その後、一紗は先日見た大きな屋敷に行き、往診に来た医者に診てもらった。
幸い脳に異常はなく、大事には至らないとのことだ。
 忠治に泊まっていくように勧められたが、これ以上迷惑はかけられないと丁重に断った。
「暁彦くんも泊まっていきますか?」と忠治が尋ねていたので、ここは暁彦の家ではないらしい。
 お金持ちのお坊ちゃん。という妄想が外れた残念な気持ちと、また謎に戻った暁彦への好奇心が一紗の心に同居したのは内緒である。

 家に帰ったら、頭と左手首の包帯を見た家族に驚かれた。「体育の時間に怪我をした」とのごまかしは、何とか通用したようだ。


 翌日。学校へ行くと、やはり怪我のことをクラスメイトに聞かれたが、それも適当な言い訳でごまかす。
「森ちゃん。今日はワンマンショーは無いのー?」
「さすがに毎日やるネタはないって。トーシローなんだから」 
「なあに業界用語を使ってんだよ」
「つうか、なに怪我してんだよ」
「うっせーよ!」

 キャアキャア騒いでいるいつものクラスメイト。
 いつもの学校。
 いつもの日常。
(悪い奴に捕まって怪我をしたなんて言っても信じないよな)
 考える一紗自身、昨日の出来事が夢ではなかったのかという錯覚に陥ってしまう。

 自分の席に行くと、隣では先に来た暁彦がいつもの無表情で窓の外を見ている。
「おはよう、日下部くん」
いつものようにあいさつをする一紗。いつものように返事はないが、わずかに顔が引きつっているのを一紗は見逃さなかった。
「昨日の今日で話しかけるなと思ったんでしょ? でもクラスメイトだから、あいさつくらいはいいじゃん?」
聞こえているのかいないのか、外を見たまま暁彦は動かない。
 無反応の少年に、一紗は小さくため息をつくと、そのまま笑いかけた。
「これからもよろしく!」
そう言うと、暁彦の反応を待たずに、背中を向けて席に戻る。
 暁彦は、横目でクラスメイトを見る。

 複雑な表情を浮かべる暁彦だが、一紗を見る目は、ほんの少しだけ暖かかった。


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