その後、二人は120番道路にやってきたレスキュー隊と会い、ヘキはそのままミナモシティにある救急病院へと運ばれた。
幸い、命に別状はなく、折れた右足も後遺症はほとんど残らないそうだ。
 もっとも、しばらく入院するハメになってしまったが。


「ヘキくん、こんにちは!」
 病院に似合わない、辺りに響く明るい声。
「具合どう?」
ヘキが入院している大部屋にひょっこり現れた、赤いバンダナを頭に巻いた少女。
「おかげさまで快方に向かってるよ、べにばな」
べにばなはお見舞いで持ってきたのか、アチャモドールをベッド横の台に置く。
「…ぬいぐるみ、恥ずかしいんだけど…」
「あら、いいじゃない。ポケモンを持ち込めなくて寂しいでしょう?」
「だからって男がぬいぐるみは…」
「気にしない気にしない」
気にするんだけどと思いつつ、ヘキはこれ以上文句は言わずに、べにばなの好きにさせる。
「べにばな。ポケモンリーグチャンピオン、おめでとう」
「ありがとう。でもびっくりしたよ。チャンピオンがダイゴさんだったなんて」
「元チャンピオンだろ?」
「うーん。でも、私にとってはチャンピオンかな。すごくすごく強かったもの」
ダイゴの事を話すべにばなの笑顔は、ひときわ華やかだ。
心の整理はついているつもりだが、やはりヘキは落ち着かない。
「だけど残念だったな。せっかく俺がチャンピオン戦のアドバイスをしてやろうと思ったのに」
「えー?そうなの? 残念。ヘキくんのアドバイスがあれば、もう少し楽に勝てたかもしれないのに」
それはどうだろう。と思ったが、口には出さない。
「でも、びっくりしたよ。ヘキくんを助けたのがダイゴさんだったなんて」
「俺も驚いた」
「ヘキくんとダイゴさんって仲良しなんだ」
ウッ。と言葉に詰まるヘキ。
ダイゴに感謝と尊敬の念はあるが、間違っても仲良しではない。
少なくともヘキは認めたくない。
「あら? どうしたのその顔。仲悪いの?」
「いいとか悪いとか以前の問題」
「ふーん…」
微妙につまらなそうに、でも仕方なくべにばなは納得した。
 しばらくキョロキョロと周りを見渡していたべにばなだが、飾ってある花の水が無くなっているのに気付く。
「お花の水、替えてくるね」
ヘキの返事を待たず、花ビンを持ってべにばなは病室を出た。
「相変わらずにぎやかだな。べにばなは」
静かになった病室で、ヘキは迷った日の事を思い出していた。


 後から聞いて非常に驚いたのだが、ダイゴがポケナビをすぐに届けられなかった理由は、べにばなと戦っていたからだそうだ。
ヘキとダイゴがトウカの森で会った頃、べにばなは既にチャンピオンロードを抜けていたのだ。
「そのこと知った上で、べにばながチャンピオンロードを抜けられるかどうかみたいな言い方するんだもんな、あの人」
性格が悪い。とヘキはダイゴを評する。
「俺がべにばなをどう思っているか聞き出したかったのかな?」
「私がどうかしたの?」
「わぁ!?」
花ビンを持って、ひょっこりとべにばなが顔を出す。
「いきなり現れるなよ」
心臓をバクバクさせ、ヘキは文句を言う。
「ボーっと考え事をしてたのはヘキくんでしょ?」
台に花ビンを戻しつつ、べにばなが言い返す。
「独り言ばかりだと、暗い奴って思われるぞ」
「いいよ別に。明るくないし」
「だったらせめて笑ってみなよ。ヘキくんってば、いっつもぶっきらぼうなんだもん」
べにばながムニー。とヘキの頬を引っ張り上げる。
「ひゃへほほー。ふぇいふぁふぁー」
「アハハ。何言ってるかわかんない!」
楽しそうに笑ってから、べにばなは手を離した。
「…痛い」
「ごめんごめん」
ひとしきり笑った後、べにばなは急にしんみりとした顔になる。
「ねぇ、ヘキくん」
「何?」
「ダイゴさん、お見舞いに来なかった?」
祈るようなべにばなの表情。すがる瞳に、しかしヘキは首を横に振った。
「いいや。来ないよ」
「そっか…。ダイゴさん、本当に旅に出ちゃったんだ…」
寂しそうにつぶやくべにばな。
ヘキは、べにばなを寂しがらせるダイゴに、少なからず腹を立てた。

 実は、ダイゴは見舞いに来たのだ。
口止めされたから言わなかっただけで。


 集中治療室から一般病棟に移った日。
面会時間終了間際にダイゴは来た。
「少しは良くなったかい? ヘキくん」
「おかげさまで」
ぶっきらぼうな口調。なぜか彼と話すと、ヘキは必要以上に刺々しくなる。
「先日はありがとうございます」
「何回も言わなくていいよ。こっちまで照れるじゃないか。
 まぁ、命に別状はなくて良かった」
「全くです。下手したら死んでいたかもしれませんから」
感謝はしているし、きちんとお礼は言うのだが、どうしても態度が素っ気なくなってしまう。
ガキっぽいことはヘキも自覚しているのだが。
「座ってもいいかい?」
「どうぞ」
ダイゴは、ベッドの隣に置いてあるパイプ椅子に座る。
「ヘキくん」
「はい?」
「実は、近いうちに旅に出ようと思ってるんだ」
「えっ!?」
バッとヘキは上半身をダイゴに向ける。
「べにばなに負けてから、ずっと考えていたんだ。自分を鍛え直したいとね。
 しばらく戻るつもりはないから…」
「べにばなを頼むとでも言うんですか?」
答えるヘキの口調は静かだが、瞳は怒りに染まっている。
「冗談じゃないですよ。俺にあなたの代わりなんてできない。
 第一、置いていかれたべにばなの気持ちはどうなるんですか?」
ここまで言ってから、ヘキは自分の失言に気付いた。
べにばながダイゴを好きなことは、本人は知らないはず。
しかしダイゴは驚いた様子もなく、ヘキに言った。
「僕もべにばなに伝えたよ。『君が好きだ』ってね。
 正確には、べにばなから告白されて、それから自分の気持ちを伝えたんだけどね」
「だったら」
今にもつかみかからんばかりに身を乗り出すヘキ。足が動けば、つかみかかっていただろう。
「なぜ、べにばなを置いて旅に出るんですか!?」
「だからだよ」
静かに、でもキッパリとダイゴは言い放った。
「チャンピオンリーグで戦ったとき、僕はべにばなを意識していた。全力を出したつもりだけど、正直、全力を出し切れた自信がないんだ。
 今のままだと、チャンピオンとしても恋人としても、けじめがつかない」
「でも…」
「体も技も心も鍛え直してくる。べにばなに自信を持って向き合える人間になる為に」
真剣な顔でまっすぐにヘキを見るダイゴ。
彼の決意は変えられそうにない。
「…わかりました。もう止めません。元々、止める資格なんて無いですし。
 けど、俺がべにばなを横取りしたらどうします?」
せめてダイゴを困らせてみようと、意地悪な気持ちで質問してみた。
「べにばながそういう選択をしたなら、仕方ないとは思う。
 でも、万が一君が彼女を傷つけたりしたら…」
スッ。とダイゴの表情が消える。

「絶対に君を許さない」

いつものダイゴからは想像もつかない、冷たく、乾いた表情。
ヘキの背筋に悪寒が走った。
「ヘキくん。君のことは信じているよ」
 いつもの柔らかい笑みに戻るダイゴ。しかし、先ほどの顔を見た後だと、ホッとする気にはなれない。
「あなたの頼みは受けませんよ。俺はべにばなの友人として、できることをするだけです」
「かまわない。君がそう言ってくれるのは、とても心強いよ」
「身勝手ですね」
「ああ、身勝手だよ。ヘキくんの、べにばなに対する感情も利用してる」
柔らかく微笑んだまま、しかし強気な発言をするダイゴ。
あきらめまじりのため息をつき、ヘキは言葉を返す。
「いいでしょう。利用されておきましょう」
ダイゴは微笑んだまま、ヘキに右手を差し出す。
ヘキは幾分ためらったが、ダイゴの手を握り返した。
「ありがとう、ヘキくん」
握手した手を離し、再度ダイゴが向き直る。
「今日僕が来たことは、べにばなには内緒にしておいてくれないかな?」
「…いいですよ」
「重ね重ね助かるよ」
 ダイゴが言ったとき、病室の外から看護師が顔を出した。
「すみません。面会時間終了となります」
「もう行きます」
ダイゴは看護師に返事をし、ヘキを見る。
「じゃあ、行くよ。お大事に」
短く言った後、ダイゴは背を向ける。
ヘキは返事をしない。
ダイゴもそれ以上は何も言わず、病室を出ていった。


「ヘキくん? 大丈夫?」
 気がつくと、べにばながヘキの顔を覗きこんでいた。
「ボーッとしてるけど、体調悪い?」
「いや、大丈夫。少しイヤなことを思い出しただけ」
「遭難して大変だったもんね」
違うんだけどと思いつつ、何も言わないでおく。
「ヘキくん、今不自由してるものはない?」
「ポケモンと図鑑」
ヘキの答えにアハハと笑うべにばな。
「それはダメ。ポケモンも図鑑も持ち込み禁止でしょ」
「あーあ。早く退院して、フィールドワークに行きたいよ」
「懲りてないんだね」
「懲りてるよ。嵐には」
「もう危ない事したらダメだよ」
「気を付ける。でも、べにばなにも同じセリフを返すよ。マグマ団の野望に首を突っ込むなんて、危なっかしいよ」
「ア…アハハハ…」
べにばなの乾いた笑い。
しばらく二人とも黙っていたが、「べにばな」ヘキが口を開く。
「なに?」
「ダイゴさんを待つの?」
ビクリ。とべにばなの肩が震える。そのまま動かない彼女を見て、ヘキは失言だったと後悔した。
「ごめん。変なこと聞いて…」
「待たない」
小さい、でもハッキリした声でべにばなは答える。
「待つなんてイヤ。ダイゴさんを捜してみせる。
 カントーもジョウトも関係ない。絶対に見つけてやるから」
キッパリと言い切ったべにばなを見て、ヘキは大声で笑いたくなった。
(ダイゴさん。べにばなを甘く見すぎだよ!)
「なによ黙っちゃって」
「ごめん。べにばなはパワフルだなと思っただけ」
「そう? ヘキくんも十分パワフルだと思うけど」
「ダイゴさん捜し、俺も手伝うよ」
いつもの表情で、サラッとヘキが言う。
「え?」
「退院したら、俺も一緒にダイゴさんを捜すよ。二人で捜した方が見つけやすいだろ?」
「だけど…」
「カントーやジョウトのポケモンも手に入れたいし」
「ヘキくん、そっちが主目的でしょ」
「まぁ、そうとも言う」
「やっぱり」
クスリ。と笑った後、べにばなは困り顔になる。
「ヘキくんが手伝ってくれるのはすごく嬉しい。
 でも、頼っちゃっていいの? 私、ヘキくんを振ってるのに」
「かまわないよ」
答えるヘキは、やはりいつもと変わらない無表情。
だが、どこか暖かさをべにばなは感じる。
「俺が手伝いたいって思ったんだから」
一瞬言葉がとぎれる。が、すぐに口を開いた。
「友達、だろ?」
ヘキの言葉に複雑な表情を浮かべ、でも笑ってべにばなは言った。
「ありがとう」

 べにばなの恋人にはなれなくても、できることはある。
だったら、友人として、べにばなの力になろう。
 ヘキは、そう誓った。

 べにばながスクッと立ち上がる。
「そろそろ帰らないと。またお見舞いに来るね。今度は何のぬいぐるみが…」
「いらない」
「ひどーい、即答? せっかく寂しいだろなーと思って気を使っているのに。
 決定。次はホエルコドールね」
「やめてくれ。ベッドが埋まる」
アハハ。とべにばなが朗らかに笑う。
ヘキの顔にも、少しだけ笑みが浮かんだ。

 病室の外に広がる薄い青空。
透き通っている秋の空を、ヘキは寂しい、でもスッキリとした気持ちで眺めた。


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