畑の真ん中に建っている4階建てのコの字型をした白い建物は、県内で中堅よりは上に位置する県立夜埜高校。  今の時間はどのクラスもロングHRの時間である。
「文化祭の出し物は喫茶店でいいですね?」
数ある教室のひとつ、1年C組。
 黒板に書かれている「喫茶店」の文字を黄色いチョークで囲む少女。少女の言葉に「はーい」「いいよ」「別にー」などの答えがパラパラと返ってくる。
 秋に行われる文化祭の出し物を多数決で決めたのだが、絶対に反対。という生徒もいないようなので、少女は「文化祭委員には喫茶店で案を出しておきます」と言った。
 肩までの黒髪、身長は平均くらいだが丸めの体型、愛嬌はあるが十人並みの顔の少女は森永一紗(もりながかずさ)。ノリと勢いでクラス委員になった一紗だが、仕事は彼女なりに真面目にやっている。
 まばらな返事ながらも一応前を向いているクラスメイトたちの中で、唯一、横を向いて窓の外を見ている少年を一紗はチラリと見る。
 少年は日下部暁彦(くさかべあきひこ)。無口で無表情、クラスにまったくなじまない人物だが、一紗はふとしたきっかけで少しだけ彼の裏側の事情を知ってしまったのだ。ついでとはいえ、彼に命まで助けられたいきさつがある。とは言ってもその後に別に仲が良くなったわけではない。暁彦は相変わらずクラスの輪には入らず、一人で黙り込んでいる。
 一紗はみんなに視線を戻す。質問もないようだし時間もないので、文化祭の話題を打ち切った。LHRも終わり、今日の授業は終了。
「大変そうね、クラス委員は」
 授業が終わるやいなや、茶髪のショートヘアーの色白で細身の少女が一紗に話しかけてきた。
 彼女は宇都木真奈美(うつきまなみ)。一紗と特に仲の良いクラスメイトで、勉強もできて勉強以外の雑学も豊富な少女である。恋話に食いつきやすく離さないのが欠点であるが。
「大変は大変だけどね。このクラスはやりやすい方だと思うよ」
「まあね。仲いいしね。で、すぐに帰れそう?」
「まだなの。文化祭の出し物は決まったけど、このあいだの生徒総会の意見と感想をクラス分まとめなきゃいけないんだよ。手伝ってよマナ」
「何おごってくれる?」
ニッコリ笑って容赦ない返事をする真奈美の頭に三角の角が見える気が、一紗にはした。
「商店街のジェラート屋でどう?」
「トリプルいっていい?」
「うーん。財布はダブルで勘弁って言ってる」
「しょうがない。それで手を打ちましょ」
真奈美は一紗の前に座り、散らばっているアンケートを見ながらきれいな文字でまとめていく。
「ありがとう真奈美さまー」
「報酬付きですから。ダブルでよろしくね」
晴れやかな笑顔を浮かべつつ、ぬかりない作業をする真奈美。一紗は財布の中身を計算し「しばらくはお菓子を我慢しよう」とこっそり考えた。


 やや廃れた印象が残る、月夜埜駅東口。地元の人たちに人気があるジェラート専門店はにぎやかな西口ではなく、東口にある。
 商店街とは名ばかりの数店舗しかない「よのひめ商店街」にあるジェラート屋に向かう途中、東口の入口すぐ近くに女子高校生が何人か群がっている姿を発見した。
「あの子たち、なんだろう?」
「ひょっとしたら『月夜埜の父』がいるのかも」
「ああ、この辺にいるんだ」
真奈美の言葉を受け、一紗は女の子たちの隙間から月夜埜の父なる人物を覗く。
 60代くらいの細身でタレ目の、穏やかな雰囲気の男性が見える。布を掛けた小さな机には『手相』と書かれた置物と大きな虫眼鏡が置いてある。
 男性は、机を挟んで向かい合わせに座っている女の子の左手をじっと見ている。しばらくすると虫眼鏡を置き、女の子を見た後に何かをしゃべっている。話を聞く女の子の表情はすごく真剣だ。
 一通り話したのであろうか。女の子は500円玉を一枚渡すとおじぎをし、他の女の子と共に立ち去った。
「本当に女の子に人気あるんだ」
「うん。私も話だけは聞いたことある」
月夜埜の父とは、何年か前から月夜埜駅東口にいる手相易者。恋の悩みとか他の悩みも良心的な価格で相談に乗ってくれるということで、女子高生や女子大生の間で人気がある。一紗も真奈美も占ってもらったことはないが、彼の話は知っている。
「占ってもらう?」
「ええ? 私はいいよ」
「そうなの? 日下部くんのこととか気にならない?」
「どうしてそこで日下部くんの名前が出てくるかな?」
「ほらー。あの人も見てるよ」
真奈美が言う通り、月夜埜の父は先ほどから楽しそうに二人のやりとりを見ている。
「どうかねお嬢さんたち。良かったら観てあげようか?」
人通りが増え始めた東口にも関わらず、よく通る声で月夜埜の父が話しかけてきた。
「いや、あの。大丈夫です。お金もないですし…」
「私から誘ったんだ。お金はいらないよ。まあ、くれるならもらうがな」
ニヤリと笑いながら話す月夜埜の父に、一紗は少し困りつつも興味が引かれる。
「せっかくだから、占ってもらいなよ」
「うーん。じゃあ…」
好奇心に負けた一紗は、真奈美と二人で男の元に行き丸椅子に座る。
「お嬢さんの名前は?」
一紗が名前を告げると、月夜埜の父はうんうんとうなずいた。
「さて、占うのは、森永さんと日下部くんという少年との相性でいいのかな?」
「はい、それでお願いします」
と答えたのは真奈美。本人よりもよほど楽しそうである。
「だからなんでそうなる?」
「いいじゃない。それとも他に占ってほしいことでもあるの?」
「んーと…」
などと言われても占いに頼るほどの悩みはないし、かといって暁彦との相性を占ってもらったところで。と悩んでしまう。
 結局、月夜埜の父の助言もあり、恋愛運も含めた総合運を観てもらうことにした。押し切られる形で月夜埜の父の催促に従い両手を差し出す。
 しばらく手のひらを眺めていた月夜埜の父は、少しだけ顔をひそめた。
「良くない結果でも出ました?」
「結果、という言い方は正しくないな。手相は結果を出すものではないからね。それはさておき、お嬢さんはしばらく苦難の道を歩みそうだね」
「苦難ですか? これから私に大変なことが起こるんですか?」
「そうとも言えるしそうでないとも言える」
答える月夜埜の父の言葉はあいまいだ。一紗がいぶかしんでいるのを見て、続きを話す。
「お嬢さんは進んでトラブルに首を突っ込む性格だろう」
「そうなんですよ。興味があることにはすぐにホイホイついていくから。もっと言ってやって下さい」
一紗が返事をする前に、真奈美がまくし立てる。本人も身に覚えがあるので黙ったまま苦笑いを浮かべる。
「お嬢さんが関わるトラブルは、自分で思うよりもずっと深刻みたいだ。やり過ごしたいなら厄介事には関わらないことだ」
「いつもやり過ごしたいとは思ってるんですが…」
苦笑いを浮かべたまま一紗が言う。月夜埜の父も笑みを浮かべ、さらに話す。
「ただし、本当に手に入れたいものがあるのならば、大きな出来事に首を突っ込まなくてはならない。リスクも大きいが無事に乗り越えれば未来も開けてくる。
 困ったことに、あんたの思い人の日下部くんとの仲を深めたければトラブルに手を出さなくてはいけないらしい」
「いやだから別に彼のことをそう思っているわけではないんですが…」
困り顔の一紗に、易者は笑いかける。
「若いときの苦労は買ってでもしろ。という人もいるからね。進むもかわすも結局はあなた次第だよ。…こんなところでどうかね」
最後は一般論でお茶を濁された気がする一紗だが、改めて聞きたい事もないので大丈夫だと返事をした。
「また、聞きたいことがあったらここに来なさい。たいていの夕方頃からここにいるからね」
「は、はい。ありがとうございます」
お礼を言った一紗は、なぜかカバンの口を開ける。
「月夜埜の父さん。甘いものは平気ですか?」
「ん? 嫌いな食べ物はないよ」
「金欠なんだけど、何も渡さないってのも心苦しいから…」
一紗は封を開けていないチョコレートを取り出す。
「こんなのしかないけれど、嫌いじゃなければもらって下さい」
月夜埜の父は少し驚いたようだが、すぐに笑顔になって「ありがたくもらっておくよ」と言って素直にチョコレートを受け取った。
「そろそろ行きますね」
「気をつけてな」
と答えた易者だが、何か思ったのかすぐに口を開く。
「森永さん。あなたとは、また会うような気がするよ」
「それも占いですか?」
「かもしれないな」
あいまいな返事を返す月夜埜の父に、一紗は首をかしげながらも会釈をしてその場を後にした。


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