「…はーっ」
 月夜埜の父ことCがいなくなった後、一紗は安堵のため息をついた。
「組織のエージェントって、こんな身近にいたんだな。てかCってそんなにすごいの?」
言いながら暁彦を見ると、少年はじっとCがいなくなった方向を見ている。
「梨乃が…アシアナ教会に? まさか…」
ズシリと一紗の心が重くなる。握り拳を作り、少年をじっと見つめる。
「いや、もしかしたらあいつは嘘の情報を流して、俺を混乱させる気じゃ…」
「嘘じゃないよ」
つぶやく暁彦に、一紗は声をかける。目を見開いて振り向く少年に、さらに話をする。
「暁彦くんが『梨乃』って呼んでいた幻の少女。あの子はアシアナ教会にいて、眠り病を治していた。あれだけ綺麗な女の子だもん。見間違えないよ」
「…本当なのか、その話」
「本当だよ。ずっと話そうと思ってたけど、なかなか言い出せなくて…ごめん」
「いつだ!?」
暁彦が一紗の肩を思い切りつかむ。梨乃の幻に向かって叫んでいたときと同じ、せっぱ詰まった様子で。
「いつ見たんだ? あいつを見たのはいつなんだ?」
「せ、先週の土曜日。ちょっとした流れで、アシアナ教会に行ったの」
「どうして、俺に話さなかった?」
肩をつかむ手に力が入る。痛い。と一紗は思ったが、それ以上に、苦しそうなつらそうな暁彦の表情が痛い。
「どうして話してくれなかったんだ!? 俺はずっと梨乃を捜していたんだ。なのにきさまは肝心な話を言わなかった」
「ごめん、本当にごめん。私がアシアナ教会に行ったことは、できれば内緒にしておきたかったの。それに…」
梨乃の幻に向かって叫ぶ暁彦の姿を、また踊り場で考えていたことを思い出す。
「梨乃さんを見つけたら、暁彦くん、いなくなっちゃう気がしたから」
肩をつかむ手がゆるむ。一紗はまっすぐ目の前の少年を見つめる。
「梨乃さんを見つけたら、暁彦くん、二人で遠くに行っちゃうんじゃんないかって思った。さっきのこと、伝えようとしたんだよ。でも…言えなかった」
「おまえの言うとおりだ」
表情を消した暁彦が、冷たく言い放つ。
「俺は梨乃を見つけたら、どこか遠くに行こうと思っていた。ここだと二人とも組織に狙われるから」
「行かないで!」
一紗が叫ぶ。顔がゆがみ、目には涙があふれてくる。
「梨乃さんを助けるのは協力する。でも、いなくならないで」
「なぜだ? なぜ俺がここにいることにこだわる? 俺がいたら、おまえの身も危険なんだ」
「だって…」

 今の一紗の頭からは、外堀と埋めてからとか作戦とか、全て吹き飛んでいる。
 心臓の鼓動が聞こえる。顔が熱くなるのがわかる。
 だけど、思いがあふれる。止められない。
 まっすぐ暁彦を見て、一紗は口を開いた。

「好き」

 暁彦が目を見開く。
「好き。暁彦くんが好きなの」
真っ赤になった一紗が告白をする。あふれた涙が頬を伝う。
「暁彦くんが好きだから、いなくならないでほしい。ずっと側にいてほしい」
ポロポロと、一紗の目から涙がこぼれる。
 暁彦はしばらく固まっていたが、眉をしかめて後ろを向く。
「…暁彦くん?」
「迷惑だ」
背中を向けた暁彦が、静かに、しかしはっきりと聞こえる声で言い放った。
「俺はヨルの側に生きる人間だ。おまえとはいる世界が違う」
「でも…」
「接点はあった。だが、さらに踏み込まれると迷惑だ。もうこれ以上言わせないでくれ」
表情は見えないが、暁彦の雰囲気が凍てついたものになる。

「二度と俺にかまうな」

 ペタリと一紗はその場に座り込んだ。呆然と見つめる目から、涙だけがとめどなく流れ落ちる。
 遠くから車のエンジン音が聞こえてきた。空き地の横に車が止まると、中から細長いシルエットが出てきて、こちらに駆け寄ってくる。二人は警戒したが、月明かりが、スーツを着た西洋人形のような男性を照らす。
「忠治さん!」
「お待たせして申し訳ありません。二人とも怪我はないですか?」
息を切らして忠治がやってくる。あわてていたのだろう。珍しく少しだけ髪の毛が乱れている。二人の様子を見た忠治はホッとすると、一紗に手をさしのべる。
「大丈夫ですか? 目が真っ赤に腫れていますが、恐いことでもありましたか?」
「平気、です」
一人で立ち上がると、一紗は下を向いて力なく言う。
「私、帰りますね。暁彦くん、外傷はないですが、多分ダメージがあるはずです」
「わかりました。森永さんもお送りしますよ」
「大丈夫です。自転車ですし、それに…今は一人になりたいんです…」
「かしこまりました」
忠治はこれ以上の無理強いはせず、暁彦に車に戻るように促す。
「ご協力、ありがとうございました」
会釈をした忠治は、暁彦と二人で車に向かう。少年はまったく口をきかず、一紗を見ることはなかった。

 車がいなくなっても、一紗はしばらくその場に立ちつくしていた。
「最低だ、私」
自分の欲望のために隠し事をしていた。そのツケが回ってきたのだ。
「ああ言われるのは当然だよな。突っぱねられても仕方ないよな。自分のせいなのに…なのに…」
再びあふれる涙。悲しいのか悔しいのか、それすらもわからない。頭の中がグシャグシャで、何も考えられない。
「ごめん…ごめん…ごめんね暁彦くん…」
誰もいない空き地の真ん中で、一紗はひたすら泣きじゃくった。


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