月夜埜市中心部の端にある、畑に囲まれた県立夜埜高校。
 授業が始まる前の時間。1年C組で黒く塗った紙を眉毛に貼りノリノリで歌っているのは一紗である。
「♪たぁとえ〜街がぁ〜待っていて〜も〜 あ〜たしは走り続け〜る〜う〜ぅ〜ぅ♪」
顔を横に向けギターをかき鳴らすゼスチャーをしたままの姿勢で一紗は静止する。
「森ちゃん、上手ーっ!」
「そっくり〜!」
「ウケる〜!」
「野間聖名以外は似てないのにな!」
眉毛の紙をはがしながら「そこ! 一言多い!」と文句を言う一紗。
「おっす森永。今日のワンマンショーは終わっちまったのか?」
「終わっちゃったよーん。もう少し早く来いよ」
「残念だったね。今日のはそっくりだったよ」
「今日のってなんだよ今日のって!」
男女問わず一紗に次々と話しかけるクラスメイトたち。
 ノリが良い1年C組の中でもクラス委員である一紗はひときわノリが良い。クラス委員になったのもノリと勢いであったが気にしない事にしている。
 一紗は自分の席に戻り左隣の席にいる少年を見た。昨日車に乗っていた無愛想な少年暁彦は、微動だせず窓の外を眺めている。
「おはよう、日下部くん」
人を寄せ付けない雰囲気を持つ暁彦だが、気にせずあいさつをする一紗。
「……」
しかし暁彦は窓の外を見たまま返事をしない。
 一紗は暁彦に声をかけること自体は今日が初めてではない。今までも何回かあいさつをしたが、返事どころか反応すら無い。
 いつもなら声をかけるだけで諦めるのだが、今日の一紗はさらに喰いさがった。
「おはよう」
「……」
「ねえ、おはようってば」
「……」
「たまには返事をしてよ」
「……」
「一人でいるのが好きなの?」
「……」
「昨日、車で入っていった大きな家、あそこが日下部くんの家なの?」
窓の外を見ていた暁彦が今の一言で勢いよく振り返る。顔つきが険しい。
「お。反応があった」
「…見てたのか?」
「うん。たまたま近くを通りかかったから」
ちっ。と舌打ちをする暁彦。彼にとってあまり見られたくなかった光景らしい。
「おまえに言う義理はない」
「えー? ケチ。教えてくれてもいいじゃん」
「なぜキサマにケチ呼ばわりされなきゃいけない」
「だって気になるんだもん」
「勝手に気にしてろ」
「ちぇっ」
これ以上聞いてもムダだと思ったのか一紗は暁彦の席から離れた。ホッとしたようにため息をつく暁彦。
 しかし。
「ねーねー知ってる? 日下部くんねー…」
近くにいたクラスメイトにいきなり一紗は話しかけた。
「昨日、私、見たんだけど…」
言いかけた一紗の腕を取り、暁彦は自分に引き寄せる。
「いったーい! なにすんだよお!」
一紗は文句を言ったが、すぐに笑みを浮かべる。100%確信犯である。
 が、一紗とは正反対に、暁彦はかなり険しい表情。
「ご、ごめん。ちょっとやりすぎた?」
怒りに染まった暁彦にさすがの一紗もやりすぎたかなと思う。暁彦は険しい顔のまま一紗をにらむ。腕を握る手に、さらに力がこもる。
「い、痛いってばぁ!」
今度は演技でなく痛がる一紗だが暁彦が手をゆるめる様子はない。
「昨日の事は誰にも言うな。さもないと…」
暁彦の声が低くなる。

「おまえを、殺す」

 ドスの利いた声。目に光はない。
 本気としか受け取れない脅しに一紗の背筋に悪寒が走った。


「ねえねえ、眠り病って知ってる?」
 お昼休み。仲の良いクラスメイト数人とお弁当を食べていた一紗は、茶髪のショートヘアーで色白の少女にこう言われた。
「最近聞く言葉だけど、詳しくは知らないな」
「月夜埜市を中心に、じんわりと広まっている病気らしいよ」
話題を振った少女は宇都木真奈美(うつきまなみ)。特に仲の良いクラスメイトで、勉強もできるがそれ以外の知識も豊富である。
「原因不明の病で、見た目は眠っているようにしか見えないんだけど何日経っても起きないんだって」
そのくらいの噂なら一紗も聞いた事がある。
 ある日突然眠ってしまい、そのまま起きなくなってしまう。身体の異常はないのに揺すっても大きな音を出してもなにをしても起きないとのこと。
「それって、放っておくと死ぬんじゃない?」
「多分ね。だから点滴とか流動食とかでしのいでいるらしいよ。噂だけど2年生でかかっている人がいるみたい」
「ウソー? 伝染病とかじゃないの? 恐ーい」
「ねー」
口では「恐い」と言いながら実感がわかない女子高生たちは、さして深刻にもならずにお弁当をつまんでいる。
「そういえば森ちゃん」
「ふぁひ?」
 真奈美の呼びかけにご飯をほおばりながら答える一紗。あまり行儀は良くない。
「朝、日下部くんに怒られていたでしょう?」
「う。マナ見てたの?」
「バッチリ! すごく険しい顔をしてたけど何バカな事を言ったの?」
「バカなことってなー。私はただ…」
暁彦に脅されてたなと思いつつも「ここだけの話だよ」と念を押し、昨日見た事を真奈美や他の友人たちに話す。案の定、興味津々で身を乗り出す女子高生たち。
「じゃあ、彼はどっかの御曹司なの?」
「いいとこのボンボンなら、どうして夜埜高に来るのよ」
「でも、どうして知られたくないのかしら?」
「ちょ、ちょっとちょっとぉ」
黄色い声で騒ぎ出した友人たちを一紗はなだめる。
「あまり大きな声で言うなよ。言ったら殺すって脅されたんだから」
「大丈夫よ。日下部くん教室にいないし」
「本当に殺すわけないよ」
「あのなー。みんな気楽に言ってるけど、脅されたときマジで恐かったんだよ」
「だったら話さなければいいのに」
「あうっ。それを言われると…」
真奈美の鋭いツッコミに言葉を詰まらせる一紗。
「ていうか森ちゃん、よく日下部くんに話しかけてるよね。好きなの?」
「はあ!? 」
長身であごまでのウェーブヘアーの少女、志穂に言われ、一紗はすっとんきょうな声で返事をする。
「マジ?」
「知らなかったー」
「日下部くん、無愛想だけど格好いいからきっとライバル多いよ」
「ちょっとちょっとちょっと! 勝手に話を進めるなよ!」
盛り上がる友人たちをあわてて一紗は制する。
「そんなんじゃねーってば! 誰とも話している様子がないから、あいさつくらいはしたいなー。って思っただけだよ」
「最初はそう思っても」
「そのうち恋の花が咲く」
「応援してるよ森ちゃん」
「だーかーらーっ! もうこの話は終わり! お弁当食べるぞ!!」
ニヤニヤする友人たちを無視し、一紗は残りのお弁当をほおばった。


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