「俺を好きだと言ってくれたお前を突き放したくせに、お前に見放されたら寂しいと思った」
「見放すなんて…」
「お前がそんなつもりで言ってるわけじゃないのは、わかってる。その上で見放されたと感じた。
 自分の気持ちを無視し続けた俺も十分勝手だ」
「でも梨乃さんが異能を使ったとき、私を助けてくれたよね。逃げることもできたのに」
袖口で目元をゴシゴシとふく。まぶたは腫れているが、にっこりと一紗は笑う。
「ビックリしたけど嬉しかった」
ほんの少しだけ暁彦の顔が赤くなる。照れているらしい。
「あの時、お前の手を離すことができなかった。梨乃がいれば十分だったはずなのに…お前を見捨てられなかった」
真剣なまなざしで、まっすぐ一紗を見つめる。
「一紗の側にいたい、一緒にこの世界にいたいと思った。これがどういう感情なのかわからないが、正直な気持ちだ」
目を丸くして一紗が固まる。反応がないせいか暁彦が不安そうに眉をしかめる。
「これじゃ、ダメか?」
「う、ううん、そんなことない、そんなことないよ!」
硬直が解けた一紗は、顔を真っ赤にして首を横にブンブン振る。
「私、暁彦くんの隣にいていいんだよね。一緒にいていいんだよね」
「ああ。むしろ俺が…隣にいてほしいと思っている」
パッと満面の笑みを浮かべる一紗。
「嬉しい。すごく嬉しい。ありがとう暁彦くん」
「お礼を言うのはこっちだ。見捨てずにいてくれて感謝してる」
「あったりまえじゃん!」
笑顔のまま答える一紗は、暁彦の手をギュッと握る。

 暁彦が顔を近づける。
 一紗が背伸びをする。
 二人が目をつむる。

 唇が、重なる。

 少しして顔を離した一紗は、熟れたトマトのように真っ赤になった。
「照れるな。俺まで照れくさくなる」
「う…だって初めてなんだから仕方ないじゃん!」
「そう、なのか?」
「そうだよ悪かったな」
すねてプイと横を向く一紗の頬に、暁彦はそっと触れる。
「初めてが俺で良かったのか?」
「へ?」
「俺にはよくわからないが、初めてというのは特別なんだろ?」
一瞬呆けた一紗だが、すぐに眉をつり上げる。顔が赤くなったままなのは照れているためか怒っているためか判別つかない。
「暁彦くんだからいいんだよ!」
暁彦の胸ぐらを掴んだ一紗は、そのままの勢いで口づけをする。カツン。と硬い音がした。
「い、い、痛い…」
「歯が当たった。勢いよくやりすぎだ」
「うるさいなもう! だいたいファーストキスはレモンの味って誰が言ったんだよ。こんにゃくゼリーじゃんか!」
一紗が叫んだすぐ後。
 少し離れた場所から「ブハッ」と音がした。
「……へ?」
続いてドサドサドサーッと、何かが倒れる音が続く。
「お…」
階段のすぐ近くに十数人の生徒がいた。前の方にいる数人は折り重なるように倒れている。
「よっ、仲いいねえ」
男子生徒が苦笑いして手を挙げる。
「ごめんねー邪魔して」
女子生徒がニヤニヤ笑いながら言う。
「お前ら! 覗き見してたな!」
一紗の怒声を合図に、クラスメイトたちが一斉に逃げ出す。転んだ人もいるのにやたら素早い。
「おい逃げるな!」
「逃げるなと言われて逃げない奴なんていねえよ」
「あんな場所でイチャついてる方が悪い」
「心配して呼びに来たのに損したわー」
「こんにゃくゼリーはねーよなー」
「ぬわー卑怯だお前ら! 見物料取るぞ!!」
怒濤の勢いで逃げるクラスメイトを追いかけようとする一紗だが、暁彦に手を掴まれる。
「うあっ! 離せ! あいつら締めるんだから!」
「俺を置いてか?」
いつもの無表情で無感動に言い放つ暁彦。一紗の言葉が詰まる。
「う…ぐ…だ、だってキ、キスしてるとこ見られて…」
「見られたものは仕方ない。どうせ今後もからかわれるんだ。いちいち怒ってたらキリがない」
表情は変えず、暁彦が一紗の手を握る。
「うあっ!?」
「俺たちも戻るぞ」
握る手が少し強くなる。
「これから当たり前になる“コチラガワ”に、な」
暖かいまなざしで暁彦が言う。
「うん…あ、そうだ」
一紗も手を握り返す。
「おかえり、暁彦くん」
満面の笑みで一紗が言うと、少しだけ、本当に少しだけ暁彦が微笑んだ。
「ただいま」

 手を繋いだまま、二人は教室へ向かう。
 一人でない、新しい日常に進むために。


←前へ あとがきへ→