車はだいぶ山奥に入ってきた。道路が二またに分かれている場所で、克巳は『夜埜ダム』と書かれた右方向へ車を走らせる。
「あれ? アシアナ教会って左じゃないですか?」
「ちょっとだけ寄り道。待ち合わせをしているんだ」
「克巳さんが言ってた、強力な助っ人さんですか?」
「そうだよ」

 程なく、かろうじて線が引かれているだけの駐車場へ来た。黒い軽自動車が一台だけ止まっている。
 克巳が車を止めると、中から人が出てきた。
「…え? この人って…」
たすきがけをした黒い着物に足袋履きの、40代中盤くらいのふくよかが女性が、克巳の車に近づく。手には布に包まれた細長い物を持っている。一紗も、二度ほど会ったことがある人物。
「ぎ、銀子さん!?」
車のライトに照らされた着物姿の女性は、柏銀子(かしわぎんこ)。長年、高清水家の家政婦をやっていたが、彼らの豪邸が売却されたときに、家政婦を辞めたのだ。
「こんにちは、克巳くん。一紗ちゃん」
高清水家にいたときの笑顔のまま、銀子は二人に笑いかけた。
「ど、どど、どうして銀子さんが!?」
「今でこそただのおばさんをやってますが、昔はちょーっとばかりやんちゃしてたんですよ」
やんちゃしていたらしいおばさん、銀子が人懐こく笑う。今ひとつ想像できない。
「これ、武器ですか?」
「詳しくは車の中で話しますよ。行きましょう、克巳くん」
言って銀子は、克巳の車に乗り込む。
「自分の車で行かないんですか?」
「予備だよ。万が一僕の車が壊されても、銀子さんの車が無事なら帰れる。ここまでならばアシアナ教会から歩けるからね」
歩いて、といっても30分以上はかかる。それでも歩いて家に帰れと言われるよりはずっとマシだ。
「さあ行こう。奴らの鼻をあかしに!」
戦いの真っ只中に乗り込むとは思えない爽やかな笑みを克巳は浮かべ、アクセルを踏んだ。


 夜埜ダム近くの駐車場から、車で五分少々。闇夜に浮かび上がる、黒い建物。無機質な倉庫のようだが、ここがアシアナ教会である。
 人が住んでいるはずなのだが、不気味なくらい気配がない。嵐の前の静けさだろうかと、一紗は考える。
 車は教会が見える、かつ向こうから見つからないだろう、道路わきに映えている木の間に停め、さらにカモフラージュをする。
 ダムからここに来るまでの間、一紗は銀子の話を聞いていた。
「銀子さんって、門衛と戦ったことがあるんですか!?」
「一応ね。あたしが戦ったのは異能持ちじゃなかったし、当時は『門衛』なんて組織は知らなかったけどね」
 話を聞いてますます驚いたのだが、銀子は昔、金山組の組長の愛人だったそうだ。

 金山組は、月夜埜市を中心に活動する暴力団である。表だって目立ちはしないものの、それなりに商店街や公共事業などに影響を与えている。
「あたしがいた頃、知らない連中がシマにちょっかいを出してきたのよ」
 当時の組長の愛人だった銀子は、同時に用心棒の役割も担っていた。当時「長刀のお銀」といえば、裏社会では知らない人がいなかったらしい。とは克巳談。
「美人で強いと評判だったらしいよ」
「嫌だわ克巳くん。昔の話ですよ」
あははと笑う恰幅がいい銀子。昔の話が本当なら面影はほとんど無いんだろうと、一紗は少々失礼なことを考える。
「有無を言わさず自分たちに協力しろなんてほざくんでな、長刀を振って追っ払ってやりましたよ」
「そ、そうなんですか…」
一紗は、銀子のわきに置いてある長い布付きの棒を見る。どうやらあれは長刀らしい。
「調べてみても何の組織かわからなくて、色々調べて、やっと門衛という組織の連中らしいとわかったのよ。もっとも、メインで調べていた部下は、行方不明になっちゃいましたがね」
サラリと不穏なことを言う。愉快なおばさんにしか見えなくても、言葉の端々から確かに昔「やんちゃ」をしていたのだろうと想像がつき始める。
「とはいえ、こっちへのちょっかいはさほど力を入れていなかったのか、程なく音沙汰がなくなってね。門衛の事を知っている金山組関係者は、今はほとんどいないんじゃないかしら」
「一紗ちゃんに渡していた情報の半分くらいは、銀子さん経由で手に入れたものなんだ」
なるほどと一紗は納得する。月夜埜の父からの情報にしては、やたら幅広いと思ったのだ。
「年を取ったし、今では長刀は稽古でしか使わないから、昔みたいに動けないでしょうけどね」
「それでも銀子さんがいるのは心強いよ。僕なんて、自分の身を守れるかどうかだからね」
克巳が手を置いた懐の左側が、きもち膨らんでいる。
「まだ、動き出す気配はないですね」
「一紗ちゃん、少し寝ておいたら? 変化があったら起こすからさ」
「え、でも…」
「克巳くんの言葉に甘えておいた方がいいわよ。眠れるときに寝ておかないと、いざというときに倒れちゃうからね」
正直、興奮して眠くはないのだが、銀子の言うことももっともだ。一紗は少し横になることにした。
「克巳くん。レディに悪さしちゃダメですよ」
銀子が克巳に微笑みながら、しかし真面目な視線で忠告する。
「信用無いなあ。大丈夫だよ。そもそも一紗ちゃんには別の男性がいるんだから」
「そ、そんなんじゃないですよ!」
笑いながら答える克巳に、一紗は顔を赤くして背を向けた。


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