「やめて下さい」
 扉の中から声が聞こえた。一紗には聞き覚えのある、高めのかわいらしい声。
「マ…ナ?」
「まさか、森ちゃんがここまで来るとは思わなかった」
文字通り扉一枚はさんだ、くぐもった声が聞こえる。
「で、何しに来たの?」
奥から聞こえる真奈美の声は、聞いたこともないような冷淡な響きを持っている。
「マナ?」
「私は自分の意思でここに来たの。今さら戻る気はないわ」
「でも、ここにいたら組織に見つかっちゃうかもしれないよ。現に私たちだって見つけたし」
「ここを出て、戻ってどうするの?」
冷たい声のまま答える真奈美。だが声のトーンからわずかに悲しみがにじみ出ている。
「家に帰って、みんなの心を覗きながら生活しろって言うの? ここなら教祖様が力を押さえてくれるから、心の中を見なくて済むのよ」
「それって教祖がいなくなったら、元に戻るってことじゃん。時間はかかるけど、少しずつ力をコントロールする訓練すれば、いつか堂々と生活できるかもよ」
「いつかって、いつ?」
「それは……でも、両親たちを心配させたままでいいの?」
「白い目で見られるより、ずっといい。無責任なこと言わないで」
一紗の言葉が詰まる。真奈美が言うとおり、一紗がここでいくら何を言っても、彼女の力をどうにかすることはできない。真奈美に会いたいと思ったのは、自分のエゴに過ぎないのだ。
「それでも、危ないってわかっているのに放っておけないよ」
一紗は後ろを振り向き、克巳と銀子を見る。克巳が無言で武器を構えたとき。
「待って」
銀子が小声で二人に呼びかけた。
「誰か来たわよ」
銀子の言葉通り、隠し扉の向こうから足音が聞こえる。
「静かに。何とかして隠れて」
「何とかって言われても…」
死体と血が視界に入るだけで、隠れられそうな場所がない。
「一紗ちゃんこっち」
克巳がどこからか出してきた毛布を手にしている。
「ここにうずくまって。この場所なら死角になって見えないから」
目の前に目を見開いた男性の死体があるので行きたくないが、贅沢は言っていられない。死体と目を合わせないようにしつつ、うずくまり、毛布を掛ける。
「動いちゃダメだよ」
克巳も近くに隠れたのだろう。気配を感じる。
 しばらくすると、ガタガタ、バタンと音が聞こえた。続いて、何かが床に当たる音。すぐ後にプシューッと噴射音が響いた。
(なっ、何!?)
状況を認識するより先に、手を強く握られた。
「手を離さないで。毛布を被ったまま付いてきて!」
言われたとたん、手を引っ張られた。周りが見えないまま小走り状態になる。
「かっ…」
「しゃべらないで!」
鋭く言われた次の瞬間、何かにつまずいて転んだ。ずれた毛布から見えたのは白い煙。足下には死体。
「うげっ」
「煙を吸わないで! 礼拝堂に行くよ!」
ハンカチで口を押さえた克巳が一紗を引っ張る。
 隠し扉から礼拝堂に出ると、黒服の男が二人倒れていた。一歩先には、仁王立ちになっている銀子がいる。
「やっぱりまだ隠れていたか」
一紗たちと反対側、礼拝堂の入り口に黒服の男が立っていた。
「アシアナ教会員か? P-8はどこだ?」
「P-8?」
「とぼけるな! おまえらが隠したんだろうが! 知らないというならば、消すまでだ!」
門衛のエージェントであろう男が怒鳴り、両掌を前に突き出す。めいいっぱい広げた掌から、青白い光の球体が現れた。
「げっ!?」
光の球体が少しずつ大きくなる。格闘ゲームで、手から光を放つ直前みたいな感じ。
「異能者か!」
銀子が駆け寄り長刀を振るうが、男の動きの方が速い。
「はっ!!」
かけ声と共に光が放たれる。
「危ない!」
克巳が一紗をかばって伏せ、銀子は長刀を構えたまま仁王立ちになる。
 しかし。
 銀子に届く前に、光が霧散してしまった。
「な……」
「あれ?」
男は信じられないといった表情で呆然とした瞬間、銀子があっという間に間合いを詰め、長刀を振り下ろした。
「ぐあああっ!!」
血しぶきは上がらなかったが、男の体は吹っ飛び、壁に打ちつけられる。男は白目を剥いて気絶した。
「ぎ、銀子さん強すぎ」
「さすがだよ」
「嫌ですわ。相手が弱すぎたんですよ」
口に手を当てわざとらしくオホホホと笑う、長刀のお銀。
「それにしても、なぜこいつの異能が途中で消えてしまったんだろう」
こちらに届かなかった青白い光。少なくとも男にとっては予想外の出来事だったようだ。
「やはりここは危なそうだ。無理やりでも皆を引っ張り出すしかないな」
「説得したかったんだけどな」
一紗がポツリとつぶやいた。


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