「お待ちしておりました」
 病院の廃墟から出たすぐの場所に、先日、暁彦が乗っていたものと同じ高級車が止まっていた。
 ドアの前には先日の運転手であろう、眼鏡をかけた長身の美青年が立っている。
「うまくいったみたいですね」
「忠治(ただはる)さん」
「任務成功だ。ま、嬢ちゃんは間一髪だったがな。それに…」
「わかっています。怪我をしてますね。後頭部と手首、それに擦り傷が数カ所…」
「後頭部?」
言われた一紗は、自分の後頭部を触る。ピストルで殴られたあたりは腫れている他にガサガサした感触がある。
「シャツはもうダメかもしれませんね。結構血が付いてますよ」
忠治と呼ばれた美青年は柔和な顔のまま指摘をする。
「マジですか?」
殴られたとき出血したのだろう。一紗にはまったく自覚はなかったが。
「あと多分、軽い脳しんとうをおこしてるな」
「わかりました。車の中で応急手当をしましょう」
「あ、はい。ありがとうございます」
「ねーえー。問題なさそ?」
 車の中から、かわいらしい舌足らずな女性の声が聞こえた。
「はい、大丈夫です。少しだけ彼女の治療が必要ですが」
「かまわないわよ。ちゃっちゃとやっちゃって」
青年が車のドアを開けると中に一人の少女が座っていた。
 分厚い眼鏡をかけ栗色のクセっ毛をポニーテールでまとめている。そばかすだらけの中学生くらいに見える少女の瞳は、どこか暗い印象を与える。
「森永さんでしたっけ? どうぞお入り下さい」
「あ、は、はい」
忠治の柔らかな笑みに促されて車に乗りこむ一紗だが、身分不相応の高級車は落ち着かない。暁彦も車に乗り、李京はトランクにサングラス男を詰めてから車に入る。
 忠治は救急箱を取り出して一紗の治療をはじめる。西洋アンティーク人形のような整った顔立ちの美青年に身近で治療されるのは、悪い気はしないが奇妙な違和感がある。
「はじめまして、森永一紗さん」
 一紗の隣に眼鏡の少女がちょこんと座る。美人ではないが、くるくる動く大きな瞳が愛くるしい。
「私、姫野真咲っていうの」
「ひめのまさき、さん?」
「そうよお。あたし若く見られるけど、あんたよりずっと年上なのよ」
舌足らずに、ずけずけとしゃべる姫野。見た目や声は若いどころか子供みたいだが、口調や態度から察するに確かに一紗より年上なのだろう。
「あんたの怪我を治している顔だけ男が、高柴忠治っての」
顔だけ男。と呼ばれた忠治は、顔色ひとつ変えずに治療を続ける。
「アキにちゅーじに、見た目がいい男を抱えている私がうらやましい?」
「へ?」
妙な質問に、とっさに反応できない一紗。
「うらやましいわよね? うらやましいでしょ?」
「え、と。確かにカッコイイとは思いますが…」
言ってから一紗は赤くなる。恋人でもない男性本人の前で「カッコイイ」と言ってしまった自分が恥ずかしくなったのだ。
「そーよねー。かっこいいわよねー。…でも、ね」
邪悪な笑みを浮かべて、姫野が言う。
「あんたには、あげない」
笑ったまま言い放つ姫野。
「アキとちゅーじは、あたしの物。今日は貸してあげたけど、もう関わっちゃダメよ」
人を見下した姫野の言葉。しかし、暁彦と忠治はまったく態度を変えていない。
「あの、それって…」
「別にアキと話すなとは言ってないわよ。でも、あんたとアキはただのクラスメイト。そこんとこ、よっく肝に銘じておいてね」
「え、ええと…」
関わるな。と言われても、正直どう返事をしていいか困ってしまう。
一紗が答えあぐねていると。
「心配ないです」
向かいに座っている暁彦が口を開いた。
「俺はもう、一紗と関わるつもりはありません」
下を向いた暁彦がキッパリと言う。
 関わるつもりはない。そう言われた時、一紗の胸がチクリと痛んだ。
(あれ?)
暁彦は一紗と目を合わせようともせず、下を向いたまま無表情で床を見つめている。
「これで、応急処置は終わりました」
とまどっていた一紗に柔和な笑みを浮かべ、忠治が声をかける。
「あ、ありがとうございます」
我に返り、あわててお礼を言う一紗。
「検査もした方がいいですね。遅くなってしまいますが、屋敷でもう少しキチンとした手当てをしましょう。親御さんに連絡した方がいいかもしれませんね」
「はい…あ」
返事をしてから一紗は、荷物を取り上げられていることを思い出した。
「嬢ちゃんの荷物ってこれだろ?」
暁彦の隣に座っている李京が、紺色のスクールバッグと白い携帯電話を投げてよこす。
「見つけたんで、あんたのかと思って拾っといた」
「あ、ありがとうござ…」
「そうそう。助けた報酬代わりにあんたの携帯番号とメールアドレス、俺の携帯に登録したから。あとでメール送るからよろしくな」
にんまりと笑いながらいう李京。お礼を言いかけた一紗の顔が引きつる。
「それって…」
「なーに。メル友になろうってだけだ。俺はあんたと関わるなとは言われてねえからな」
「それって報酬になるのー?」
「女子高生のメールアドレスを持っているって時点で犯罪だと言われても仕方ないですよ?」
「気にすんなって。今の世の中オヤジもアイテー化しねえとな」
「ITでしょう。というかそれをIT化と言っている時点でオヤジですよ」
引っかかる言葉もあるが、彼らのやりとりに少しだけ一紗はおかしくなる。
「そろそろ出発しましょう」
救急箱をしまった忠治は、一回外に出ようとドアを開ける。

 ドアが開くと同時に、車の中に20センチほどの円筒形をした物体が飛び込んできた。

「!?」
「伏せて下さい!」
忠治の声に反応する前に、一紗は体を床に押しつけられる。
 同時にプシュー、と大量の空気が抜けたような音がして、車の中が真っ白になる。
(何? 何?)
混乱する一紗の手を李京がつかみ、車外へ引っ張り出す。
「大丈夫かい嬢ちゃん」
「だ、だ、大丈夫です。ありがとうございます」
一紗の隣には「何なのよぉ、もおっ!」と文句を言っている姫野がいる。両隣には、忠治と暁彦。姫野の肩を抱く暁彦を見て、一紗の胸がまたチクリと痛んだ。
 車は、みるみるうちに白い煙に包まれていく。
「毒ではなさそうだな」
「ええ。ただの発煙筒で…」
ここまで言って李京と忠治、暁彦も顔を見合わせる。
「トランク!」
李京と暁彦が煙が充満する車へと消えていく。
 が、二人はすぐに戻ってきた。
「やられたよ。トランクは空っぽだ」
「仲間がいたとは」
「んもう! 何やってんのよあんたたち! とろいんだから!」
部下の失敗にプリプリと怒る姫野だが、怒りは長続きせずに、すぐに表情を変える。
「仕方ないわねえ。逃げられちゃったもんは。今日は、おせっかい娘を助けて終わりかしら?」
言いながら姫野は一紗に目を向ける。下から見上げてているのに明らかに見下した視線。思わず一紗は目をそらす。
(嫌われたかな?)
おせっかい娘も本当だし迷惑をかけたのも本当。だが、あからさまに邪険にされるのは気持ちいいものではない。

 しばらくして煙が収まり、トランクが空いた車が姿を現した。
「あーあ。見事に空いちゃって」
「手際いいな、あいつら」
「油断しましたね」
「仲間がいるのに、男が捕まったときには助けに来なかったんだね」
みんなが口々に色々言う中、一紗は何となく思った疑問を口にする。
「姿を見られたくなかったのでしょう。あるいは捕まった後に来たのか。どのみち、こちらがやられたことには変わりありません」
「煙も収まってきたし、帰ろーよー」
男に逃げられたことを全く気にしていないかのように、姫野が言う。
「そうですね。遅くなりましたし。帰りましょうか」
忠治を先頭に、車に乗る一行。

 すっかり夜になりシルエットだけが浮かぶ病院の廃墟を背に、車はゆっくりと走り出した。


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