翌日。一紗は車の助手席に座っていた。
 運転をしているのは、肩までの金髪、黒いシャツに紫のスーツ姿という、一見ホストにしか見えない20代前半の男性。
 これで車が左ハンドルのスポーツカーなら完璧なのだが、実際は白い日本製の大衆車の為、逆に違和感がある。
「わざわざ迎えに来てくれて、ありがとうございます、克巳さん」
「いやいや。当然のことだろう?」
見た目通りの軽い口調で答えるのは、高清水克巳(たかしみずかつみ)。一紗と一緒に眠り病の調査をしている大学生である。
 今日は、克巳の家で眠り病の情報収集をすることになっているのだ。
「眠り病の調査に協力、ね」
 車の中で一紗は、姫野達と夕食を食べたときの出来事を伝えた。
 案の定、克巳も難しい顔をする。
「どうやって調べているのかわからないんですけど、ある程度の行動はばれているみたいです」
「今日、僕たちが会って眠り病の情報収集をすることも知っているかもしれないな」
「そうですね」
二人そろって眉間にしわを寄せる。自分の行動が見張られているのは、正直気分が悪い。
「姫野さん達に協力するとは言いましたが、向こうから催促されるまでは、何も言わないでおこうかなって考えています。それでいいですよね?」
「いいと思うね。流す情報も、必要最小限にしよう」
「わかりました」
一紗の返事を聞いて克巳はうなずき、ハンドルを握りなおした。

 15分ほど走ったであろうか。富裕層が暮らす、あけぼのニュータウン傘木地区にやってきた。車で走っている場所は、傘木の中でもトップクラスの高級住宅街である。
「もうすぐ着くよ。正面に見える茶色い建物が、僕の家だ」
「え?」
大きな家が連なる中でも、特に目立つ巨大な住宅。あっさりと「僕の家」と言える代物ではない。が、驚いたのはそこだけはなかった。
「あの。私の記憶が正しければ、ここは『ナチューラグリコーポレーション』社長宅だと思うんですが」
「一紗ちゃんの記憶は確かだよ」
明らかな作り笑いで、克巳が答える。

 ナチューラグリコーポレーションは、自然派食品や無添加化粧品などを扱っている企業で、関東を中心に全国にたくさんの店舗を持っている。少なくとも、関東の人で知らない人がいない大企業だ。

「克巳さん、大会社の御曹司だったんですね。びっくりです」
「たいしたもんじゃないよ」
作り笑いすら消えた状態で返事をする克巳。
 様子がおかしいと感じた一紗は、克巳が御曹司であることを快く思っていないことを理解する。
「ごめんなさい。気に障りました?」
「あ、いや。大丈夫だよ。ごめんね、気を遣わせて」
 車は茶色の建物の前にそびえる大きな門を通過し、四台は停められそうな車庫の一番奥に入れる。
 車から降りた一紗は窓が連なるこげ茶色の建物を眺めている。
 二人が並んでも余裕で通れそうな玄関扉を、克巳は慣れた手つきで開ける。
「改めて我が家へようこそ。遠慮なく上がって」
「お、おじゃまします」
遠慮なくと言われても、ついつい尻込みしてしまう。
 森永家の倍以上の幅はあるのでは。という廊下にはいくつか扉が並び、また、一つ一つの扉の間隔が広い。
 靴を脱いだとき、手前近くの扉から40代前半くらいの女性が出てきた。パーマをかけた茶髪を太いヘアバンドで止めた、ふくよかな女性。動きやすいシャツとジーパンにアップリケが付いたエプロンを身につけている。
「いらっしゃい。初めまして」
低めだが、良く響く声で女性がしゃべる。
「初めまして。おじゃまします」
「ただいま、銀子さん。彼女が森永一紗ちゃん。
 一紗ちゃん。この人は柏銀子(かしわぎんこ)。高清水家で住みこみの家政婦をやってるんだ。もっとも、僕が小さい頃からいるから、家族みたいなものだけどね」
「いやだわ克巳くん。あたしはこんなに整った顔立ちの家系じゃありませんよ」
カラカラと楽しそうに笑う銀子。見た目通り、気さくな人物のようだ。
「銀子さん。僕たちは書斎に行くから。お昼ご飯の用意をよろしく」
「わかりました」
「よろしく。一紗ちゃん、こっちだよ」
克巳が広い廊下を歩き出す。一紗も緊張しながら克巳についていった。

「汚いところで申し訳ないね」
 案内された書斎は、克巳が言う通り、お世辞にも綺麗とは言えなかった。
 十数畳あるだろう書斎には、びっしと本が入った本棚がいくつも並び、周りには、本棚に入りきれない本とたくさんの紙の束が、所狭しと積み重なっている。掃除はしているようだが、整理整頓はできているとは言いがたい。
 本棚と紙束に挟まれた机には、デスクトップパソコンと複合コピー機が置いてある。パソコンの周りだけは綺麗に整えられているようだ。
「とりあえずここに座って」
紙の束の隙間に無理矢理置かれた椅子を勧められ、一紗は座る。おそらくは他の部屋から持ってきた椅子なのだろう。
「さて、どこから話そうか」
「克巳さんも、資料に目を通してもらえますか?」
一紗は、昨日忠治からもらった眠り病の資料を取り出し、克巳に渡す。
 資料を眺める克巳が、難しい顔をする。
「ずいぶん詳しく調べてあるな。この状態で一紗ちゃんに協力を要請するのは、確かに落とし穴がありそうだ」
「絶対、何かありますよね。こんな詳しい資料を渡しておいて『協力しよう』って言うなんて。
 この資料、眠り病が治った患者のリストもあるんです」
「眠り病が、治った?」
治癒患者のリストを見た克巳の表情が、さらに険しくなる。
「治す方法まではわからないって言ってました」
「なるほどね。一紗ちゃん、これを見て」
言って、克巳はパソコンの画面を表示する。
 そのままブラウザを立ち上げ、月夜埜チャンネルのガールズ板に行き、IDとパスワードを入力して、掲示板を表示させる。

 月夜埜チャンネルとは、月夜埜市の情報などを交換する、匿名型掲示板である。
 その中でも、ガールズ板と呼ばれる掲示板では、女の子同士の話題の他、なぜか都市伝説や幽霊などの目撃情報もカキコミされている。
 基本的には若い女の子専用の掲示板で、IDとパスワードは若い女性にしか発行されないのだが…。

「何で克巳さんがガールズ板に入れるんですか?」
「IDとパスワードを発行するのに、詳しい身分確認をするわけじゃないからね。以前は一紗ちゃんに見てもらったけど、自分でもチェックしたかったんだよ」
「はあ」
「大丈夫。『胸が大きく見えるブラを教えて』とか『Hの時、彼ってこんな事するんです』っていうスレは見てないから」
「ずいぶん詳しいですね」
「気にしない気にしない」
一紗のツッコミを流し、克巳は眠り病のスレッドを探して、詳細を開く。
 そのスレッドでは、眠り病には『夢人(ゆめびと)』の存在が絡んでいて、人々を眠らせているという、オカルトさながらの話題で盛り上がっている。
 夢人の正体も、蠱惑的な美少年から絶世の美女、中年のマッドサイエンティスト、紫の霧など様々である。
「また、レスが伸びていますね」
「正体が訳わからないのは、相変わらずだけどね。
 で、今度はこっちを見てほしいんだ」
克巳が指摘するスレを見た一紗は、めいいっぱい目を見開く。
「『眠り病の回復』!?」
レスの数は少ないが、タイトル通り、眠り病から回復した人々に関するスレッドである。とは言っても、内容は夢人スレ同様うさんくさく、夢人と対の存在が目覚めさせたとか、美少女のキスにより目覚めたなどの記事が載っている。
「方法はさておき、眠り病が治ったこと自体は本当なんですか?」
「さあね。個人的には、これこそ根拠のないうわさ話だと思うけどね」
笑みを浮かべて返事をする克巳だが、いつも以上に取って付けたような言い方になっている。
「おっと、そろそろお昼になるな。ご飯を食べたら、お友達と姉の見舞いに行こう。報告はその後だね」
自分から振っておいて、話題を打ち切ろうとする克巳の態度が気になる一紗だが、問いただす根拠も無いのでそのままにする。
「銀子さんの料理はすごくおいしいよ。高清水家の自慢だね」
「うわあ。楽しみです」
疑問を抱きつつも、顔には出さずに一紗は答えた。


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