全力疾走であけぼの運動公園に着いた時には、一紗は既に息も切れ切れになっていた。
「ちく、しょう、上り、坂、きつすぎ」
ゼエゼエ言いつつも、暁彦がいないか、自転車を引きつつ散歩するふりをして探す。
 後ろの茂みから、ガサリ、と音がした。あわてて一紗は目を向けるが、猫が一匹出てきただけ。
「びっくりしたー。驚かすなよ」
と猫を見ながらつぶやいたとき。
「わあっ!?」
 いきなり、誰かが後ろからぶつかった。衝撃で一紗は倒れてしまう。
 一紗の手から離れた自転車を、ぶつかったであろう人物がつかむ。
「ちょ…何すんだ…」
 言いかけた一紗の動きが止まる。
 自転車を支える相手の動きも止まる。
「日下部くん?」
「どうして一紗が…?」
一紗から自転車を奪った相手は、捜し人の暁彦であった。
 制服姿の暁彦は少しの間驚いていたが、目をそらすとそのまま自転車にまたがる。
「こらあ! 待てっ!」
急いで起きあがった一紗は、動き出そうとした自転車の後ろに飛び乗り、暁彦を押さえる。
「どけ! 降りろ! 邪魔だ!」
「私の自転車を奪っておいて何言ってんだ!」
「後で返す。だから俺から離れ…」
「見つけたぞ!」
二人の背後から、複数の足音。
「車を廻せ!」「仲間がもう一人いるぞ!」と男の声がする。
自転車をあきらめ、走って公園から逃げようとした暁彦の前からも、男がやってきた。
「自転車から手を離せ!」
暁彦は怒鳴るや否や、一紗ごと自転車から離れる。
すぐ後に、パシュンとショボイ爆竹みたいな音。
目線の先には、ピストルを持った男がくやしそうな顔をしている。
「住宅街で銃を使うか?」
「右に行って!」
逃げようとした暁彦に、一紗が言う。
「運動公園は私の庭だよ! 任せて!」
舌打ちをした暁彦だが、前後からやってくる男をかわし、右へ曲がる。
 目の前の少年に逃げられた男達だが、なぜか彼らは二人を追いかけず、辺りをキョロキョロと見回している。
(以前にもこんな事があったような…?)
不思議に思う一紗だが、すぐに疑問を頭から振り払う。今は距離を稼ぐことだけを考える。
 右に曲がってすぐの茂みに一紗は飛び込む。茂みの先には金網フェンスがあるが、かまわずフェンスに向かって茂みをかき分ける。
「こっちだよ」
茂みに隠れてわかりにくいが、フェンスに人一人がやっと通れるくらいの穴が空いている。
 金網フェンスを通り抜け、少しした場所に倉庫であろう小屋が建っている。
 一紗は取っ手を思い切り引っ張ると、薄い鉄の扉が勢いよく開いた。
「ここ、立て付けが悪いから鍵がかかっているように見えるけど、実は開いてるんだ」
小屋の中に二人は入り、念のため入口近くにあった洪水用の砂袋を入口に乗せたところで、やっと一息ついた。
 呼吸を整えてから、一紗が口を開く。
「本当に追いかけられていたんだ」
「…なぜ、一紗がここにいた?」
「ぐ、偶然だよ。散歩してたんだ。家がここから近いんだ」
疑わしげな視線を送る暁彦だが、特に何も言わない。
「ひとまず、無事でよかったよ」
「おまえに心配される筋合いはない」
「ったく。ホントに愛想悪いんだから。忠治さんも連絡が取れないって心配してたぞ」
「なぜ、そこで忠治さんの名前が出てくるんだ?」
「た、たまたま会っただけだよ。…また疑わしそうな視線を向ける。本当だってば」
一紗が言うとおり、暁彦はクラスメイトの言うことを信用していないようだ。
(嘘はついてないぞ、嘘は)
忠治に会ったのが偶然なのは本当だが、暁彦の家に押しかけた事がきっかけだと言えるわけがない。
「連絡云々の話は置いといて。どうして姫野さんのところに行かなかったの?」
「追っ手をなかなか撒けず逃げ回っているうちに、気が付いたらここまで来ていた」
姫野の名前を挙げた為か、少しムッとした暁彦だが、素直に質問には答える。
「なるほど…はい」
これまた素直にうなずいた一紗が、ポケットから携帯電話を取り出し、暁彦に差し出す。
「何だ?」
「連絡しちゃいなよ。忠治さんと李京さんの番号は登録してあるから。携帯、持ってないっしょ?」
「…なぜだ?」
躊躇しながらも、差し出された携帯電話を受け取りながら、暁彦が尋ねる。
「なぜおまえは、俺につきまとう?」
「うーん。何でだろ? ノリと勢いって事にしといて」
照れ笑いを浮かべる一紗に、暁彦は当然納得していないが、これ以上は追求せずに、電話をかける。
「…はい。ええ。ええと、ここは…」
「あけぼの運動公園。広場横の道沿いにある、フェンスの奥」
「…です」
電話をかける暁彦を見て、一紗はホッとする。
 忠治たちが迎えにくれば、暁彦の状況も落ち着くだろう。今回はこれ以上大きなトラブルがないなと、一紗は思った。


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