噂話の真相


「シルフカンパニーの地下で、またポケモンの生体実験が行われているって本当?」
 ヤマブキシティを訪れた、茶髪のツンツン頭にツリ目の少年セイジは、ダークブラウンの長髪の少女もえぎにいきなり尋ねられた。
「知ってるけど、噂だろ?」
心配顔で聞いてくるもえぎに、セイジはめんどくさそうに答える。
「ロケット団に寝返った研究員が密かに地下室に潜りこんで、今では使われていない実験室でポケモンに違法な実験をしているって聞いたんだけど…」
「嘘に決まってんだろう。そんな根も葉もない噂を信じるなんて、もえぎはやっぱりお子ちゃまだな」
「ひどーい! お子ちゃまじゃないもん!」
ぷうと頬を膨らます少女から、なぜかセイジは視線をそらす。心持ち顔が赤い。

 隣人で幼なじみでライバルの少女もえぎに対し、セイジは現在進行形で片思い中。
 何回か気持ちを打ち明けようと試みたものの、タイミングが悪かったり、もえぎが恋愛に異常に鈍かったりと色々あり、今でも幼なじみ兼ライバルの立場に甘んじている。

「でも、本当に噂は嘘だよね。さっきピッピをを探しているおじいさんがいたの。ぴょろちゃんって名前らしいんだけど、シルフカンパニーに連れて行かれたわけじゃないよね?」
「偶然だろ偶然。無責任な噂話を鵜呑みにしてどうするんだよ。第一、嘘だったら会社で働いている人に失礼だろうが」
「あ…そうか」
そこまでは考えが廻らなかったのだろう。もえぎはばつが悪そうな顔をする。
「そうだよね。噂話を鵜呑みにしちゃダメだよね」
「当たり前だ。わかったらこのことは…」
「確認しに行こう!」
何を思ったのか、突然もえぎがこんな事を言い出した。
「はあ?」
「実際に地下室を見に行けばいいんだよ。百聞は一見にきかず、ってね」
「きかず、じゃなくて『しかず』だろう。その行為は世間一般では不法侵入って言うぞ」
「ばれなければいいのよ。ちょーっと覗いてササッと帰ればいいだけだし」
「本当に生体実験をやってたらどうすんだよ」
「それこそ相手をぶちのめせばいいじゃん。あたしとセイジなら絶対に負けないよ」
こいつ本気だ。と思ってすぐ、セイジは首をかしげる。
「ちょっと待て。いつ俺が行くことになったんだ?」
「え? 一緒に来てくんないの?」
「行くわけねえだろ。てかおまえも行くな」
「むうっ」
再びむくれるもえぎから、セイジは即座に目をそらす。
「一緒に行こうよう、お願い」
甘えた声が少年の耳に飛び込む。声だけならさておき、上目遣いで見つめられたら、絶対に断れない自信がある。
「ダメだ」
「行こう、ね?」
「…ダ・メ・だ!」
「………わかった。シルフカンパニーのことはあきらめる」
渋々といった口調だが、もえぎが折れた。セイジが横目で見ると、むくれている少女の姿が視界にはいる。
「それがいい。よけいなことには首を突っ込まないことだな」
納得していない様子のもえぎを無視し、セイジは背中を向ける。
「そろそろ行くからな。おまえもさっさと用事を済ませるなり帰るなりしろよ」
返事はない。もえぎは顔をしかめたまま。セイジには見えないが、様子は手に取るようにわかる。
「じゃーな」
「…うん…」
やはり納得してなさそうな返事。かまわずセイジは歩き出す。
 もえぎから離れながら、少年は何かを考えていた。


 長くのびる灰色の廊下。通路の端に、茶髪のツンツン頭の少年は隠れるように立っていた。視線の先には、白い帽子を被ったダークブラウンの髪の少女。
「やっぱりな」
ため息混じりにセイジがつぶやいた。

 もえぎが全く納得していない様子だったので、シルフカンパニーに忍び込むだろうとセイジは考えたのだ。
 読みは当たっていたが、予定外だったのはセイジより先にもえぎが侵入したこと。おかげで、先回りをして止めるという手段は使えなくなった。

(こうなったら、あいつが見つかりそうになるか納得するまで付き合うしかねえな)
 こそこそと部屋を嗅ぎ廻る少女に見つからないように、そっと様子を見る。端から見ればストーカーにしか見えない。
 もえぎに気づかれないように後を追いつつ、セイジは部屋を覗く。
 良く言えば清潔、悪く言えば無機質の部屋の中で、白衣を着た数人の研究者らしき人が様々な実験を行っている。いくつかの部屋にはポケモンもいるが、どの部屋でも丁寧に扱われ、素人目に見る限りではポケモンに害をなす実験は行われていないようだ。
(噂は嘘だって言ったのに、あいつは)
いい加減あきらめて帰ってくれないかとセイジが思ったとき、もえぎの動きが変わった。キョロキョロとあたりを見回すので、セイジはあわてて体を隠す。
 もえぎは一通りあたりを見回した後、耳の後ろに手を添える。音を聞いているようだ。セイジも耳を澄ますと、ほんのわずかだがボソボソと何かが聞こえる。
(なんだ?)
鳴き声のようだが、はっきりとはわからない。研究施設で聞こえる類の音ではなさそうだ。
 もえぎが動き出す。セイジも後を追うと、ボソボソという音…と言うより声…がはっきりと聞こえてくる。
(なんか、うめいているみたいだ)
さらに近づくと、声がしぼり出すような苦しさを含んでいることがわかる。もえぎの顔が険しくなり、セイジも顔をこわばらせる。
(マジかよ)
生体実験。という言葉が浮かぶ。セイジの脳裏には、実験台に繋がれメスを突きつけられているポケモンの姿が描かれる。
 一番奥にある扉の前にもえぎが立つ。観音開きの頑丈そうな灰色の扉はしっかりと閉まっていて、中の様子は見えない。少し離れたセイジからもわかるくらい、複数のポケモンたちのうめき声が漏れている。ドタンバタンと鈍い音も響いている。
 険しい顔をしたもえぎが、腰についているモンスターボールに手をかける。反対の手はドアノブにかかる。
(あいつ、乗り込む気だ!)
セイジの顔がさらにこわばる。生体実験が行われているとしても、その場に乗り込むのはまずい。多勢に無勢でやられるかもしれないし、その場で警察を呼ばれたら、立場が悪いのは侵入した自分たちだ。
「バカ! やめろ!」
セイジが飛び出す。しかし止める前にもえぎが勢いよく扉を開け、同時にモンスターボールからラッタが出てきた。
「仕方ねえ、ウインディ!」
ここまで来たら言い逃れはできない。セイジももえぎの隣に立ち、ポケモンを出した。
「ひどいことはやめて!」
ドアを開けるやいなや、中に向かってもえぎが啖呵を切る。
 しかし。

 広く明るいフローリングの部屋。まるまる太った十数匹のポケモンは、端に持ち手がついた黒い紐のような道具を持っている。
 彼らは床に横たわり、紐を足に引っかけて上に上げたままの姿勢で、目を点にして入り口を見ていた。

「あれ、これって…」
「エクササイズに見えるんだが」
同じく目を点にして中を見るもえぎとセイジ。

「オー、ユーたち! チャンピオンボーイとチャンピオンガールじゃねえか。プレオープンの公募はもう終わってるぜ」
 部屋の一番奥にいる、迷彩服を着た金髪のマッチョマンが、妙な英語混じりの言葉で話しかけてきた。
「あの…マチスさん、ですよね?」
「こんな所で何やってるんですか?」
目を点にしたまま二人は、なぜかここにいるクチバジムのジムリーダー、マチスに話しかける。
「ハッハッハ。シルフカンパニーでポケモンエクササイズを開発するってんで、昔軍隊にいたミーに声がかかったよ。今は最終調整ってわけだ。オーケー?」
「え、ええと?」
「ユーたちのポケモンは理想のボディ、エクササイズはいらないね。邪魔だからリターンリターン!」
「ちょ、ちょっと待って下さい。ピッピのぴょろちゃんって子がここにいませんか?」
「ピッピ? ああ、シーの事か」
マチスが指さした先には、ほとんど球体になっているピッピが、苦しそうに足を上げていた。
「トレーナーのグランパが甘やかして太ったってんで、ドーターがこっそり連れてきたってポケモンね」
「な、なるほど…」
もえぎが言っていた「おじいさんのピッピ」はここにいたらしい。娘がこっそりここに応募して連れて行ったので、事情を知らないおじいさんは、ピッピがいなくなったと思ったのだろう。
「もういいいだろ。グッバイ、ボーイ&ガール!」
もえぎとセイジがここに来ていたことは不問らしい。問答無用で追い出された。

 扉が閉まる。しかし二人は呆然と立ちつくしていた。
「え、ええっと…違った、みたいだね」
呆然としつつも苦笑いを浮かべるもえぎ。セイジは盛大にため息をつく。
「だから言っただろう。生体実験なんてただの噂だって」
「みたいだね」
気まずそうに言った後、幼なじみの少女はセイジをじっと見つめる。
「セイジも来たんだね。気になったの?」
「バ、バカ言うな。おまえが恥をさらすところを眺めてやろうと思っただけだよ」
「だったら、あたしが扉を開けるときに飛び出す必要はなかったんじゃん?」
「そ、それは…」
「ひょっとして、手助けしてくれようとした?」
「ま…ままままさか! てめえだけだと心許ないから首を突っ込んでやっただけだよ」
プイと顔をそらすセイジ。耳まで真っ赤になっているが、薄暗い地下ではあまりよく見えない。
 もえぎは不思議そうに少年を見つめた後、にっこりと笑う。
「何でもいいや。来てくれてうれしかった」
「なっ…」
思わずセイジはもえぎを見る。頬をピンクに染め、柔らかく笑う少女がそこにいた。
(やっべえ…)
再度、顔を背けるセイジ。手に汗をかき、心臓がバクバクいっているのがわかる。
「どうしたの?」
「な、何でもねえ」
「だったら帰ろうか。噂が嘘だってわかったしさ」
言いながらもえぎが幼なじみの手を取る。
(おいっ!)
あわてるセイジは、思わず手を離そうとした。が。

 先にもえぎが手を離した。

(あれ?)
 セイジが視線を向けると、顔を真っ赤にしたもえぎが少年を見つめていた。
「え、あ、あの…」
「えっと…帰るんだろ?」
言って、セイジは歩き出す。
「待ってよー」
「早くしねえと置いてくぞ。おい、あんまり足音を立てるな、他の社員たちに見つかる」
「そ、そうだね、気をつけないと」
パタパタとついてくる少女に文句を言うセイジの胸中は、うれしさ半分、寂しさ半分。
 以前ならば考えられないもえぎの行動。本人に自覚はなさそうだが、明らかにセイジを意識している。そこだけは少し進展。と思うのだが。

(ああいう態度を取られると、寂しいもんだな)

 幼なじみとして、ライバルとして、ずっとずっと一緒にいた少女。それだけの間柄ではないけれど、徐々に今までの二人が消えるような気がしてしまう。
(そんなことはないはずなのに。贅沢な悩みかな)

 後ろについてくる少女を意識して、セイジの胸はほんの少しだけ締めつけられた。


 ひと月ほど経ったとき。シルフカンパニーがポケモン向けのエクササイズを開発したと発表があった。
 運動不足やストレスをためているポケモンたちに効果がある上、インストラクターがジムリーダーのマチスであることも手伝って、入会者が殺到したそうだ。

 ニュースを聞いたもえぎとセイジ、彼らのポケモンたちが苦笑したのは言うまでもなかった。



あとがき→


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