金曜日の夜のK県Y市内。高級ホテルの最上階にある高級フレンチレストラン。
 程よい明るさの照明、そつがない対応をするウェイター。さりげなく飾られている絵画は、見る人が見ればわかる有名画家のものである。
 レストランの奥のとある個室に、5人の男女が座っていた。
(なぜ私はここにいるんだろう?)
テーブルの中央に置かれているロウソクが灯ったランプを眺めながら、森永一紗(もりながかずさ)はうつろに思う。
 丸い体型に丸い顔、丸い目丸い鼻大きな口。かわいらしさと愛嬌はあるが、お世辞にも美人とは言い難い。
 ベージュのブレザーに白いシャツ、赤を基調としたタータンチェックのスカート姿と、一応よそ行きの格好ではあるが、引きつった顔とキョロキョロと動く瞳が、高級なお店に行き慣れていないことを物語っている。
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ」
一紗の対角線上に座る、30代中盤くらいの眼鏡をかけた西洋人形のような美青年、高柴忠治(たかしばただはる)が話しかける。ダークグレーの一目で高級品とわかるスーツをさりげなく着こなしている。
「そうそう。誰も取って食いやしねえから」
忠治の隣、一紗の正面に座る、50代くらいのおかっぱ頭の男性、李京(りじぇ)も、年齢と雰囲気に似合わないざっくばらんな口調で話をする。李京も黒いスーツを着ているが、どう見てもマフィアにしか見えない。
 一流レストランでくつろげと言われても、そう簡単に緊張はとけるものではない。いつもは元気な一紗も、借りてきた猫のようにおとなしくしている。
「つーかさー。こんなレストランくらいでおどおどしてるわけー?」
お誕生日席に座る、中学生くらいの女性が嫌みたっぷりに言う。
「高級レストランに来たこと無いですからね」
にっこりと笑って答える一紗だが、隠しきれない怒りがにじみ出ている。
 勝ち気に言い返された言葉も、姫野真咲(ひめのまさき)は平然と受け止める。
 真っ赤なチャイナ風ブラウスに黒いフレアスカート、癖のある髪の毛はいつものポニーテールではなく、今日はツインテールになっている。見た目も口調も幼いが、分厚い眼鏡の奥に見える瞳は、ひどく暗い。
「大丈夫ですよ、森永さん。わからないことがあれば暁彦くんに聞いて下さい」
忠治の言葉に、一紗は自分の左隣を見る。
 外側にはねた硬い髪、美形タイプではないがそれなりに整った顔立ちの少年は、日下部暁彦(くさかべあきひこ)。無口で無表情な、一紗のクラスメイトである。
 一紗は、ちょっとしたきっかけで、暁彦の秘密を少しだけ知ってしまったのだ。
 暁彦は面倒くさそうな顔でクラスメイトを見ている。目つきが悪いので、慣れない人は睨まれていると思うだろうが、一紗は気にせず流している。
(それにしても)
 一見、共通点がなさそうな面子を見ながら一紗は考える。
(どうして私がここに呼ばれたんだろう?)
ここにいる面子は顔見知りだが、仲がいいわけではない。特に彼らのリーダー格である姫野には、どうも嫌われているようなのだ。
 目的が無く、呼び出されるとはとても思えない。
「皆さん、料理が来たようですよ」
 少女の思考を遮るように、忠治が言う。
 5人の元に前菜が運ばれてきた。お皿を置いたウェイターが料理の名前を言うが、一紗にはサーモンとマリネくらいしかわからない。
「では早速いただきましょう」
落ち着かないが、高級フランス料理を食べる機会が滅多にないこともまた事実。
 妙なところで度胸がある一紗は、疑問は端に置いといて、暁彦の真似をしておたおたとナイフとフォークを持った。

 デザートが食べ終わった頃、「そろそろ本題に入ろうかしら」と、姫野が口火を切った。
 とうとう来たなと一紗は思う。
「あら、驚かないのね。あたしが何か言うことをわかっていたみたいね」
「正直なところ、あなたが私を理由無くこんな場所に連れてくるわけないと思ってましたから」
「あっそう。なら、話は早いわ」
ニヤリと姫野は笑うと、高圧的な態度で一紗に言った。
「あんた、眠り病のことを調べているでしょ?」
「……!」
表情は変えないように頑張ったが、一紗は飛び跳ねそうなくらい驚いた。
「ふうん。やっぱりね」
やはり顔に動揺が出たのだろう。姫野は相手が返事をする前にニヤリと笑った。

 眠り病とは、月夜埜市に二ヶ月ほど前から流行りはじめた病気で、その名の通り眠ったまま起きなくなる奇病である。原因も治療法もわかっていない。
 一紗の友人、宇都木真奈美(うつきまなみ)も病気にかかってしまい、どうにか治せないかと、色々調べているのである。学校では真奈美が眠り病にかかっていることは内緒にしているので、一紗もこっそり調査をしていたので。

(なぜ姫野さんは、私が眠り病を調べていることを知ってるの?)
眠り病については、暁彦にもしゃべっていない。どこで自分の存在を知られたのだろうかと思考をめぐらせる。
「あたし達もね、眠り病を調べているの」
表情を変えずに答える姫野。黒い大きな瞳が何もかも見透している感じがする。
「色々調べているうちに、あんたも調べているらしいことを知ったのよ」
「…なるほど。で、それがどうかしたんですか?」
極力、無表情で話す一紗。だが、動揺と疑惑は隠しきれない。基本的に隠し事が苦手な自分を、恨めしく思ってしまう。
「簡単な話よ。眠り病について、情報交換しない?」
「情報交換、ですか?」
「そ。あんただって少しでも多くの情報が欲しいでしょ?」
確かに眠り病の情報は欲しい。しかし、すぐにうなずく気に一紗はなれない。
 やはり何か裏があるのでは。と勘ぐってしまう。
「どうして姫野さんは眠り病の情報が欲しいんですか?」
疑問をそのままぶつけてみる。姫野は再びニヤリと笑うと、あっさりと答えた。
「眠り病を探ることで、門衛の情報を引っ張り出せるかもしれないからよお」
「門衛?」
「あれ? ひょっとして門衛って知らない? とにかく、そういう嫌な組織があんのよ」
組織。と聞いて、一紗は横目で暁彦を見た。
 世間には受け入れられがたい力を持つ暁彦。彼は不思議な力を持つ人たちが集まる組織にいて、そこから逃げ出したという過去を持つ。
 門衛という言葉は、暁彦の口からも聞いたことはある。姫野が潰したい組織は、暁彦が逃げ出したところなのであろう。だとすると、姫野の元に暁彦がいることも納得がいく。
「でも私、眠り病のことを調べはじめたばかりですから、詳しいことはわかりませんよ」
 姫野に視線を戻し、一紗は答える。嘘偽り無い言葉だが、姫野は表情を変えない。
「かまわないわよ。わかった情報を流してもらえれば。とりあえず、こっちの言うことを信じてもらおっかしら。ちゅーじ」
「はい」
忠治が、脇に置いてある鞄から紙の束を取り出す。
「これは、月夜埜市の眠り病患者の分布を示したデータです」
パソコンできれいに作成されたデータには、各個人の眠り病になった日にち、性別、年齢、場所、在所が記入されている。ざっと30人くらいいるだろう。真奈美の名前も、最後の方に記載されている。
「手元に無いのではっきりと言えませんが、私が持っている資料と同じような内容ですね。こちらの資料の方がずっと詳しいですが」
ずっと詳しいことをあえて強調して、一紗は言う。
「次のページもご覧下さい」
 言われるままに資料をめくる一紗だが、あるページで動きが止まる。
「どうしました?」
「あの…眠り病が治った患者の一覧って…?」
「書いてあるとおりですよ」
 一紗は、最初の眠り病患者一覧と、治った患者の一覧を見比べる。治った人の、病気にかかった時期や年齢などは一定していないが、これまでに6人の患者が回復している。
「治す方法があるんですか?」
「あるようですが、現時点では方法まではわかりません」
そこが一番知りたいのに。と一紗は思ったが、口には出さずに資料を見つめる。
「あたしたちに協力してくれれば、その資料はあげるわよ」
一紗を見る姫野の目は、完全に獲物を狙っているそれである。
(どうしよう)
 姫野の視線を流しつつどう切り返そうかと考える一紗だが、正直、駆け引きは得意ではない。というか、非常に苦手だ。
 なので、駆け引き無しでストレートにぶつかることにした。
「見返りは何ですか? これだけ情報をそろえられるなら、私の情報は必要ないと思うんですけど」
「これから、あたしたちが知らない情報を仕入れるかもしれないと思ってね。先行投資ってやつよ」
「期待に添えるとは思いません」
明らかに何かを隠している。と少女は思う。姫野がそれを匂わせているのはわかる。
 だが、彼らの情報が価値がある事実は変わらない。
(正直、断る理由はないんだよな。だったら利用されてやろうじゃないか。でも、ただでは利用されないぞ)
 しばらく思案していた一紗だが、顔を上げ、にっこりと姫野に笑いかける。
「わかりました。どこまでお役に立てるかわかりませんが、協力します」
「そういってもらえると助かるわあ」
やはり微笑む姫野は無邪気に見えるが、瞳は「してやったり」と言っている。
 気にくわない。と一紗は思うが、顔には出さずに笑みを貼り付ける。
「あ、そうそう。アキも一緒に眠り病の調査をやってね」
「え?」
「な?」
 さらりと出た姫野の言葉に、一紗と暁彦は、二人で同時に声を上げる。
「姫野さん。俺は例の組織の調査をするはずでは…」
「そっちはちゅーじと李京にお願いするから。アキを通して情報をやりとりした方が、森永さんもやりやすいでしょ?」
「そ、そうですね」
答える一紗は平然としたふりをしているが、心の中では暴れまくっている。
(どうしようどうしよう。日下部くんと一緒に調査だよー!)
 実は一紗は、暁彦に片思い中。人付き合いが苦手な暁彦に気持ちを伝えるため、外堀を埋めているところである。二人で眠り病の調査をするとなると、またとないチャンスと言える。
 一紗は、横目でこっそりと暁彦を見る。一見無表情であるが、眉間にしわが寄っている。彼にとっては不本意であるらしい。
(あまり乗り気じゃないみたい。一緒に調査できるのは嬉しいけど…)
不機嫌な相手を見て、一紗は意気消沈する。
「どうかしら、アキ?」
暁彦の変化を知ってか知らずか、姫野が追い討ちをかけるように尋ねる。
「…わかりました」
表情を消して答える暁彦。だがやはり気にくわないというニュアンスが言葉に含まれている。
(私と調査することが気にくわないのかな? それとも例の組織…門衛について調べたかったのかな?)
「明日は学校が休みだから、早速二人で調査に行ったら?」
 ぼんやり考えていた一紗に、姫野が話しかける。どちらかというと暁彦に話しかけている気もするが。
「あ、あのごめんなさい。明日はどうしても外せない用事があるんです」
我に返った一紗が反射的に言う。
「のんきなもんねえ。こんな時に他のことにかまけているなんて」
あからさまな姫野のいやみに、一紗はムッとしたが、無視をして暁彦に話す。
「でもあさってなら空いてるから、あさって調査しない?」
「…かまわない」
無表情のまま答える暁彦。まだ微妙に不機嫌らしい。
「あれ? あさってはクラスのみんなで泊まりに行くと聞きましたが?」
先ほどから黙っていた忠治が口を開く。暁彦のスケジュールまで把握しているあたり、なかなか侮れない。
「あ、そうだ。でも夕方から集まればいいから、昼間に近くで調査をして、直接行けば大丈夫だと思います。日下部くんもそれでいいでしょ?」
「俺は泊まりには…」
「行ってくればいいじゃねーか。女の子と仲良く楽しいことができるかもしれねえぜ」
(よけいなことを言わないでよ李京さん!)
下品な横やりを入れた李京に、一紗は心の中でツッコミを入れる。姫野と会話をしたときよりも、気持ちが顔に出ていたかもしれない。
 が、幸か不幸か突っ込む人は誰もいなかった。
「クラスのイベントはさておき、あさって調査で決まりでいいわね。よろしくね、アキ。
 森永さんも、改めてよろしく」
右手を差し出した姫野が握手を求める。少し躊躇しながらも一紗は手を握り返す。
「お互い、頑張りましょ」
 握る手に力を込め、姫野は不適に微笑んだ。


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