きっかけは、ほんのささいな事。


 都内から電車で2時間。K県の衛星都市、月夜埜(つくよの)市。
 再開発が進みペデストリアンデッキができた駅前。駅から少し離れるとユニークな、しかしどことなく似ている分譲住宅やマンションが並ぶニュータウン。よそ者を受け入れない閉鎖的な雰囲気の旧家が並ぶ場所。再開発に取り残された裏路地。家が建てられない急斜面には緑と公園。
 名前は変わっているものの、どこにでもある街と言われてしまう場所であろう。


 春うららかな5月中旬の晴天の中、閑静な高級住宅街を歩く一人の少女。
 エンブレムがついた紺色のブレザーにえんじ色のネクタイ、灰色の箱形プリーツスカートは月夜埜市内にある県立夜埜高校のものである。真新しい制服が彼女が入学して間もない事をあらわしている。
 中間テストが終わりぽかぽか陽気に誘われ、帰りの通学バスから途中下車した森永一紗(もりながかずさ)は散歩がてらのんびりと歩いていた。
 背は高くも低くもないがやや丸めの体型、肩までの黒髪が歩行に合わせてゆらゆらと揺れている。丸い一重の目に団子鼻、大きな口は、愛嬌とかわいらしさはあるがお世辞にも美人とは言えない。

 一紗がいるのはニュータウン傘木地区。
 ニュータウンの中でもお金持ちが多く住む傘木地区は、一紗が住んでいる俵山地区とは段違いに大きい家々が連なっている。
 あまり人は通っていないが、たまにすれ違う人はどことなく上品な感じがする。連れている犬も血統書付きの種類ばかり。
「同好会の取材で来た。ってことにしておきたいなあ」
地理歴史同好会に所属している一紗は居心地悪そうにつぶやく。
 歩いていると後ろからエンジン音。
 何となく振り向くと、高級車がゆっくりと近寄りそのままタイル敷きの歩道にいる一紗の横を通り過ぎる。
「…あれ?」
何気なく車の中をのぞいた一紗の動きが止まった。
 車を運転していた端正な美青年も気になるが、一紗は助手席に座っている少年に注目をした。
「なんであいつが高級車に乗ってるの!?」
一紗と同じエンブレムのブレザーを着た少年は、美形タイプではないが格好良く硬めの髪の毛は外にはねている。中肉中背だが、鋭い目つきと表情の無さが威圧的な印象を与えている。
「あの人、日下部くんだよね」

 一紗のクラスメイト、日下部暁彦(くさかべあきひこ)。入学して同じくラスになってから1ヶ月近く経つが、まったくクラスになじまない少年である。授業中以外彼の声を聞いた記憶がない。

 車はそのまま少し先にあるひときわ大きくて高い壁に囲まれた二階建ての洋館がある家に入っていく。
「日下部くん、お金持ちのお坊ちゃんなの?」
車が入っていった大きな家を見ながら一紗がつぶやく。
「気になるな。明日、聞いたら答えてくれるかな?」
クラスになじまないお金持ちの少年。という想像に、持ち前の好奇心がくすぐられる。


 しかしこの出来事は、大きな争いに巻きこまれるきっかけに過ぎなかった。


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