…らんない」
目の前の出来事に、一紗はあっけにとられた。揺すっても叩いても大声を出しても起きない眠り病患者が、手を握っただけで起きてしまったのだ。どんな手段を使っても真奈美を起こすことが出来なかった経験を持つ一紗の驚きは、かなりのものだろう。
(あの子も、不思議な力の持ち主なの?)
暁彦の顔を思い浮かべながら、一紗は思う。
「くそっ。結局は奴らの思う壺か」
壁にもたれかかった克巳が、心底悔しそうに薫子を眺めている。
「あいつらの力だけは借りたくなかったのに…」
「克巳さん?」
ブツブツとつぶやく青年に一紗は声をかける。克巳は我に返って顔を上げると、力なく微笑む。
「克巳。おまえも教祖様にお礼を言うんだ。彼の力で薫子が目覚めたのだからな」
克巳の様子を気にかけず、高圧的に昇太郎が言う。
「私は大したことはしていません。あなた方の純粋な祈りが、神に通じただけです」
「そうだ。姉さんを連れて帰らないと」
二人の言うことを無視し、克巳は立ち上がろうとするが、力が入らないのか、壁にもたれかかったままの姿勢から動くことができない。
「大丈夫ですか?」
「正直、大丈夫とは言い切れないね」
荒い息を吐きながら、克巳が答える。青白い顔の青年は、結構苦しそうだ。
 千輝は克巳の様子を見ると、無表情のまま近づく。
「失礼しました。ご令嬢を連れて帰らなければいけなかったのですね」
言って、千輝は克巳に手をかざすと、彼女の手からオレンジ色の光が出現する。
(まただ。でもさっきの青白い光とは違う)
オレンジの光が照らすと、克巳の顔色が徐々に戻っていく。
 しばらくしてから千輝が手を離す。顔色がすっかり戻った克巳は、千輝を無視して立ち上がり、真っ直ぐに薫子の元に行く。
「姉さん、起きれる? 歩けそう?」
「え、ええ。何があったの?」
「後で話す。だから今は帰ろう」
「おい、克巳。薫子を休ませてから帰ってもいいだろう」
文句を言う父親を、克巳は睨み返す。
「僕は姉さんを連れて帰るためにここに来たんだからな。こんな場所よりも、姉さんも家の方がゆっくり休めるだろう」
「おまえ、少しは口を…」
「構いませんよ、高清水さん。確かに、薫子さんもご自宅の方がゆっくりできるでしょう。もし、身体の異常などがありましたら、教えて下さい」
克巳は返事をせずに、筋力が落ちてうまく起きあがれない薫子を担ぎ上げる。
「か、克巳?」
「僕たちは先に帰るから。一紗ちゃんも行こう」
「え、は、はい」
薫子を抱えた克巳はムッツリしたまま、わき目もふらずに部屋を出て行った。一紗もあわてて追いかける。
 部屋を出る前に振り返ると、ベッドの脇にいる美少女が視界に入る。
 下を見つめたままの美少女は、ひどく悲しそうだった。


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