嵐のような夜が過ぎ去った翌日のお昼。
 いつもなら、お弁当の後に友人たちとはしゃいでいる一紗は、なぜか緊張した面持ちで体育館の脇へと歩いていく。


(日下部くん、学校に来てくれるかな?)
 朝、暁彦が来てくれる事を願いながら、登校した一紗。

 教室に入ると、窓際の席には、やや外にはねた堅い黒髪の、整った顔立ちの無表情の少年が座っていた。
「おはよう、日下部くん!」
 暁彦を見つけた一紗は満面の笑顔になると、正面を向いている暁彦に挨拶をする。
 いつも通り返事を期待しなかった一紗だが。
「…やあ」
小さいけれど、一言だけ、返事が返ってきた。
 びっくりした一紗が声の主を見ると、少年は照れくさそうに下を向いている。
「よかった、学校に来て。さすがに心配したよ」
「……」
「初めて返事をしてくれたね」
「…昼休み」
「ん?」
「昼休み、体育館の横に来てくれないか?」
「…へ?」
意外な申し出に、一紗の思考が止まる。
「え、ええと?」
「おまえの携帯電話、持っているんだ。返したいから…」
「ん、あ、そ、そうなの?」
安心したような、がっかりしたような、複雑な気持ちを一紗は抱く。
「今、返してくれてもいいんだけど」
「…照れくさい…」
言葉通り照れた顔のまま、一紗を見ずに言う暁彦。
 暁彦の意外な一面に、一紗は笑いをこらえながら、「お昼ご飯を食べてから行くよ」と返事をした。


 一紗が体育館横へ行くと、先に来ていた暁彦が、いつもの仏頂面で立っていた。
「ど、ども…」
「ああ…」
不必要に緊張する一紗に、暁彦は携帯電話を差し出す。
「サンキュー。助かった」
「どういたしまして」
照れくさそうに眉間にしわを寄せる暁彦に、一紗は笑いながら返事をする。
 が、すぐに笑顔は消え、真顔で暁彦に向き直る。
「日下部くん。昨日はごめん」
「何がだ?」
「朝のやりとりの事。昔から私、人の気持ちも考えずにかまっちゃうところがあって。
 昨日も、結果としては役に立ったみたいだけど、また首を突っ込んでるし」
「全くだ。おまえは懲りる事を知らないのか?」
「知らないみたい。昔から懲りないんだ、私」
苦笑いを浮かべる一紗に、暁彦が盛大にため息をつく。
「謝っておきながら『もう関わり合いにはならない』とは言わないんだな」
「だって、同じクラスにいる間は、何らかの形で関わるじゃん」
「…一紗には、口で言っても無駄なようだな」
 あきれた口調の暁彦。肩をすくめると、一紗にまっすぐに向き直る。
「一つだけ教えてやる」
「な、何を?」
真剣なまなざしの暁彦に、一紗も体を硬くする。
「俺、実は…」
ゴクリとつばを飲み込む音。
 少し間をおいてから、意を決したように暁彦は口を開いた。

「世界を救いに来た勇者なんだ」

「…えええーっ!?」
 暁彦の告白に、声を張り上げ驚く一紗。
「な、なんだよそれ。ゲームじゃあるまいし。勇者なんて冗談だ…」

「きさまは何を考えている?」
 突然、後ろから暁彦の声がした。

「…あれ?」
再度正面を見ると、一瞬前まで暁彦が立っていた場所には誰もいない。
「ゲームじゃあるまいしはこっちのセリフだ」
振り返ると、あきれたような怒ったような顔の暁彦が、腕を組んで立っていた。
「あれ? えっと、いつ移動したんだ?」
しゃべって驚いている間、正面にいた暁彦は、一歩も動いた様子はなかった。
にも関わらず、すぐ後ろから一紗に話しかけたのだ。
「俺が命を狙われている理由だ」
暁彦はこう答えるが、当然、一紗にはピンとこない。
「相手が、俺に対して意識無意識に関わらず予測する言葉や行動を、幻として相手に見せる。それが俺の能力だ。
 つまり『一つだけ教えてやる』から後の俺の姿と言葉は、おまえが見た幻って事だ。
 こう説明すれば、納得するだろう」
「ま、まあ理屈は一応通ってるけど…」
 確かに、暁彦の能力が本当なら、納得はいく。
 しかし、幻を見せる能力という不思議な力とは無縁な生活を送ってきた一紗には、にわかに受け入れがたいのも事実である。
「おまえにも何回か力を使った。
 それにしても。俺に訳わからないセリフを言わせるな」
「あ、あはは…」
もちろん、一紗だって意識して考えていたわけではないが、基本的に受け狙いの思考を持つ一紗だったら、奇妙な発想もしかねないだろう。
「俺は、世間では受け入れがたい力を持つ人間が集まる組織から、逃げ出してきた。
 だから、反逆者として命を狙われている。
 昨日も見ただろう? 男を殺したピンクの光。あれを道具もなく使う奴らもいる集団だ」
「あ、え、んっと…」
 奇妙な話をされ、一紗の頭はパンク寸前。どう反応していいかわからず、呆然としている。
 そんな一紗を、暁彦は顔色を変えずに見る。
「少なくとも、一紗と俺は違う世界で生きている。それくらいはわかっただろう。
 今一度言う。もう俺には関わるな。光の世界にいるおまえが、これ以上こっちに来る事はない」
「…何言ってんだよ」
 呆けていた一紗の口が動く。
返事をされるとは思わなかった暁彦は、驚いて一紗を見た。
「だったら、同じクラスにいて同じ時間を過ごしている今は何だよ。向かい合ってしゃべっている今も、違う世界だって言うの?
 確かに、日下部くんは私の知らない世界で生きてきたんだろうけど…。
 少なくとも今は、同じ世界にいるんだよ!」
叫ぶ一紗の目に、涙が浮かぶ。
「せめて今は…学校にいる間は、挨拶をしたり馬鹿騒ぎをしたい。一緒に文化祭とか体育祭とか盛り上がりたい。
 せっかく出会ったんだもん。もっと日下部くんの事が知りたいよ!」
ここまで言った一紗は、一気に赤くなった。
「あ、や、やだなあ私。何言ってんだろう。あ、あはははは…」
真っ赤になって照れ笑いする一紗につられ、暁彦の顔も赤くなる。
「ほ、本当にきさまは何を言ってるんだか」
ゴホゴホと不自然な咳払いをする暁彦は「だけど」と言葉を続ける。
「…正直、悪い気はしない」
 小さくつぶやいた一言に、一紗はさらに顔を赤くする。
 同じく、顔が赤いままの暁彦は、ばつが悪そうに背中を向ける。
「教室に戻る」
それだけ言って、一紗の顔を見ずに校舎へと歩き出す暁彦。
「ちょ、ちょっと待てよ」
「なぜ待つ必要がある」
「いいじゃん、ケチー!」
 ズカズカと歩く暁彦の背中を見ながら、一紗は思う。
(弾みとはいえ、なんてこっ恥ずかしい事を言ってんだ私はっ!)
 そんな心の叫びとは裏腹に、別の感情も湧いてくる。
(…やられた…)
 火照る顔。速くなる鼓動。
「マナ。あんたのせいだからな」
今は眠っている友人に責任をなすりつける。

『好きなんでしょ?』
頭に響く真奈美の言葉。

「ああ、そうだよ。悪い?」

 顔だけでなく、首まで真っ赤にしながら、小さく小さくつぶやいた。


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