家まで送るという忠治の誘いを丁重に断り、一紗はバスと徒歩で家に帰った。
 自分の部屋で、ベッドに寝転がりながら、おとといからの出来事を思い返す。暁彦のこと、真奈美のこと。一連のトラブルに対して、一紗は何もできていない。
「うまくいかないな」
築十数年の、少し年季が入った天井を見ながらポツリと言う。眠り病にしろ命を狙われている行方不明者にしろ、調査の手段すら思いつかない。
「そうだ。克巳さんに電話してみよう。何を探したらいいかわからないんじゃ動きようがないもんね」
言うが早いか一紗は早速電話をかける。
〈もしもし〉
さほどコールを鳴らさずに克巳が電話に出た。
〈どうしたんだい僕にラブコールなんて。何か進展でもあったのかい?〉
「いえ、あの…」
克巳のジョークはサクッと流し、どこから眠り病を調べていいかわからないことを告げる。
〈そうだなあ…。そうだ一紗ちゃん。家にパソコンはある?〉
「はい。家族共用のやつですが」
〈なら、『つくよのチャンネルガールズ板』のIDは持ってるかな?〉
「ガールズ板ですか?」
『つくよのチャンネルガールズ板』とは、月夜埜市にあるプロバイダを経営している企業が管理している、匿名掲示板の一つである。ガールズ板は女子高校生や女子大生など若い女の子の交流の場で、入るためには専用のIDが必要になる。携帯電話でも見ることができる掲示板の為、月夜埜市に在住在学するほとんどの女子高生はIDを持っている。
 しかし。
「IDは持ってますが、あそこの情報ってうさんくさいものばかりですよ」
 主にファッションやショッピング情報が載っているガールズ板だが、なぜか『幽霊を見た』『車と同じスピードで走る老婆を目撃した』などのオカルトや都市伝説などの情報も数多く存在する。
〈情報自体は怪しい物ばかりだけど、発生源をたどっていくと結構面白い情報が入ることもあるんだよ。ガールズ板は僕が入るのは面倒だからね。ちょっと見てみるくらいの軽い感覚でいいから調べてみたらどうかな?〉
「わかりました。見るだけ見てみますね」
〈面白い情報があったり逆に行き詰まったら、また連絡してくれればいいよ。それじゃあ〉
軽い口調のあいさつで、克巳の電話が切れた。
「ガールズ板なんて参考になるのかな?」
さっきまで使っていた携帯電話を見ながら一紗がつぶやく。
「ま、いっか。見て見なきゃ、わからないってな」
と言ったとき、下から「ごはんよー」という声が聞こえる。制服のままだったことに気付いた一紗はあわてて着替えを始めた。


 夕食が終わり、一紗は父親の書斎にあるパソコンを起動した。つくよのチャンネルガールズ板を開き、IDとパスワードを入力するとタイトルが連なった画面が現れる。
「さすがに量が多いなあ。本当に役に立つ記事があるのかな…あれ?」
適当に見ていた記事の中に、気になるものがあった。
 スレのタイトルは『眠り病の原因:夢人の正体』。
「ゆめびと。って読むのかな?」
 タイトルもうさんくさいが、内容もうさんくさい。眠り病を起こしている「夢人」なる存在が、月夜埜市を徘徊しているという前提で記事が書かれている。夢人の正体も「サキュバスのような怪しい美女」「座敷わらしのような子ども」「現代によみがえった獏(バク)」「紫の霧」など、これまたうさんくさいものが並んでいるが、一番多いのが。
「蠱惑的な美少年?」
レスのあちこちに「黒髪をなびかせている」「絶世の美貌で、男女問わず骨抜きにする」「表情ひとつ変えずに相手を眠らせる」など、細部は違えど美少年が眠り病患者の近くにいるという目撃談が書かれている。
「こっちのスレは目撃場所が書いてある。いろんなところで見つかってるな。傘木公園の近く、山間の夜埜城址、圃中って夜埜高校の近くじゃん。マナと私がいた商店街横の広場は入ってないな」
他に情報があるか探そうと画面をリロードし、見直す。
「さっき見たスレは、これといった進展はなし。それにしても変な記事が多いなあ。月城商業高校の幽霊話はここでも噂になっているし。
 …ん? 何だこれ? 『逃亡少年目撃談』?」
一番上にある、さっきまではなかったスレ。
『人形のように表情がない少年を怪しい黒服の集団が追いかけていたんだけど、他に見た人いない?』と書かれた記事には何件かレスがついている。
「表情がないって、日下部くんじゃあるまいし…」
と言った一紗の手が止まる。
「まさか…ね」
無表情で命を狙われ追われている身の暁彦は、記事の条件には当てはまる。現に今の時点では、どこにいるのかわかっていない。
 だが、はたしてローカル掲示板の話題に出ることだろうか。
「場所が書いてある。真野台、友が丘、切平街道、最後のレスはあけぼの運動公園。書き込みの時間は…4分前。すぐ前じゃん」
一紗の家からあけぼの運動公園までは、自転車で5分。すぐに行ける距離である。
 画面に釘付けになっているとき、一紗の携帯電話が鳴った。画面には今日登録したばかりの忠治の名前が出ている。何となく嫌な予感を抱きつつ電話に出る。
〈もしもし?〉
切羽詰まった、忠治の声。
「もしもし。どうしました?」
〈あの後、暁彦くんに会いませんでしたか? 11時を過ぎているのにまだ連絡が取れないんですよ〉
「いいえ、会ってませんが…」
パソコン画面を見ながら返事をする一紗。嫌な予感が膨らんでいく。
〈そうですか。普通の男の子ならさほど心配はしないのですが、彼は命を狙われている身ですから…〉
忠治の言葉に一紗は、以前自分が捕まったときのことを思い出した。

 黒いスーツのサングラス男が、暁彦に「仲間にならないなら死んでもらう」と言ってピストルを突きつけていた光景。

 連絡が取れないのはたまたまなのだろうか。
「あの、忠治さん…」
 迷ったあげく、一紗はつくよのチャンネルの書き込みのことを伝える。
〈それって、まさか…〉
「信憑性がかなり薄いサイトなので間違いの可能性も高いですが」
〈でも、ひょっとしたらということがあるかもしれないです。私が様子を…〉
「私が行きます。公園は家から近いので」
〈森永さん!?〉
忠治の返事を待たずに、一紗は電話を切った。
「この記事が日下部くんのことを言ってるのなら、まだ間に合うかも!」
言うや否や、一紗は財布と自転車の鍵と携帯電話を手にすると「コンビニに行ってくる!」と言い残し、家を飛び出した。
「どうかあの記事が嘘でありますように。
 どうか日下部くんが無事でありますように!」
誰にでもなく祈りながら、一紗はあけぼの運動公園に向かって全力で自転車をこいだ。


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