手を伸ばせば


「うわ。危ねえ危ねえ」
 ニビシティの東、おつきみ山のふもとにあるポケモンセンター。
セイジがセンターに入ったとたん、大粒の雨が降り出した。
風が吹き、閃光が空を走ったすぐ後に、生木を裂くような轟音が響きわたる。
「空模様が怪しかったからな。引き返して正解だった」
 おつきみ山を少し登ったセイジは、みるみるうちに灰色に変わっていく空を見て、急いでふもとに引き返してきたのだ。
気持ちは進みたかったが、山でどしゃ降りにあうよりはよほどましだ。

 せっかくなのでポケモンを預けたセイジは、彼らを待つ間、窓の外を見ている。
 センターに来ている客は、セイジだけ。
ニビシティからハナダシティまで行くためには、おつきみ山を通らなければいけないが、山は険しく野生ポケモンも多いため、通る人はあまりいない。
「でも、あいつは来るだろうな」
マサラタウンから一緒に出発した、ライバルの女の子。
セイジと同じく、ポケモンチャンピオンを目指す少女も、おつきみ山に来るはずだ。
「まあどっちみち、この雷雨じゃ動けねえだろうけどな」
 派手に光る雷と、窓を叩く大雨を眺めながらつぶやいたとき、ポケモンセンターの扉が勢いよく開いた。
「うっひゃあー!助かったー!」
「も、もえぎ!」
 噂をすれば何とやら。ついさっきまで、どうしているだろうかと考えていた少女が、建物に飛び込んできた。
「うわーん。ビショビショだよー」
全身びしょ濡れの少女もえぎは、ろくに役に立ちそうにないびしょ濡れのハンカチで体を拭いている。
セイジの存在には気づいていないようだ。
 受付のお姉さんが急いでもえぎにバスタオルを渡す。
 ひととおり体を拭いた後、ようやくもえぎはセイジを発見した。
「あれ?セイジ。先におつきみ山に行ったんじゃないの?」
「雨がひどくなりそうだから引き返してきたんだよ。てめえは読みがはずれたみてえだな」
「仕方ないじゃん!空模様がやばそうだって思ったとき、ニビシティとここの間にいたんだから!」
ぷうと頬をふくらまして反論するもえぎを見て、セイジの心臓がドキリと鳴る。
 密かにセイジは、もえぎに片思い中。
だが、ライバルである上、どうしても素直になれないため、ついもえぎに突っかかってしまうのだ。
「でも、濡れても大丈夫か。何とかは風邪引かないって言うもんな」
「失礼ね!雨がズワーッって降って、雷がドガドガ鳴って大変だったんだから。下着までビショビショだし」
(バカ!変な言い回しするな!)
心の中で怒鳴るセイジは、真っ赤になって顔をそらす。
 卑猥な妄想にもだえるセイジを見て、もえぎはタオルを体に巻いたまま何事かと首をかしげた。


「やまないね、雨」
「通り雨だから、そのうちやむだろう」
 二人はポケモンが回復する間、ボーッと外を見ていた。
先ほどよりも雨足は強くなり、雷の光と音の間隔がさらに短くなっている。
口ではああ言ったが、しばらくやみそうもないな。とセイジが思ったとき。
 窓いっぱいに青白い閃光が走り、同時にバチーンと激しい音が辺りに響いた。
「うわっ!」
 もえぎが叫んだとたん、ポケモンセンターの明かりが一斉に消えた。
「停電だ!」
「雷が落ちたのか!?」
「ごめんなさいね」
 カウンター辺りから、丸い光と人のシルエットが近づいてくる。
懐中電灯を持った受付の女性が、申し訳なさそうに二人のところにやってきた。
「センターに雷が落ちて、電源がショートしたようです。間もなく自家発電に切り替わりますが、明かりとポケモン調整器が戻るのに少し時間がかかるので、しばらくお待ち下さいね」
お姉さんは平謝りした後、二人に懐中電灯と温かいお茶を渡すと、再び受付に戻っていった。
「すっごい音だったね。びっくりした」
「センターに落ちたかな、雷」
「そうかもね」
言いながら、もえぎは近くのベンチに腰をかける。
少し迷ったが、セイジも一人分くらい間を空けてベンチに座る。
 大粒の雨は相変わらず窓を勢いよく叩き、雷は空を暴れ回っている。
「ねえ、覚えてる?」
 やはり窓の外を見ていたらしいもえぎが、ポツリとつぶやく。
「セイジとアサギと三人で、マサラタウンの近くにある丘に行ったとき、今日みたいな雷雨にあったじゃん?
 急いで雨宿りしようと走ってたときに、あたしが転んで大泣きしちゃって。
 その時に、木の下にいたセイジとアサギが飛び出して、あたしのところに来てくれたよね?」
「…そうだったけか?」
セイジはとぼけたが、あの時の出来事はしっかり覚えている。


 幼なじみの少女が転んだとき、濡れるとか雷が怖いとか全く気にせず、木の下から飛び出してもえぎを助けに行った。
 片思いをするする前で、大事な幼なじみだと大声で言えたあのころだから、なんのためらいもなく手を貸すことができた。

 素直になれずに自分の気持ちを隠している今は、同じ事ができるだろうか。


「あの時、すっごくうれしかったよ」
屈託のない、もえぎの笑顔。
 彼女は今でも素直でまっすぐで。セイジの事も幼なじみでライバルだと信じて疑わない。
(幼なじみでライバルであること自体は、嘘じゃねえけどな)
だけどセイジは、幼なじみ兼ライバルであることに満足していない。
もえぎに対する思いを、いつまで閉じこめておけるだろうか。
(いや、少なくともチャンピオンになるまでは隠し通さなねえと。じゃないと、今までの関係も壊れるかもしれない。
 …それだけは、勘弁して欲しいからな)
 セイジが心の中で思っているときに、再び窓の外に閃光が走り、轟音がとどろいた。
「ひゃあっ!」
びっくりしたのか、もえぎがいきなりセイジの腕にしがみついてきた。
(うわっ!?)
突然の行動に、セイジは思い切り動揺する。
腕から伝わる、柔らかいもえぎの感触。冷たいのは雨にあたっていたせいだろうか。
(ば、ばか、離れろ!)
声に出さず抗議するセイジ。しかし。

 心の叫びとは裏腹に、掴まれていない側の腕を上げ、もえぎの肩に手をかけようとする。

(え!?)
少女の肩に手を触れる寸前、セイジがぴたりと手を止めた。
(俺…今、何をしようとした?)
 宙ぶらりんの手をどうしようかと困惑していると、もえぎが手を離し「クシュン」とクシャミをした。
 今のうちにと、セイジはあわてて手を引っ込める。
「ちょっと寒いね」
もえぎが言うとおり、先ほどよりも室温が下がっているようだ。
セイジは全く問題はないが、服が濡れているもえぎにとっては少々寒いかもしれない。
「空調が止まってるからな。仕方ねえ。ちょっと待ってろ」
セイジは懐中電灯に明かりと点けると、受付へと歩いていく。
 受付横の扉を開け、しばらくその場にとどまっていたが、程なく戻ってきた。
「もえぎ。着替えはないが、乾燥機はあるって」
「え?」
「もうすぐ電気が復活するから、向こうの部屋に行けとさ」
「あ、う、うん。ありがとう」
「…ライバルに風邪を引かれたら、俺がつまんねえだけだよ」
 セイジの言葉に併せるかのように、館内がパッと明るくなった。暗闇に慣れた二人は、思わず目を細める。
「ごめんなさいね、お待たせして」
受付横の扉から、女性がひょっこりと顔を出す。
「乾燥機、使うんでしたっけ?服が乾くまで、あちらの部屋で待っていて下さいね」
受付のお姉さんがもえぎを促し、奥の部屋に連れて行く。
「セイジ。本当にありがとね」
扉をくぐる直前、もえぎが再度お礼を言うが、セイジはそっぽを向いたまま返事をしない。
 雨が弱くなってきた外を見るセイジの顔は、真っ赤だった。


 雨がやみ、ポケモンの体力を回復させたセイジは、もえぎを待たずにさっさとポケモンセンターを後にした。
「ライバルが連れ立って旅をするってのも変だしな」
などと言っているが、もえぎと顔をあわせづらいのが本音だ。

 停電時に雷が鳴り、幼なじみがしがみついたときに、無意識にのびた自分の手。
「…俺は、何をしようとしたのか?」

 抱きしめようとしたのか。
 突き放そうとしたのか。

「どうして、素直に手をさしのべてやれないんだろう…」
 自分の手のひらをじっと見ながら、セイジがつぶやく。
幼なじみであること、ライバルであることが邪魔をして、好きな女の子に気持ちを伝えられない。
 全部を壊したくなくて、今までのつながりを断ち切れなくて。
「もう少し我慢してくれよ、俺の心。チャンピオンになれたら…素直になるからさ」
 雷雨が去り、ぬかるんだ山道を歩きながら、セイジは小さくつぶやいた。



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