首都圏郊外にある衛星都市、月夜埜(つくよの)市。古い地域と再開発地域が入り交じる、一見どこにでもありそうな街。
 だがこの街は、なぜか表の世界に顔を出すことができない、ヨルの住人が引き寄せられるのである。


 カレンダーは6月に入り、雨の日が増え始めた。気象庁は梅雨入り宣言をしていないが、外は一足早く、しとしとと細かい雨が降っている。

 ニュータウン地域にごく近い場所、畑のど真ん中にある、県立夜埜高校。1年C組の教室に向かって、一人の少女がトボトボと歩いている。
 丸い顔に、丸い瞳丸い鼻に大きな口、丸い体型の肩までの黒髪の少女は、森永一紗(もりながかずさ)。いつもは元気いっぱいの一紗だが、今日は全然元気がない。
 教室の前に来た一紗は、深呼吸をする。「よし」と気合いを入れると、勢いよく扉を開けた。
「おっはよー!」
教室に響く大きな声。
「おっす」
「おはよう」
「今日も元気だな」
「まあね!」
「今日はワンマンショーはないのかよ」
「ありませんよーだ。そんなにせかすなよ」
笑顔を貼り付けた一紗は、笑顔でクラスメイトの要求を突っぱねる。
「ダメダメ。最近の森ちゃんは、日下部くんの攻略で忙しいんだから!」
日下部。の名前を聞いた一紗の顔が、こわばる。
「どうしたんだ森永」
「…ん? な、何でもないよ」
慌てて答える一紗の顔は、明らかに引きつっている。
 いつもと違う様子を感じたのだろう。クラスメイトたちの雰囲気も暗くなる。
「ちょっと、どうしたんだよ。そんなしけた顔をすんなよ」
「そ、そうだね」
「森ちゃんが変な顔をするから、リアクションに困ったわよ」
「おい! 変な顔とはなんだ、変な顔とは!」
「ごめんごめん」
いつものノリでいつものやりとり。のはずなのに、今日はぎこちない。
(あーあ、やっぱダメだったか)
思い切り落ち込んでいる一紗は、せめてクラスメイトたちにはばれないように努力してみたが、無駄だったようだ。無言で教室に入るだけで違和感を覚えられる自分の立場が、今日はきつい。
 一紗は自分の席に行き、左隣を見る。窓際の席の主は、来ていないようだ。
「おっはよ、森ちゃん」
一紗の席に、背が高い少女、蒲原志穂(かんばらしほ)と、ツリ目の美少女、水瀬明里(みなせあかり)がやってきた。
「どうしたの。今日はテンション低いじゃん」
「ノリにキレがないわよ」
「キレを求められてもなあ」
にへらと笑う一紗の笑顔は、やはりどこか不自然。
 志穂と明里は顔を見合わせ、また一紗を見ると、志穂が口を開く。
「今日、全然元気ないね」
「そっかな?」
「何かあった?」
笑顔を貼り付けたまま、一紗の動きが止まる。友人たちはもう一度顔を見合わせると、今度は明里がしゃべった。
「日下部くんがらみ?」
貼り付けた笑顔が崩れる。口元は笑おうとヒクヒクと動いているが、何ともいえない複雑な表情になる。
「あのさ、無理しなくていいよ。落ち込むときは落ち込まないと、つらいよ」
「…ありがと」
友人の言葉に、少しだけ微笑む一紗。
「暁彦くんに、振られちゃったんだ」
痛々しい笑顔で一紗が言う。予想はしていたのだろうが、志穂と明里も複雑な表情になる。
「ほら、明里も志穂もそんな顔すんなよ。私が困るじゃんか」
「森ちゃん、今日の放課後、暇?」
「へ? えっと、うん」
突然の明里の言葉に、戸惑いながら一紗は答える。
「学校終わったら遊ぼう! ケーキがおいしいお店を見つけたの」
「カラオケも行こうよ。また森ちゃんのものまね見たいなっ。野間聖名とかめっちゃうまいもんね」
「今日はおごるよ。パーッとはじけちゃおう!」
きょとんとした一紗だが、今度は作り笑いでない笑みを浮かべる。
「うん、行こう!」
二人の気遣いに感謝しつつ、一紗は返事をした。


 月夜埜駅西口すぐの場所にあるカラオケボックスで、一紗と明里と志穂が歌っている。部屋に備え付けられているハッピやたすきやカツラなども身につけ、人気女性アイドルグループの歌を、全員で熱唱する。
「♪ もうもうもうもう あなたにムッチュ〜ウッ!」
三人でポーズを決めた後、ゲラゲラ笑い出した。
「マジ受けるー!」
「森ちゃん、その唇ヤバすぎ!」
「ムッチュ〜ウッ!!」
唇をとがらせウィンクをして、もう一度ポーズを決める一紗。明らかにオリジナルより誇張された動きに、明里と志穂はまたまた爆笑。次の曲がかかっているが、志穂は笑いすぎてまともに歌うことができない。
「もう本っ当、森ちゃん素敵だわー」
「これくらいしか特技ねえし」
「マナにも見せたいよ」
笑いながら言う明里の言葉に、一紗の動きがピタリと止まる。
(そうだ、マナ、どうしてるんだろう)

 一紗の友人、宇都木真奈美(うつきまなみ)は、眠り病が治って目を覚ました後、人の心が文字になって見える異能を持ってしまった。
 何とかして、一紗は異能をコントロールできる方法を探していたのだが、真奈美は精神的にだいぶ参ってきているようで、「もう来ないで!」と突っぱねられたのだ。

(自分のことにかまけてばかりで忘れてた。マナ、どうなったんどろう。様子を見に行きたいけど…私が行っても邪魔にされるな。暁彦くんだって私につきまとわれて迷惑していたし、マナもきっと迷惑だろうな)
 後ろ向きな発想はほとんどしないのだが、状況が状況なだけに、思考がマイナスに傾いていく。
「森ちゃん。どうしたの森ちゃん」
「思い出しちゃった?」
 気がつくと、明里と志穂がのぞきこんでいた。
「あ? ああ、ごめん。へっきへっき」
「考えちゃうのはわかるかもなあ。今日、日下部くん休んだしね」
「姿が見えたら見えたでつらいだろうけど、いなくても、いろんな事を考えちゃうよね」
友人の言葉に、一紗の顔がさらに暗くなる。

 暁彦は前々日に、門衛の刺客LHと決闘をしたのだ。かろうじて暁彦が勝ったが、彼のダメージも少なくなかった。おそらくは傷の回復をしているのだろう。
 首を突っ込んだ一紗は、他にも色々ショックな出来事があったのだが、暁彦に振られたことに比べるとたいしたこと無いと、今では思えてしまう。

「とりあえずワーッと騒いで、パーッと忘れましょ!」
「よし、森ちゃんにアフロを進呈してつかまつろう」
「明里、その言葉遣い変過ぎ」
「だってー。はい」
 笑顔でマイクを差し出す志穂。自分が被っていたピンクのアフロカツラを被せる明里。
 本気で心配してくれる二人の気持ちが、とても嬉しいと一紗は思う。
(落ち込んでらんないな)
一紗はアフロを被りなおし、マイクを受け取ると、本とリモコンを手にする。
「お、懐かしいものを発見! ガンガン歌うぞー!」
「そうこなくっちゃ」
「って、『ポケモンいえるかな?』なんて入れてんじゃねえよ!」
「いいじゃんか。これ、小さい頃に覚えてテレビで全部歌おうと、必死に練習したんだから!」
「マジで? で、テレビに出れたの?」
「母ちゃんがダメ出ししたんだよ。出たかったのに!」
「その頃から目立ちたがりだったのね」
「三つ子の魂百まで。ってやつね」
「まったく」
奇妙なアニメーションが流れ、曲が始まると、一紗はスラスラとポケモンの名前を歌っていく。その様子に、明里と志穂は大爆笑。
 三人はカラオケボックスで、とぎれることなく歌い、笑っていた。


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