放課後。珍しくテンションが低い一紗は、教科書を片付けながら左隣の席を見る。
 カバンを置いたまま教室を出て行ってしまった暁彦は、とうとう学校には戻ってこなかった。
「どうしたんだろう、日下部くん。私、本気でまずいことをしちゃったんだろうな」
心配そうに隣を見る一紗のそばに、明里と、あごでそろえたウェーブヘアーで背が高い、蒲原志穂(かんばらしほ)がやってきた。
「もーりちゃんっ。元気ないね」
「そりゃあ愛しの日下部くんと痴話ゲンカしたあげく、帰っちゃったからね」
クラスメイトの少女たちが、からかい半分に話しかける。
「だからー。いつからそんな話になってんだよ。人が珍しく落ち込んでるってのに」
「だってねー」
「そうとしか見えないし」
「ねっ」
暗い一紗とは裏腹に楽しそうに話す明里と志穂。おしゃべりしながら、なぜか二人は暁彦のカバンを整理し始める。
「何やってんだよ、人のものを勝手に。あまり面白そうなものは入ってないと思うぞ」
「嫌だなー。なーに言ってんだか」
笑いながら返事をする明里は、机の中にある暁彦の教科書やら筆箱などをカバンにしまっている。
 いぶかしんでいる一紗の目の前に、明里はカバンを押しつけた。
「…何だよ」
「カバンがないと、日下部くん困るよね」
「だから森ちゃんが届けてあげないと」
「はあっ!?」
ニコニコしている明里や志穂とは反対に、一紗は奇妙な顔をする。
「どうして私が日下部くんのカバンを届けなきゃならないんだよ」
「日下部くん帰っちゃったしー」
「ケンカしてたしー」
「クラス委員だしー」
「愛しの君だしー」
「あーのーなー。クラス委員は関係ないし、日下部くんのことも何とも思ってないってば!」
「どーだかー?」
「ねー!」
もはや聞く耳を持たない友人に、大きなため息をつく一紗。
「そもそも私、日下部くんの家がどこにあるか知らないよ」
「そんなの、先生に聞けば一発だよ」
「山部先生より川上先生に聞いた方がいいかも」
「だったら明里も志穂も一緒に行こうよ」
「私はパス。部活だもん」
「あたしは彼氏と一緒に帰るから」
「あんたら友達甲斐なさすぎ」
思い切りにらんで友人たちを見る一紗だが、明里にも志穂にもまるで効いていない。
「だってねー。二人の逢瀬を邪魔できないしー」
「カバンまで持って今更『行かない』とか言わないよねー」
「明里が勝手に押しつけたんだろうが」
と文句を言う一紗だが、確かにこの状態で「行かない」とは言いづらい。
 それに、ちょっとだけ暁彦の家にも興味がある。
「…しょうがないなあ。行きますよ。行きゃあいいんだろう」
「さっすが一紗様」
「クラス委員の鏡だね」
ほめられてもちっともうれしくはないが、行くと決めた一紗は二人にあいさつをし教室を出て行く。
「ノリとは言え、日下部くんの家に行くことになっちゃんたんだ。ちゃんと謝ろう」
カバンを持った一紗は、まっすぐ職員室に向かった。


 職員室に、目当ての教師はいた。眼鏡にグレーのスーツ姿と固そうな服装だが、隠しきれない豊満な体のラインと、ひときわ目立つ亜麻色のショートヘアーが派手な印象を与えている。
 川上キアリー。1年C組の副担任で、ハーフの英語教諭。若くて美人でわかりやすい授業を行う彼女は、学校でもトップクラスに人気がある教師だ。
「日下部の家?」
 住所を知りたいと頼むと、予想通り、川上は難しい顔をした。
「カバンの中身、大したものは入ってないんでしょう? 明日でもいいんじゃない? 明日以降も休むという連絡はもらっていないわよ」
「そうなんだけど、ひょっとしたら困っているかもしれないし、自分が原因で帰っちゃったみたいなんで謝りたいっていうのもあるし…」
答えながら、言い訳じみたセリフだなと一紗は思う。案の定、川上の表情は曇ったまま。席にあるパソコンで何かを操作している。
「あの、えっと、強引だよねこういうの。やっぱりいいです。カバンは元に戻してくるから…」
「待ちなさいって」
川上はエンターキーを押してからプリンタがある場所まで歩いていく。
「一つだけ約束して」
キョトンとしている一紗に、川上はプリントアウトされた紙を渡す。
紙には住所が書いてある。
「今日は一線を越えないでね。私の責任になっちゃうから」
「…いや、先生なに言ってんだよ!」
顔を赤くして叫ぶ一紗。川上は生徒のごまかし方に心の中で苦笑をしつつ、気付かないふりをして答える。
「ハイ、ワカリマシタ。って言っておけばいいのよ」
「ハイ、ワカリマシタ」
「うーん。イマイチ面白くなかったわね」
言葉とは裏腹に、楽しそうに笑う川上。
「学校に来られそうなら、明日はちゃんと来いって伝えといてね」
「もちろん。先生ありがとう。無理聞いてもらっちゃって」
「いえいえ」
手をパタパタ振る川上に、一紗はペコリとおじぎをする。
「失礼します」
一紗はあいさつをし、そのまま職員室を出て行った。

 一紗を見送っていた川上は、生徒の姿が見えなくなると含み笑いを浮かべる。
「さて、あの子が日下部の家に行くのは、単なる好奇心かしら。ただ好いているだけならいいけど、そうでないとすると…」
誰もいない入口を見つめる瞳に、獲物を狙う鋭さが宿る。
「彼女もチェックせざるを得ないわね」
つぶやく川上の口調は、面白そうな歯がゆそうな、複雑なニュアンスを含んでいた。


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